腹筋 医学情報
本当に頭のいい人は”バカ”だな! 原発
雲隠れした「プルトニウムは飲んでも安心」の大橋弘忠
このバカにした笑い。腹が立つなぁ〜。こんな人ばかり。
小出先生がいなければ、原発反対派できない。なんて貴重な人なんだ。
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このバカにした笑い。腹が立つなぁ〜。こんな人ばかり。
小出先生がいなければ、原発反対派できない。なんて貴重な人なんだ。

臼井歯科医師とのやりとり(再掲) 討論
みーたんさん。どうもこちらこそ気を使わせてしまったようだ。コメントは結構楽しく頂いています。
このようなやりとりから、面白い展開になることは多々ある。そのうちの一つに、臼井五郎歯科医師とのやりとりがある。臼井五郎歯科医師の知的レベルは私よりはるかに上であり、僕など相手になるようなレベルでは無いのだが、これは面白かった。是非読んでみてください。
尚、ナイナイの岡村氏は今では復帰してがんばっている。
以下、
あごずれどっとこむ顎口腔臨床センター
http://agozure.com/index.html
の臼井五郎歯科医師とのやりとりである。
私の過去記事をご覧ください。
2010/7/26 9:39
臼井歯科医師とのやりとり
http://happy.ap.teacup.com/yosimaki/355.html
僕は治療家であるから、もう少し病気の話もしてみたいと思う。僕には協力医がいて、そこで患者さんの検査をしてもらいデータが多数集まっている。学会で発表できるほどのデータを持っているのだが、元来、僕は、面倒くさがりでレポートに仕上げるのがめんどくさい。それに有名になりたいとか、患者を増やしたいとか思っていないので、(自分のペースで仕事がしたいというわがままな人間なので)、そのままにしてある。これを、簡単に公開していきたいと思う。あくまでも単純な記録の様なものになると思うが。そこから何かが見えてくるはずだ。
それにしても、僕に協力してくれる医者がいるとは(通常、僕などお医者様には全く相手にされない。)僕自身が驚いている。柔軟な思考を持っており、素晴らしい。
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このようなやりとりから、面白い展開になることは多々ある。そのうちの一つに、臼井五郎歯科医師とのやりとりがある。臼井五郎歯科医師の知的レベルは私よりはるかに上であり、僕など相手になるようなレベルでは無いのだが、これは面白かった。是非読んでみてください。
尚、ナイナイの岡村氏は今では復帰してがんばっている。
以下、
あごずれどっとこむ顎口腔臨床センター
http://agozure.com/index.html
の臼井五郎歯科医師とのやりとりである。
私の過去記事をご覧ください。
2010/7/26 9:39
臼井歯科医師とのやりとり
http://happy.ap.teacup.com/yosimaki/355.html
僕は治療家であるから、もう少し病気の話もしてみたいと思う。僕には協力医がいて、そこで患者さんの検査をしてもらいデータが多数集まっている。学会で発表できるほどのデータを持っているのだが、元来、僕は、面倒くさがりでレポートに仕上げるのがめんどくさい。それに有名になりたいとか、患者を増やしたいとか思っていないので、(自分のペースで仕事がしたいというわがままな人間なので)、そのままにしてある。これを、簡単に公開していきたいと思う。あくまでも単純な記録の様なものになると思うが。そこから何かが見えてくるはずだ。
それにしても、僕に協力してくれる医者がいるとは(通常、僕などお医者様には全く相手にされない。)僕自身が驚いている。柔軟な思考を持っており、素晴らしい。

妊婦さんと小さいお子さんをお持ちのお母さんへの放射線の説明 原発
厚生労働省のパンフレット
http://www.mhlw.go.jp/stf/houdou/2r98520000014hcd-img/2r98520000014hdu.pdf
本当に放射線や、放射能は安全ですね。
普通どおりに生活して下さい。
国や厚生労働省の皆さんは、何を考えながらこのパンフレットを作成したのでしょうか?
この目的は何???と考えていたところ、最近、僕は気づいてきた。
”ある程度の犠牲は仕方が無い”と考えている・。
だから、今の対応は確信的に行ってる。決して場当たり的ではない。彼らの中では、確信犯だ。自分の考えと違う事を行えば、人は、夜も眠れず憔悴してまう。どうだろうか、疲れているものの、憔悴した様子は無い。犠牲を確信している。そう考えないと、今の対応は考えられない。
国は、とにかくパニックを恐れている。放射能や放射線の犠牲者は、”仕方が無い”と考えているようだ。犠牲になっても、パニックを起こさず、淡々と物事を行っていきたいということだ。彼等は、全体を考えている。日本経済を守る、大企業を守る。そちらが、個人のことより重要だと考えている。今、国の中枢にいる政治家や、東電関係者、御用学者すべてどうせ真実が明るみになっても、今の日本ではたいした責任は問われない。彼等はそれも計算済み。今の目先の批判だけ耐えればいい。そうなのだ。
考えてみれば、政府はいつもそのような対応をし、たまに政治家が人気取りのパフォーマンスで、個人を救う。庶民は彼らに利用されるだけ。
酷い話に、酷い国。
自分の身を守ってくれることなど何ひとつない。日本の法律から行政の決まり、国民の義務。これって本当に守る必要があるのか?庶民も考え直さなければならないのかもしれません。
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http://www.mhlw.go.jp/stf/houdou/2r98520000014hcd-img/2r98520000014hdu.pdf
本当に放射線や、放射能は安全ですね。
普通どおりに生活して下さい。
国や厚生労働省の皆さんは、何を考えながらこのパンフレットを作成したのでしょうか?
この目的は何???と考えていたところ、最近、僕は気づいてきた。
”ある程度の犠牲は仕方が無い”と考えている・。
だから、今の対応は確信的に行ってる。決して場当たり的ではない。彼らの中では、確信犯だ。自分の考えと違う事を行えば、人は、夜も眠れず憔悴してまう。どうだろうか、疲れているものの、憔悴した様子は無い。犠牲を確信している。そう考えないと、今の対応は考えられない。
国は、とにかくパニックを恐れている。放射能や放射線の犠牲者は、”仕方が無い”と考えているようだ。犠牲になっても、パニックを起こさず、淡々と物事を行っていきたいということだ。彼等は、全体を考えている。日本経済を守る、大企業を守る。そちらが、個人のことより重要だと考えている。今、国の中枢にいる政治家や、東電関係者、御用学者すべてどうせ真実が明るみになっても、今の日本ではたいした責任は問われない。彼等はそれも計算済み。今の目先の批判だけ耐えればいい。そうなのだ。
考えてみれば、政府はいつもそのような対応をし、たまに政治家が人気取りのパフォーマンスで、個人を救う。庶民は彼らに利用されるだけ。
酷い話に、酷い国。
自分の身を守ってくれることなど何ひとつない。日本の法律から行政の決まり、国民の義務。これって本当に守る必要があるのか?庶民も考え直さなければならないのかもしれません。

誕生日! 社会

以前から、うちにアトピー性皮膚炎で治療(小児鍼)に来てる3歳の女の子(もうほとんど完治)がもうすぐ誕生日ということを聞いたので、彼女の好きなスイートプリキュアの”ハミィ”を描いた。これをプレゼントする予定。喜んでくれるかな?
描いていたら、うちの娘(6歳)が私のも描いてだって。もう一枚描くはめに。
個人的な絵だから、著作権には触れないよね。やはり触れるのかな?ごめんなさい。

放射性物質の影響 原発
この動画は、本当に衝撃的なものである。これから日本でこのようなことが起こらなければいいと思う。というか、日本に54基ある原発周辺の病気について疫学的な統計調査をすればすでに起こっていることなのかもしれない。
このような事実は、誰かが調査をしない限りわからない。皆さんは、科学的根拠は正しいと思っているかもしれないが、それは間違っている。科学者が意図的に着目して科学的根拠を作り上げる。それも、重箱の隅をつついたような、試験管や限られた環境でしか再現できず役に立たない。それが科学的根拠。
都合の悪いことや、金にならないことは調べないので根拠は無い。
ここは強調するが、都合が悪いものは調べないか、答えを誘導する。
僕が、調べているワクチンなどはこの類いだ。ワクチン接種の短期的な副作用、長期的な副作用について、調査はしない。薬物の長期的副作用についても同じ。薬物の長期的摂取により、新たな病気が増えても、それは新しい病気とみなされる。薬物の長期的摂取によって作られた新しい病である可能性があるのに。
いつでも、公式な見解はこうだ。
”ワクチン接種後に亡くなったが、因果関係は不明”
これを集めると相当な数になるが、因果関係は不明とされる。
公式見解はいつでも”嘘”ばかりである。公式な見解を信じる人がいるのに驚く。
福島原発の件で、庶民の皆さんもかなりの人が気づきだしたのではと思ったが、残念ながら、それは気のせいのようだ。事故前も事故後も庶民は、やはり、同じである。
考えるに、皆さんは僕みたいに暇ではないのだから、それも仕方が無いことなのかもしれない。
さて、ドイツの番組から、ドイツ語を訳して字幕をを付けてくれる人がいる。本当に外国語が理解できる事は大切なことである。
今から4年後、この動画のようなこと(ドイツで本当に起こった事)が起こらなければいいが、本当に恐ろしい。(見たくない人は見ないでほしい。必ずしも福島でこのようなことが起こるかどうかはわからない。恐怖を煽るつもりはない)そして、国は恐ろしい。
この動画の再生回数を見ても、最後まで見ている人は本当に少ない。(やはり皆さんは僕みたいに暇ではないのだ)残念だ。
これから、このようなことがもし、起こったら、国は即座に認め保障をすべきだ。被害者を二重に苦しめてはいけない。
原発と白血病の因果関係(ドイツのテレビ番組)1/3
どう考えてもおかしいけど、決して国は認めない。市民がいくら証拠を集めても認めない。それが公式見解。公式見解=事実では無い。それは、国の都合による。
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このような事実は、誰かが調査をしない限りわからない。皆さんは、科学的根拠は正しいと思っているかもしれないが、それは間違っている。科学者が意図的に着目して科学的根拠を作り上げる。それも、重箱の隅をつついたような、試験管や限られた環境でしか再現できず役に立たない。それが科学的根拠。
都合の悪いことや、金にならないことは調べないので根拠は無い。
ここは強調するが、都合が悪いものは調べないか、答えを誘導する。
僕が、調べているワクチンなどはこの類いだ。ワクチン接種の短期的な副作用、長期的な副作用について、調査はしない。薬物の長期的副作用についても同じ。薬物の長期的摂取により、新たな病気が増えても、それは新しい病気とみなされる。薬物の長期的摂取によって作られた新しい病である可能性があるのに。
いつでも、公式な見解はこうだ。
”ワクチン接種後に亡くなったが、因果関係は不明”
これを集めると相当な数になるが、因果関係は不明とされる。
公式見解はいつでも”嘘”ばかりである。公式な見解を信じる人がいるのに驚く。
福島原発の件で、庶民の皆さんもかなりの人が気づきだしたのではと思ったが、残念ながら、それは気のせいのようだ。事故前も事故後も庶民は、やはり、同じである。
考えるに、皆さんは僕みたいに暇ではないのだから、それも仕方が無いことなのかもしれない。
さて、ドイツの番組から、ドイツ語を訳して字幕をを付けてくれる人がいる。本当に外国語が理解できる事は大切なことである。
今から4年後、この動画のようなこと(ドイツで本当に起こった事)が起こらなければいいが、本当に恐ろしい。(見たくない人は見ないでほしい。必ずしも福島でこのようなことが起こるかどうかはわからない。恐怖を煽るつもりはない)そして、国は恐ろしい。
この動画の再生回数を見ても、最後まで見ている人は本当に少ない。(やはり皆さんは僕みたいに暇ではないのだ)残念だ。
これから、このようなことがもし、起こったら、国は即座に認め保障をすべきだ。被害者を二重に苦しめてはいけない。
原発と白血病の因果関係(ドイツのテレビ番組)1/3
どう考えてもおかしいけど、決して国は認めない。市民がいくら証拠を集めても認めない。それが公式見解。公式見解=事実では無い。それは、国の都合による。

みーたんさん 社会
削除しようか思いましたが、この記事はこの記事で何か意味があるかも知れないと思い、このまま残すことにしました。
この記事は投稿しようかどうか迷いました。自分の愚かさ晒しているようですが、記事にしてみました。
この記事は、公開しますが、みーたんさん限定です。他の人はスルーして下さい。この記事は、期間限定3日で消去します。21日まで。尚、みーたんさんは無理にコメントしなくて結構です。コメントして頂いても結構です。”自由”。僕の一番好きな言葉です。記事にしてごめんなさい。
でも、皆さんは、平和がどうやったら達成できるのか?何故生きているのか?考えた事はありますか?
そんな辛気臭い子と言うなよって怒られそうですが、僕はいつまでたってもそんなことを考えているおバカさんなのです。うるさい奴だなとか理屈っぽいと思われようが、記事にしてみたいと思います。
以下、重い記事です。
みーたんさん
>世間から脱して客観的に物事を見られるようになりたい
というのは簡単に伝えられない。
自分の意見を持たないと言うのではなく、世間と言う捉えどころのない、得体のしれない、人間のエゴが作り出した環境に囚われない。そういうところから関係のない生き方をしたいと言う事です。
これは、あくまでも自分の生き方の目標であって不可能なことです。それは“悟り”の境地でしょう。それに、悟ってしまえば“仏様”になるので、もう生きている必要がなくなります。不可能だけどそうありたいという“生き方”の方向性です。
僕の記事の僕の言葉
“ほとんど私は、絶望的に世の中を見ています。良い世の中なんて来ないでしょう。そもそも万人にとって“良い世の中”なんて決まった概念など存在しない。幻想ですね。ただ、生まれて死ぬ。それが生命の営みなのでしょう。
私には“答え(そもそも答えなど存在しないと思いますが)”は見つかりません。
かくして、自己保存欲求から個々の生命は生き残りをかけて、日々の生活で闘争にあけくれ、混乱が社会を構成する。そこから抜け出せない。“
>自己保存欲求から個々の生命は生き残りをかけて、日々の生活で闘争にあけくれ、混乱が社会を構成する。
自らが、世の中はおかしいとか、良い世の中にしなければと思って行動に移した瞬間からきっと自分の行っていることは正しいと”間違い”を犯すのだと思う。そこに囚われている以上テロリストも、正義のヒーローも同じであると言える。
この“矛盾”は身近なところから世界においても、全てにおいて解消できない。だから、戦争と混乱と束の間の平和そして混乱から戦争、これを繰り返す。
僕が思うには、世の中がおかしい(このように思うのは自由だが、行動を起こそうと思った時点でエゴを社会に強制することになる)と思い行動に移すときに、団体を作って社会運動にしてはいけない。その時点で方向を間違える。そして、団体(徒党を組む)を作ると修正が利かなくなる。いずれ偽善を行う“。
正しい事をしていると思っている迷惑な団体”(ご存じのように平和団体にも過激な団体が多い)になる。アクティブに動くほどこの要素は強化される。
極端に右寄りの人、極端に左よりの人は病気かもしれない。社会を変えようと思って、自分の信念が揺らがない人はきっと病気に違いない。そこまで自分は正しいと思える事自体が何か重大な病気に違いないと僕は思う。
ネガティブ思考の人が、鬱になったり、神経症になったりして病気とみなされるが、僕は、ポジティブ思考で行動的で、積極的で(エゴが)強い人は、出世したり、偉くなったりして、社会的な評価は高くなるが、これも実は病気だと思う。自分には力があり、その力を使い、人や社会をコントロールしたいというのは、うつや神経症の人が病気とみなされるのと同じように病気に違いない。ただ、そのような人は社会的評価が高くなるので、(嫌な奴でも)病気とはみなされない。それに変に強い人(自分が正しいと思い込んでいる病気)が多い。
では、知らんふりをすればいいのかって?
究極的には何か物事が起こってもとるべき行動(自らの意思を表明するだけ)をとったらそれ以上のことはしない。“知らんふり”をすることが一番だと思う。ここで言う“知らんふり”とはその問題に囚われない、振り回されない、短絡的な行動をとらないということ。世間は感情で動いているのでそこに流されない。
でも、人類はこれが出来ない。理屈の上ではわかっていても実際は出来ない。これは、個人でも同じ、鬱の人も、対人恐怖の人も、恐れなくていい場面で恐れ、どうでもいい場面で緊張する。これは、頭で理解していても、身体が反応する。すでに条件反射(育ってきた環境による)であり本能なのだ。これを改善するのは長期間を要する。それこそ数十年以上(すぐに良くなりたいと思っている人にはごめんなさい。事実は良くなるとかではなく、それは学びであり、成長しなければならないということです)。
アメリカで言うと、テロに対して報復しない。ということです。報復が新たなテロを生む。テロリストをゼロにしようとすればするほど、テロリストは増える。そもそもテロリストは絶対に根絶できない。テロリストという概念が曖昧。それに悪人は必ずいる。テロリストとの戦いは、絶対に終わらない戦い。テロリストは金儲けと恐怖で支配するため利用する道具(ツール)。自らは安全なところにいて、ワインを飲みながらゲームを楽しみ、お金や権力を手に入れる。
わかっているのにそうなる。
じゃあ、世の中をどうすればいいのかって?
結局のところ、全く分からない。
ただ僕なら、社会を良くしたいと思ったら、個人で活動する。個人でいろんなことを訴える。それを一生懸命やる。皆さんがどう思うかは関係ない。僕は、それでいいと思っている。
一人で活動するなんて、そんなことは無駄ではないか?と言われれば、無駄でもやると答えるだけだ。尤も、今そのようなことをするつもりはない、自分の中にそのような必然性が生まれれば、の話だ。
考えれば考えるほど、自己矛盾に突きあたってしまう。答えは見つからない。だから歴史は繰り返す。
“戦争と混乱と束の間の平和そして混乱から戦争、これを繰り返す。”
だって、残念なことに戦争や混乱を望んでいる人もいるのだから・・・。
いい世の中とか悪い世の中って、自分の立場によっても変わって来るし、考え方でも変わる。
世界は、存在し流れている。ただ、自己保存欲求に従って、自らが生き残ることが生命としてのあり方なら、利己的に生きていくしかない。
自分の家族を守るためだけに生きる。そして、闘争がはじまる。
この矛盾超えられる知的生命体はいるのか?宇宙の知的生命体ともし遭遇できるなら、これを超えた生命体の可能性が高いと思う。ただし、仲良くできるかどうかはわからない。
人間、人類の限界か?否、僕の限界だ。
平和は続くのか?平和の為に闘う矛盾。いつもここで思考停止。
目の前に困っている人がいて、自分にできる事があれば、あるいはそういう立場であれば助ける。自らの家族や、周りの人を大切に、幸せにする。それが答えかもしれない。
考えて考えて、考え疲れて、そしてまた考える。考えない人から見れば全く理解できない行動だ。答えが見つからないのに考えるなんてバカじゃないのって我ながら思う。
そんなこと考えても答えが無い。楽しく生きたらそれでいいじゃないか。もっと大人になれよともう一人の僕が、僕に言う。
そうなれれば苦労しないよ。ってもう一人の僕が答える。やっぱり僕は変な人なのだ。
飲んで寝よ。
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この記事は投稿しようかどうか迷いました。自分の愚かさ晒しているようですが、記事にしてみました。
この記事は、公開しますが、みーたんさん限定です。他の人はスルーして下さい。この記事は、期間限定3日で消去します。21日まで。尚、みーたんさんは無理にコメントしなくて結構です。コメントして頂いても結構です。”自由”。僕の一番好きな言葉です。記事にしてごめんなさい。
でも、皆さんは、平和がどうやったら達成できるのか?何故生きているのか?考えた事はありますか?
そんな辛気臭い子と言うなよって怒られそうですが、僕はいつまでたってもそんなことを考えているおバカさんなのです。うるさい奴だなとか理屈っぽいと思われようが、記事にしてみたいと思います。
以下、重い記事です。
みーたんさん
>世間から脱して客観的に物事を見られるようになりたい
というのは簡単に伝えられない。
自分の意見を持たないと言うのではなく、世間と言う捉えどころのない、得体のしれない、人間のエゴが作り出した環境に囚われない。そういうところから関係のない生き方をしたいと言う事です。
これは、あくまでも自分の生き方の目標であって不可能なことです。それは“悟り”の境地でしょう。それに、悟ってしまえば“仏様”になるので、もう生きている必要がなくなります。不可能だけどそうありたいという“生き方”の方向性です。
僕の記事の僕の言葉
“ほとんど私は、絶望的に世の中を見ています。良い世の中なんて来ないでしょう。そもそも万人にとって“良い世の中”なんて決まった概念など存在しない。幻想ですね。ただ、生まれて死ぬ。それが生命の営みなのでしょう。
私には“答え(そもそも答えなど存在しないと思いますが)”は見つかりません。
かくして、自己保存欲求から個々の生命は生き残りをかけて、日々の生活で闘争にあけくれ、混乱が社会を構成する。そこから抜け出せない。“
>自己保存欲求から個々の生命は生き残りをかけて、日々の生活で闘争にあけくれ、混乱が社会を構成する。
自らが、世の中はおかしいとか、良い世の中にしなければと思って行動に移した瞬間からきっと自分の行っていることは正しいと”間違い”を犯すのだと思う。そこに囚われている以上テロリストも、正義のヒーローも同じであると言える。
この“矛盾”は身近なところから世界においても、全てにおいて解消できない。だから、戦争と混乱と束の間の平和そして混乱から戦争、これを繰り返す。
僕が思うには、世の中がおかしい(このように思うのは自由だが、行動を起こそうと思った時点でエゴを社会に強制することになる)と思い行動に移すときに、団体を作って社会運動にしてはいけない。その時点で方向を間違える。そして、団体(徒党を組む)を作ると修正が利かなくなる。いずれ偽善を行う“。
正しい事をしていると思っている迷惑な団体”(ご存じのように平和団体にも過激な団体が多い)になる。アクティブに動くほどこの要素は強化される。
極端に右寄りの人、極端に左よりの人は病気かもしれない。社会を変えようと思って、自分の信念が揺らがない人はきっと病気に違いない。そこまで自分は正しいと思える事自体が何か重大な病気に違いないと僕は思う。
ネガティブ思考の人が、鬱になったり、神経症になったりして病気とみなされるが、僕は、ポジティブ思考で行動的で、積極的で(エゴが)強い人は、出世したり、偉くなったりして、社会的な評価は高くなるが、これも実は病気だと思う。自分には力があり、その力を使い、人や社会をコントロールしたいというのは、うつや神経症の人が病気とみなされるのと同じように病気に違いない。ただ、そのような人は社会的評価が高くなるので、(嫌な奴でも)病気とはみなされない。それに変に強い人(自分が正しいと思い込んでいる病気)が多い。
では、知らんふりをすればいいのかって?
究極的には何か物事が起こってもとるべき行動(自らの意思を表明するだけ)をとったらそれ以上のことはしない。“知らんふり”をすることが一番だと思う。ここで言う“知らんふり”とはその問題に囚われない、振り回されない、短絡的な行動をとらないということ。世間は感情で動いているのでそこに流されない。
でも、人類はこれが出来ない。理屈の上ではわかっていても実際は出来ない。これは、個人でも同じ、鬱の人も、対人恐怖の人も、恐れなくていい場面で恐れ、どうでもいい場面で緊張する。これは、頭で理解していても、身体が反応する。すでに条件反射(育ってきた環境による)であり本能なのだ。これを改善するのは長期間を要する。それこそ数十年以上(すぐに良くなりたいと思っている人にはごめんなさい。事実は良くなるとかではなく、それは学びであり、成長しなければならないということです)。
アメリカで言うと、テロに対して報復しない。ということです。報復が新たなテロを生む。テロリストをゼロにしようとすればするほど、テロリストは増える。そもそもテロリストは絶対に根絶できない。テロリストという概念が曖昧。それに悪人は必ずいる。テロリストとの戦いは、絶対に終わらない戦い。テロリストは金儲けと恐怖で支配するため利用する道具(ツール)。自らは安全なところにいて、ワインを飲みながらゲームを楽しみ、お金や権力を手に入れる。
わかっているのにそうなる。
じゃあ、世の中をどうすればいいのかって?
結局のところ、全く分からない。
ただ僕なら、社会を良くしたいと思ったら、個人で活動する。個人でいろんなことを訴える。それを一生懸命やる。皆さんがどう思うかは関係ない。僕は、それでいいと思っている。
一人で活動するなんて、そんなことは無駄ではないか?と言われれば、無駄でもやると答えるだけだ。尤も、今そのようなことをするつもりはない、自分の中にそのような必然性が生まれれば、の話だ。
考えれば考えるほど、自己矛盾に突きあたってしまう。答えは見つからない。だから歴史は繰り返す。
“戦争と混乱と束の間の平和そして混乱から戦争、これを繰り返す。”
だって、残念なことに戦争や混乱を望んでいる人もいるのだから・・・。
いい世の中とか悪い世の中って、自分の立場によっても変わって来るし、考え方でも変わる。
世界は、存在し流れている。ただ、自己保存欲求に従って、自らが生き残ることが生命としてのあり方なら、利己的に生きていくしかない。
自分の家族を守るためだけに生きる。そして、闘争がはじまる。
この矛盾超えられる知的生命体はいるのか?宇宙の知的生命体ともし遭遇できるなら、これを超えた生命体の可能性が高いと思う。ただし、仲良くできるかどうかはわからない。
人間、人類の限界か?否、僕の限界だ。
平和は続くのか?平和の為に闘う矛盾。いつもここで思考停止。
目の前に困っている人がいて、自分にできる事があれば、あるいはそういう立場であれば助ける。自らの家族や、周りの人を大切に、幸せにする。それが答えかもしれない。
考えて考えて、考え疲れて、そしてまた考える。考えない人から見れば全く理解できない行動だ。答えが見つからないのに考えるなんてバカじゃないのって我ながら思う。
そんなこと考えても答えが無い。楽しく生きたらそれでいいじゃないか。もっと大人になれよともう一人の僕が、僕に言う。
そうなれれば苦労しないよ。ってもう一人の僕が答える。やっぱり僕は変な人なのだ。
飲んで寝よ。

ハウステンボス〜透明水彩画 水彩画