内蔵感覚  


 一日の仕事が終わり、今日も一日よくがんばったと思いながら、夕食を食べながら飲む一杯目のビール。胃袋に流し込んだ瞬間”生きてて良かった”と思える至福の時。大げさなようだが、これが内臓感覚であり、人間そのものである。
内臓感覚そのものが原始感覚であり、人間そのものの本質をあらわしている。

人は内臓感覚で生きている。例えば飢えた感覚を想像してみるとよい。飢えから逃れること=生きるなのだ。さて、多くの日本人は、この内臓感覚を忘れているかもてあそんでいる。つまり、いつも満足しているか、グルメと称してもてあそんでいる。そこには生きることを喪失した日本人の姿が見える。少資源で食糧自給率の低いこの日本は、すぐそばに飢えが転がっていることに気づかない。内臓感覚これを充分に感じることが生きることにつながる。内臓感覚を喪失した状態が、生命を軽んじる事態を引き起こす。そして贅沢な病が発生する。世界中は飢えている。僕たちはその上に成り立っている。

 多くの人が病を抱えている。それは怒りや憤りを身体で表現している。そうしないと心が壊れてしまうからだ。中にはすこしだけ心を壊し、重大な身体的な病気から身を守っている場合もある。あなたは何か、怒りや、憤りを抑圧していないだろうか?

感情の表現が自由であり、それを周りの人も許してくれるような精神性の高い文化が存在すれば、多くの病は消失するだろう。人類はまだ、そこには行き着かず、自らの葛藤と闘っている通過点にいる。だから時代は混沌として混乱に陥っている。病が消失するには多くの気づきが必要である。


6




AutoPage最新お知らせ