なるほど
病気が良くならない人の病気は良くならないものだ。変な文章だが、
そうなのだ。
おそらくほとんどの病気は、心の問題だと思う。良くならない人は、自分の心の抑圧に苦しんでいる。心を開放できない。そして、いつか爆発する。激しい。
心はそう簡単には変わらない。ましてや変えようとするのは無理。その努力は実を結ばない。変えようとする努力は、噴火しそうな火山に無理やり栓をしているのと同じ。いつか爆発する。本当は抑えるのではなく、開放させてあげるといい。でも、心を開放することはとても難しい。なぜなら、社会的常識や立場、世間体や、ねばならぬ、こうすべきという思考に縛られて生きてきた上に、心を今まで抑えてきたので、一体自分が何を開放すればいいのかもわからない。自分が何をしたいのかもわからないのだ。だから、心を開放して自由にしなさいといっても、とまどうばかりになってしまう。自由をしらない人にとって、自由は恐怖そのものだと思う。
”ねぇママ。僕は一体何をしたらいいの?教えてよ”と言っているのである。その方が、自分で考えずに済むので楽なのだ。でも言っている通りにすると、わけのわからない苛立ちがたまってくる。抑圧に苦しんでいることに気づかないからだ。そして、ママみたいな人がいなくなったとき、一体どうすればいいのかわからずパニックになる。自分の頭で物事を考えたことがないからだ。
自分で何事も判断して動くことにより自由になる。しかし、責任を伴う。結構しんどいことだ。でも、このしんどさを受け入れたとき、はじめて自由が得られる。
病気が治らない人には特徴がある。と僕は思う。僕自身のことに置き換えて、考えても、そう思う。性格を変えるのは難しい。でも性格は変わる。学ぼうとする気持ちがあるならば。それには相当な時間がかかる。それは辛抱強く本当に地道なことだ。目先のことを考えたらきっとくじけると思う。
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そうなのだ。
おそらくほとんどの病気は、心の問題だと思う。良くならない人は、自分の心の抑圧に苦しんでいる。心を開放できない。そして、いつか爆発する。激しい。
心はそう簡単には変わらない。ましてや変えようとするのは無理。その努力は実を結ばない。変えようとする努力は、噴火しそうな火山に無理やり栓をしているのと同じ。いつか爆発する。本当は抑えるのではなく、開放させてあげるといい。でも、心を開放することはとても難しい。なぜなら、社会的常識や立場、世間体や、ねばならぬ、こうすべきという思考に縛られて生きてきた上に、心を今まで抑えてきたので、一体自分が何を開放すればいいのかもわからない。自分が何をしたいのかもわからないのだ。だから、心を開放して自由にしなさいといっても、とまどうばかりになってしまう。自由をしらない人にとって、自由は恐怖そのものだと思う。
”ねぇママ。僕は一体何をしたらいいの?教えてよ”と言っているのである。その方が、自分で考えずに済むので楽なのだ。でも言っている通りにすると、わけのわからない苛立ちがたまってくる。抑圧に苦しんでいることに気づかないからだ。そして、ママみたいな人がいなくなったとき、一体どうすればいいのかわからずパニックになる。自分の頭で物事を考えたことがないからだ。
自分で何事も判断して動くことにより自由になる。しかし、責任を伴う。結構しんどいことだ。でも、このしんどさを受け入れたとき、はじめて自由が得られる。
病気が治らない人には特徴がある。と僕は思う。僕自身のことに置き換えて、考えても、そう思う。性格を変えるのは難しい。でも性格は変わる。学ぼうとする気持ちがあるならば。それには相当な時間がかかる。それは辛抱強く本当に地道なことだ。目先のことを考えたらきっとくじけると思う。

第2回都城美術書道協会展 水彩画
是非、いらしてみてください。僕は1作品出品します。
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非電化珈琲焙煎器
を非電化工房http://www.hidenka.net/jtop.htmから購入し、完全無農薬の豆で自家焙煎して珈琲を飲んでいる。
この焙煎器は、本当に優れものだ。自分で淹れた珈琲は格別にうまい。焙煎してすぐ飲むので、酸化も少ない。
忙しいのに、手間隙かけるなんて、と思われるかもしれないが、忙しいから、手間隙かける時間が必要なのだ。
そして、心のゆとりが生まれる。
僕はいつか、身体に優しい、接着剤を使用しない、そして非電化の住宅を作りたいと思っている。夢だけど・・・。
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この焙煎器は、本当に優れものだ。自分で淹れた珈琲は格別にうまい。焙煎してすぐ飲むので、酸化も少ない。
忙しいのに、手間隙かけるなんて、と思われるかもしれないが、忙しいから、手間隙かける時間が必要なのだ。
そして、心のゆとりが生まれる。
僕はいつか、身体に優しい、接着剤を使用しない、そして非電化の住宅を作りたいと思っている。夢だけど・・・。

臓器移植法案からしゃぼん玉の観察
2009年06月19日
臓器移植法案
が可決された。難しい問題だが、僕は反対だ。
臓器移植という、命を材料にする考えは、かなり抵抗がある。
倫理的な問題も多い。一方では喜び、一方では悲しむ。
臓器移植が自由になれば、一体どこまで臓器を取り替えれば気がすむのか?際限が無くなる。遺伝子治療も、クローンの問題も同じ。どこまでするのか?
僕は臓器を提供しない。僕は臓器の提供を受けない。
やはり、一番問題が無いのは、自然にまかせることだと思う。
でも待っている人にとっては切実な問題。難しいですね。
○○さんから
きっと先生はこの話題で書き込みされるだろうと思っていまログインしました。
もし、我が子が移植しか道はないという状態だったら、、
もし、我が子が提供側にたつことになったら、、
本当に難しいですね。
今、「とくダネ」@TVで特集やってるのですが、長期脳死の子供さんをもつ両親の話。。。
3人の生活が「楽しい」とおっしゃってます。
脳死とされている1歳9ヶ月の本人の意思は両親に委ねられています。
ベストな選択は、、、、
やっぱりわかりません。
僕から○○さんへ
@脳死を人の死で本当にいいのか?
心臓が動いているときは、身体はまだ温かい。まさか死んだとは実感が無いはずだ。そこから臓器を取り出す。本当にそれでいいのか?人の死を都合で決めていいのか?これって都合のいい材料死ではないのか?
A臓器移植が自由になってもお金の無い人はどうすればいいのか?
お金持ちだけが移植できてそうでない人は移植できない。のはいかがなものか?
B臓器移植は本当に幸せか?
移植した後、免疫抑制で苦しんでいないか?移植が成功した後、拒絶 が起きたとき、本人は幸せか?天国と地獄と絶望味わう時間が延びる だけではないのか?
C臓器売買の犯罪への道を開いたのでは?
恐ろしいことが起こらないか?
D臓器移植が成功し、生き延びたとき本人は幸せか?
たくさんの善意を背負うことになる。本当に幸せか?それに、また臓器がダメになっとき、そのときはまた善意をもらうのか?そして、金さえあれば生き延びられるとしたら、それはいつどこであきらめるのか?順番を待っている人がいたとしたら、2度目は後回しになるのか?そもそも命に順番をつけていいのか?金がなくなったときか?善意を受けられなくなったときか?どっちにしても苦しむ。
E自然にまかせるという選択肢は法案にはないのか?
議論は尽くしたのか?決めてもいいが、議論は尽くしたのか?こういう問題があるが止む得ず決めたという補足が必要ではないだろうか?
僕から
E自然にまかせるという選択肢は法案にはないのか?
これは絶対に無い。なにしろ見捨てるという選択肢になる。哲学的には絶対これだが、実際上は、僕もこれは無理だと思う。だから、議論は尽くしたのか、補足をつけなくていいのか?と言いたい。
決めてもいいけど、議論は尽くしたのか、命を救うため、止む得ず決めたと、首相が言うべきではないだろうか。
移植を受けた人が生きていて良かったと思っているのかどうか(家族も含めて、受けた側も、提供した側も)、調査したのかも気になる。移植を受けた人は、この件について公には絶対にコメントできないと思うので、実状だけ把握すれば良いと思う。
僕の考えは余計だろうか?
○○さんから僕へ
医療が発達して(医療なのかは疑問ですが)不自然な形での生命存続からこんな不幸な結果になってしまった・・・・
ぬくもりがあって、機械に頼れば呼吸もできる。爪も伸びる。排泄もある。。。
昔なら「脳死」という言葉さえなかったのに。
この法案で、手放しで幸せな人がいるのでしょうか。
懸念される問題は山積みなはずなのに、外国から「自分の国で解決しなさいよ」そう言われて、場当たり的な可決、、、
それでも自分がかわいい議員の皆さんは議論すべくも、全てが可決前提での議論ですよね。。
本当に難しい問題。。。
○○さんから(上記とは別の方)
いろいろ議論はあると思いますが、現実に他の先進国ではすでに実行されているのですから、それらの国々がどんなガイドラインを敷いて、どんな制度で運用しているのか、というのは参考にならないんでしょうかね。
アメリカあたりなら、今日本で議論しているような問題はとっくに議論し尽くされているんじゃない? なぜ、先に実行している国々の実情を収集して、それを国民にわかりやすく開示しないのかな。年金問題で手一杯なんでしょうか、厚労省は。
○○さんから(また別の方)
本当に難しい問題ですが、私も反対です。
亜細亜の貧しい国では臓器売買が問題になっています。
日本で可決されたら・・・そういうルートが・・
子供がさらわれ、臓器を・・・書けません・・・。
僕から○○さんへ
僕もそう思います。この国は全く、どうなっているのか?
臓器移植を待っている子供を持っている方々は、臓器を待っている。
今にも死にそうな子供を持っている方は、臓器提供の対象者になる。
医学がすすんだばっかりに、全く持って複雑な世の中になりました。
出来ないことが出来るようになるのは、幸せと不幸を持ってくるのですね。
僕は思うんですけど、与党だ野党だ、反対意見だではなく、党首討論も、そうだけど、日本人は本当に議論が下手なんだろうと。
全くかみ合わない。臓器移植法案も、与党や野党も関係なく、臓器を移植すれば助かる命がある、こうすればいいと思うのだけど、こういう倫理上の問題がある。どうすればいいだろうか?問えば良い。そして皆で考える。
目標は決まっている。命を救うにはどうすればいいか?これが目的。だったら話し合えばいいではないか?とことん腹を割って、話し合う。その結果、こうなったと言えばいい。
命を救うには、こういう問題があるが、止む得ない。問題を認識していると言えばよい。世界中で行われているから決めました。という感じで、そこには努力の跡も、思考の後も、汗を垂らした結果も何も伝わってこない。○○さんの言うように、情報を開示したらいいのに。
後は、臓器移植ネットワークを強化し、過ちが出来るだけ、ないように運営すれば良いのではないだろうか?
余計な話だが、死後の世界が存在したとき、臓器を刻まれる自分を見なければならないかもしれない。もっともこの期におよんで、肉体には執着は無いと思うが・・・。それと、万が一、脳死判定を誤ったときは、と考えると恐ろしい限りである。
僕から○○さんへ
僕も反対です。同意見です。ただ、目の前で死にそうな命がある以上、仕方が無いでしょう。
臓器売買や、他人の死を願うことがあっては絶対にいけません。
2009年06月17日
しゃぼん玉の観察
長男、小学5年生が、お父さん透明人間ってつくれるのって言うので、お父さんは作り方知っているよ。見えるって言うのは、光が反射しているから見えるんだよ。赤いものは、赤く反射して、緑のものは緑に反射している。だから、反射しない全身を覆う服を作ってそれを着れば透明人間の出来上がりだ。
じゃ、作れる。どうすればいいかは知っているけど、反射しない素材が作れない。
僕が一番下のチビ(女の子)としゃぼん玉をしているとき、僕がしゃぼん玉って綺麗だな、どうして色が変わるのかな?と、何気なくつぶやいていると、長男が”反射しているからだよ”。だって。
そう反射しているんだよね。でも色が違うのは何故?
今朝、チビとしゃぼん玉を吹いていたら、気づいた。最初に出てくるしゃぼん玉は、透明で少し油が滲んだような色をしている。そのうち水色の変わり、青くなって、そして紫に変化し、黄色になり、今度は本当に透明になり消える。
なるほど、見る角度で色が変わっているわけではないようだ。
多分、しゃぼん玉の膜の厚さだと思う。
しょーもないことだけど、ちょっと感動した。僕はこんなことが好きなのだ。
閑人か。
○○さんからのコメント
シャボン玉、よく観察してますね。なるほど。
でも、光を反射しない服を着たら、黒々としたブラックホールのようなシルエットになりますよ、たぶん(笑)。
僕から○○さんへ
しゃぼん玉を一回吹いたら、たくさんしゃぼん玉が出来ます。その最初のしゃぼん玉と終わりのしゃぼん玉の色が違うのです。一個のしゃぼん玉でも、微妙に色が変化して消えるのかも・・・。
そうですよね。光を反射しない服を着ても、ばれますよね。向こう側が透けて見えるわけでは無いので、不自然な空間が出現する。でも、黒って、黒く反射しているんですよね。反射しないということは見えない。でも周りと違う。シルエットははわかるでしょうね。映画のプレデターみたいになるのでしょうか?
光を屈折させ、向こう側の景色が見えるようにしたら、透明に見えるのでしょうね。でもどこから見ても透明は難しいそう。
カメレオンみたいに、全身の服の色を、周りと同じに変化させると、見えなくなるかもしれません。でも、これも透明になったわけではなく、カモフラージュしているだけ。これは今の技術でなんとか出来そうな気がする。軍隊なんか研究しているのでは?
本当に透明になるには、透けて見えないといけない。やっぱり無理か?
こんなアホみたいなことばかり考えている。
1
臓器移植法案
が可決された。難しい問題だが、僕は反対だ。
臓器移植という、命を材料にする考えは、かなり抵抗がある。
倫理的な問題も多い。一方では喜び、一方では悲しむ。
臓器移植が自由になれば、一体どこまで臓器を取り替えれば気がすむのか?際限が無くなる。遺伝子治療も、クローンの問題も同じ。どこまでするのか?
僕は臓器を提供しない。僕は臓器の提供を受けない。
やはり、一番問題が無いのは、自然にまかせることだと思う。
でも待っている人にとっては切実な問題。難しいですね。
○○さんから
きっと先生はこの話題で書き込みされるだろうと思っていまログインしました。
もし、我が子が移植しか道はないという状態だったら、、
もし、我が子が提供側にたつことになったら、、
本当に難しいですね。
今、「とくダネ」@TVで特集やってるのですが、長期脳死の子供さんをもつ両親の話。。。
3人の生活が「楽しい」とおっしゃってます。
脳死とされている1歳9ヶ月の本人の意思は両親に委ねられています。
ベストな選択は、、、、
やっぱりわかりません。
僕から○○さんへ
@脳死を人の死で本当にいいのか?
心臓が動いているときは、身体はまだ温かい。まさか死んだとは実感が無いはずだ。そこから臓器を取り出す。本当にそれでいいのか?人の死を都合で決めていいのか?これって都合のいい材料死ではないのか?
A臓器移植が自由になってもお金の無い人はどうすればいいのか?
お金持ちだけが移植できてそうでない人は移植できない。のはいかがなものか?
B臓器移植は本当に幸せか?
移植した後、免疫抑制で苦しんでいないか?移植が成功した後、拒絶 が起きたとき、本人は幸せか?天国と地獄と絶望味わう時間が延びる だけではないのか?
C臓器売買の犯罪への道を開いたのでは?
恐ろしいことが起こらないか?
D臓器移植が成功し、生き延びたとき本人は幸せか?
たくさんの善意を背負うことになる。本当に幸せか?それに、また臓器がダメになっとき、そのときはまた善意をもらうのか?そして、金さえあれば生き延びられるとしたら、それはいつどこであきらめるのか?順番を待っている人がいたとしたら、2度目は後回しになるのか?そもそも命に順番をつけていいのか?金がなくなったときか?善意を受けられなくなったときか?どっちにしても苦しむ。
E自然にまかせるという選択肢は法案にはないのか?
議論は尽くしたのか?決めてもいいが、議論は尽くしたのか?こういう問題があるが止む得ず決めたという補足が必要ではないだろうか?
僕から
E自然にまかせるという選択肢は法案にはないのか?
これは絶対に無い。なにしろ見捨てるという選択肢になる。哲学的には絶対これだが、実際上は、僕もこれは無理だと思う。だから、議論は尽くしたのか、補足をつけなくていいのか?と言いたい。
決めてもいいけど、議論は尽くしたのか、命を救うため、止む得ず決めたと、首相が言うべきではないだろうか。
移植を受けた人が生きていて良かったと思っているのかどうか(家族も含めて、受けた側も、提供した側も)、調査したのかも気になる。移植を受けた人は、この件について公には絶対にコメントできないと思うので、実状だけ把握すれば良いと思う。
僕の考えは余計だろうか?
○○さんから僕へ
医療が発達して(医療なのかは疑問ですが)不自然な形での生命存続からこんな不幸な結果になってしまった・・・・
ぬくもりがあって、機械に頼れば呼吸もできる。爪も伸びる。排泄もある。。。
昔なら「脳死」という言葉さえなかったのに。
この法案で、手放しで幸せな人がいるのでしょうか。
懸念される問題は山積みなはずなのに、外国から「自分の国で解決しなさいよ」そう言われて、場当たり的な可決、、、
それでも自分がかわいい議員の皆さんは議論すべくも、全てが可決前提での議論ですよね。。
本当に難しい問題。。。
○○さんから(上記とは別の方)
いろいろ議論はあると思いますが、現実に他の先進国ではすでに実行されているのですから、それらの国々がどんなガイドラインを敷いて、どんな制度で運用しているのか、というのは参考にならないんでしょうかね。
アメリカあたりなら、今日本で議論しているような問題はとっくに議論し尽くされているんじゃない? なぜ、先に実行している国々の実情を収集して、それを国民にわかりやすく開示しないのかな。年金問題で手一杯なんでしょうか、厚労省は。
○○さんから(また別の方)
本当に難しい問題ですが、私も反対です。
亜細亜の貧しい国では臓器売買が問題になっています。
日本で可決されたら・・・そういうルートが・・
子供がさらわれ、臓器を・・・書けません・・・。
僕から○○さんへ
僕もそう思います。この国は全く、どうなっているのか?
臓器移植を待っている子供を持っている方々は、臓器を待っている。
今にも死にそうな子供を持っている方は、臓器提供の対象者になる。
医学がすすんだばっかりに、全く持って複雑な世の中になりました。
出来ないことが出来るようになるのは、幸せと不幸を持ってくるのですね。
僕は思うんですけど、与党だ野党だ、反対意見だではなく、党首討論も、そうだけど、日本人は本当に議論が下手なんだろうと。
全くかみ合わない。臓器移植法案も、与党や野党も関係なく、臓器を移植すれば助かる命がある、こうすればいいと思うのだけど、こういう倫理上の問題がある。どうすればいいだろうか?問えば良い。そして皆で考える。
目標は決まっている。命を救うにはどうすればいいか?これが目的。だったら話し合えばいいではないか?とことん腹を割って、話し合う。その結果、こうなったと言えばいい。
命を救うには、こういう問題があるが、止む得ない。問題を認識していると言えばよい。世界中で行われているから決めました。という感じで、そこには努力の跡も、思考の後も、汗を垂らした結果も何も伝わってこない。○○さんの言うように、情報を開示したらいいのに。
後は、臓器移植ネットワークを強化し、過ちが出来るだけ、ないように運営すれば良いのではないだろうか?
余計な話だが、死後の世界が存在したとき、臓器を刻まれる自分を見なければならないかもしれない。もっともこの期におよんで、肉体には執着は無いと思うが・・・。それと、万が一、脳死判定を誤ったときは、と考えると恐ろしい限りである。
僕から○○さんへ
僕も反対です。同意見です。ただ、目の前で死にそうな命がある以上、仕方が無いでしょう。
臓器売買や、他人の死を願うことがあっては絶対にいけません。
2009年06月17日
しゃぼん玉の観察
長男、小学5年生が、お父さん透明人間ってつくれるのって言うので、お父さんは作り方知っているよ。見えるって言うのは、光が反射しているから見えるんだよ。赤いものは、赤く反射して、緑のものは緑に反射している。だから、反射しない全身を覆う服を作ってそれを着れば透明人間の出来上がりだ。
じゃ、作れる。どうすればいいかは知っているけど、反射しない素材が作れない。
僕が一番下のチビ(女の子)としゃぼん玉をしているとき、僕がしゃぼん玉って綺麗だな、どうして色が変わるのかな?と、何気なくつぶやいていると、長男が”反射しているからだよ”。だって。
そう反射しているんだよね。でも色が違うのは何故?
今朝、チビとしゃぼん玉を吹いていたら、気づいた。最初に出てくるしゃぼん玉は、透明で少し油が滲んだような色をしている。そのうち水色の変わり、青くなって、そして紫に変化し、黄色になり、今度は本当に透明になり消える。
なるほど、見る角度で色が変わっているわけではないようだ。
多分、しゃぼん玉の膜の厚さだと思う。
しょーもないことだけど、ちょっと感動した。僕はこんなことが好きなのだ。
閑人か。
○○さんからのコメント
シャボン玉、よく観察してますね。なるほど。
でも、光を反射しない服を着たら、黒々としたブラックホールのようなシルエットになりますよ、たぶん(笑)。
僕から○○さんへ
しゃぼん玉を一回吹いたら、たくさんしゃぼん玉が出来ます。その最初のしゃぼん玉と終わりのしゃぼん玉の色が違うのです。一個のしゃぼん玉でも、微妙に色が変化して消えるのかも・・・。
そうですよね。光を反射しない服を着ても、ばれますよね。向こう側が透けて見えるわけでは無いので、不自然な空間が出現する。でも、黒って、黒く反射しているんですよね。反射しないということは見えない。でも周りと違う。シルエットははわかるでしょうね。映画のプレデターみたいになるのでしょうか?
光を屈折させ、向こう側の景色が見えるようにしたら、透明に見えるのでしょうね。でもどこから見ても透明は難しいそう。
カメレオンみたいに、全身の服の色を、周りと同じに変化させると、見えなくなるかもしれません。でも、これも透明になったわけではなく、カモフラージュしているだけ。これは今の技術でなんとか出来そうな気がする。軍隊なんか研究しているのでは?
本当に透明になるには、透けて見えないといけない。やっぱり無理か?
こんなアホみたいなことばかり考えている。

しゃぼん玉の観察


長男、小学5年生が、お父さん透明人間ってつくれるのって言うので、お父さんは作り方知っているよ。見えるって言うのは、光が反射しているから見えるんだよ。赤いものは、赤く反射して、緑のものは緑に反射している。だから、反射しない全身を覆う服を作ってそれを着れば透明人間の出来上がりだ。
じゃ、作れる?
どうすればいいかは知っているけど、反射しない素材が作れない。
僕が一番下のチビ(女の子)としゃぼん玉をしているとき、僕がしゃぼん玉って綺麗だな、どうして色が変わるのかな?と、何気なくつぶやいていると、長男が”反射しているからだよ”。だって。
そう反射しているんだよね。でも色が違うのは何故?
今朝、チビとしゃぼん玉を吹いていたら、気づいた。最初に出てくるしゃぼん玉は、透明で少し油が滲んだような色をしている。そのうち水色の変わり、青くなって、そして紫に変化し、黄色になり、今度は本当に透明になり消える。
なるほど、見る角度で色が変わっているわけではないようだ。
多分、しゃぼん玉の膜の厚さだと思う。
しょーもないことだけど、ちょっと感動した。僕はこんなことが好きなのだ。
閑人か。

感動したこと

ある人とのメールでのやりとりです。
この仕事をしていてよかったと思います。
僕からあるお医者さまへ
いつもお世話になります。
○○さんのデータです。
神経過敏、首、肩のコリがとれないという主訴で昨年の5月に来院しました。最初は、こだわりが強く、食事をした後、箸の置き場がわからないとか、パソコンをしてもマウスの置き場がわからない。どこに置いても納得がいかない、行動するたびいちいちこだわる、人に会いたくないという状態で、うち(当治療院)にきてもトイレに10分以上入ってから出てこないことが多々ありました。
チタン及び金のてい鍼(てい鍼とは刺さない鍼です。ていとは押さえるという意味です)およびカウンセリングで週に1回の治療を行いました。
最近は訴えが少なくなり非常に良くなりました。本人も良くなったことを実感しているようです。
リンパ球が30%台にのってきたのでもう一息です。リンパ球数が1800台になればもっと良くなると思います。
2008.6.6
白血球総数 5500※顆粒球81%(4456)リンパ球19%(1045)
7.12 5200 68%(3536) 25%(1300)
9.12 5400 61%(3294) 29%(1566)
2009.4.25
5000 59.6%(2980)30.5%(1525)
※は難病の人がこのような数値になります。かなりのストレス状態だったと思います。
ありがとうございました。
新型インフルエンザ対策、医療機関は大変ですね。
お医者様から僕へ
先日来院され、全く普通の人になっていました。吉田先生、ご立派!
磯でヒラスズキヲを3匹釣ったとのこと。サラシにこだわりがみられますが、結果を出しているので病気ではありませんね。
佐多に遠征したら、あちらの魚は胃袋にキビナゴが入っていて、産卵後といえども栄養状態良好です。今の時期でも岸寄りに居るようで、お勧めですよ。
僕からお医者様へ
○○先生
そうですね。もう普通の人です。治療間隔も2週間に1回にしました。
釣りをはじめたばかりで、ヒラスズキを釣っているところを見ると、頭が非常にいいんだと思います。
医者になりたいそうなので、がんばれと言っています。
先日も、80cmと60cmのヒラスズキを釣り上げたそうです。60cmのヒラスズキを貰いました。
とてもおいしい魚ですね。釣りに行く余裕がありませんが、行きたいですね。
(仕事ではなく、子供たちの行事が忙しくて、それに先生のようにパワフルではありません)
ありがとうございます。
僕から○○さんへ
先日はありがとう。とても美味しかった。
汁と、そのまま焼いて、塩コショウで食べました。
ビールを飲みながら食べました。脂がのってとても美味しく、そして、○○君が良くなって、魚を釣ってきて、それを頂いていると思うと、涙が出るくらいうれしく、ビールを飲みながら、感動しながら食べました。
治療家冥利に尽きるとはこのことです。
これから、自然体を身につける学びの旅です。答えはありません。完成もありません。自然体を身につけたら多分悟りの境地、仏様です。
自然体を求めることが学びです。死ぬまで学びましょう。
いいことも悪いこともあります。いい時も悪いときもあります。
これから治療に来たとき、良くなったけど苦しい時は、かっこつけずに
苦しいと言って下さい。
また、それから学べばいいのです。
ありがとう。
○○さんから僕へ
こんばんは。メーラーの時計がおかしくなっています。
現在、夜の8時半です。今日もゴルフのアルバイトに行ってきました。
喜んでもらえて光栄です。
もう僕はヒラスズキは食べることに飽きてしまったので喜んで食べてもらえるとありがたいです。
先生の所に持っていくのは、少しでも魚の好きな人に食べてもらいたいからです。その方が魚のいい供養だと思うからです。
なのでこれからも釣れたら持っていきますね。
○○さんから僕へ
喜んでもらえるとますます釣る意欲がわきます。
今先生のメールを受け取ってちょうど一年前を思い出しました。
あの頃は本当にきついでした。
しかし先生の所に初めて行ってクラシックの音楽が流れる中、治療を受けた時を今でも思い出します。先生がかけられる言葉が何よりも嬉しく安心できました。
僕も自分の夢に向かって、けど気負いせずにそのまんま、そのまんまで
行きたいと思います。
また治療に行ったときにでも魚の味の感想や調理の仕方を聞かせてください。
僕から○○さんへ
○○君の返事とても嬉しい限りです。
○○君の返事には、心がこもっていて、とても気持ちが伝わってきます。
僕は本当に今の仕事が大好きなのです。かっこつけているわけではなく、本当にお金は2の次です。稼いだお金が治療院の為に使われてしまう。だから、貧乏です。かみさんには申し訳ない。本当に不思議なくらい、金ではない。
○○君もそんな仕事を見つけてください。金が無くても幸せを感じるはずです。
○○さんから僕へ
先生のポリシーは分かりますし、本物だと思います。
じゃないと僕は先生の所に通っていません。
僕は神経質な性格上かいい意味でそういうところの感受性が強いような気がします。
鹿児島に帰ってきて2箇所ほど治療院に行きましたがやはり何か違和感を感じ行かなくなりました。
今も情けなどで通っているのではありません。やはりまだ肩、首の凝り感、意識が強いので間隔を空けながらでも先生の所に通って自分でも良くなるようにしつつ方向性だけはつけてもらいたいと思っているので。なのでもう少し自然体になってきたら一ヶ月に一回、二ヶ月に一回みたいな感じにしたいと思っています。
僕も先生のような仕事を見つけたいと思います。
先生の所に通って色々話をしてから、今アルバイトをしていてとても人間関係が楽になりました。
楽になったと考えるより、完全ではないですが変にかっこつけないで済むようになりました。
気負いせずにコツコツと頑張っていきたいと思います。

しゃぼん玉

最近、子供といっしょにしゃぼん玉をしていると、光に反射して、風に乗って、青空を飛んでいくしゃぼん玉って本当に綺麗だなと思う。
単純だけど、絵に描いてみた。もっと複雑な色をしていたと思うけど、しゃぼん玉は待ってくれない。頭に色が残っているうちに色をつける。もっと輝いていたのに・・・。
どんなものでも、輝きは一瞬なのかも知れない。だから綺麗なんでしょう。
それこそ15分くらいの落書きでしょうか。

翼の家と源敏彦氏
建築家の中岡氏からhttp://naaa.biz/お誘いを受け、彼の設計した、翼の家ー2の見学に行った。中岡氏はこの田舎に住んでいながらも既成概念に捉われず、斬新な発想で建物を建て続けている。前回の”翼の家”は、雑誌「プラスワンリビング」にてグランプリを受賞している。
重ねて、彼の友人である、イタリア在住の彫刻家 源敏彦氏 http://www.minamoto.it/
も参加して、そのデザイン性の高い、建築物の中で、彼の作品である彫刻を数点展示していた。
中岡氏の設計した翼の家と彫刻家 源氏のコラボレーションだった。
とても楽しくお話をさせて頂いた。
見学会が終わってから、源氏を囲んでの食事会(飲み会)になり、色んなお話をさせて頂いた。集まった人たちがとてもユニークな人ばかりで、気がつけば午前様だった。月に1度は飲みに行くのだが、こんなに飲んだのは久しぶりだった。
飲みすぎたのに、今朝はそれほどきつくない。なるほど美味しいお酒は、後に残らないものだ。
源氏の作品は、都城市民ならかならず目にしたことがある。市役所にある大きな大理石のモニュメントは源氏の作品だ。もっと広い場所に展示してあると作品が映えるのだろう。彼の作品はイタリア全土に及んでいる。
3
重ねて、彼の友人である、イタリア在住の彫刻家 源敏彦氏 http://www.minamoto.it/
も参加して、そのデザイン性の高い、建築物の中で、彼の作品である彫刻を数点展示していた。
中岡氏の設計した翼の家と彫刻家 源氏のコラボレーションだった。
とても楽しくお話をさせて頂いた。
見学会が終わってから、源氏を囲んでの食事会(飲み会)になり、色んなお話をさせて頂いた。集まった人たちがとてもユニークな人ばかりで、気がつけば午前様だった。月に1度は飲みに行くのだが、こんなに飲んだのは久しぶりだった。
飲みすぎたのに、今朝はそれほどきつくない。なるほど美味しいお酒は、後に残らないものだ。
源氏の作品は、都城市民ならかならず目にしたことがある。市役所にある大きな大理石のモニュメントは源氏の作品だ。もっと広い場所に展示してあると作品が映えるのだろう。彼の作品はイタリア全土に及んでいる。
