どう考えるか?代替医療と科学  医学情報

ある医師と医師のツイッター上の論戦をみて考えることがたくさんある。一方の医師(A医師)は、ガンを含むあらゆる病気は栄養障害だからそこを正せば、病気は治ると言っている。もう一方の医師(B医師)は、科学的に言ってガンがそんなことで治るはずがない。インチキ治療はやめろと攻撃的に批難している。そして、現代医学以外の全ての代替療法は取り締まり禁止しないといけないと過激な論戦をはっている。

そしてA医師はこの論戦に応じている。よく応じているなと感心する。どちらの意見も考えさせられることがある。そして、どちらもあっていいというのが僕の意見だ。この点でいくとB医師の取り締まれという意見は一方的すぎる。自由を制限している。科学が絶対ではない。

なぜかって?みんな自分の信じるものを信じている。どちらが正しいではない。科学的な人々は、否、科学的に言ってそれは間違いだと完全否定するが、科学はコペルニクス的転回でひっくり返ることは多々ある。なぜかというと、全体を把握できないからだ。試験管の中での出来事が、全体では機能しないことは多々ある。研究者と臨床医の見解が違うことは多々ある。皆さんの会社でも、営業と現場の感覚が違うことは多々あるはずだ。

専門医が全体を見られないところに不幸がある。全体と細部を関係づける医療が必要だが、専門性に特化するとその部分だけで情報が膨大すぎて全体を把握することすらできなくなる。全体ばかり見ていると、細部が見えなくなる。しかし、膨大な情報に振り回され、全体が把握できなくなることの方が弊害が多いような気がする。

このA医師とB医師の論戦は、徒労に終わる。なぜか?お互いに決して認められないからだ。

僕は、話しあえばわかるということは信じない。話し合っても絶対にわかりあえない。話し合っても解決できない場合は、話し合わないことだ。

どうすればいいかって?

それはお互いに認めることだ。そして知らんふりすることだ。

それのどちらについてどう思うかというのは、その情報を受け取った人々が考えること。どちらかが正しいではなく、判断するのは第3者。どちらを選んでもいい。それが右から左まで多様な考えを提示することになる。思考の幅として、どちらが広く自由だろうか?どちらかに偏ることで、思考が狭くなるとしたらそれが一番問題だ。

どちらか一方的に正しいと主張する人(一方的な考えはあってもいい。ただ、自分が絶対だ他の考えは認めないと言ってはいけない)は、自由を制限していることに気づかなければならない。自分で自分の首を絞めていることに気づかない。

このA医師とB医師の論戦をここで公表していないので、本文は何のことかさっぱりわからないと思うが、差し障りがあるので(一方の人がかなり攻撃的な方なので)公表はしない。

このB医師によると、僕など犯罪者扱いだろう。何しろ漢方を含む東洋医学というトンデモ医療に属し、毎回トンデモないことばかり書いているだろうから。

ただ、金儲けの詐欺的行為を行い患者の利益に反している人は僕も問題だと思う。それでも、あらゆる自由は保障されるべき。

僕はそう思う。
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