今回のテーマは、アメリカでは避けて通れない問題
「人種差別」について。
でも、ちょっと重いテーマなので、
思いっきり軽っる〜いトピックと合わせてみました。
実はワタシ、大学の

キャンパスクイーン

になってます。
・・・2回も


。
はい、証拠写真。
あ、Kawazu というのは、私の旧姓ね。
別人って? そりゃ、今と比べると10sぐらいは・・・ってコラ!)
<序論>
4年生のある日、生徒会執行部から呼び出し状が来た。
「スーツ着て、エスコート付きで、フットボール東西戦に来い」
なんでスーツ? なんでフットボールゲーム?
この手の行事は、うるさくて苦手なので、入学してから一度も行ったことが無い。
しかし、執行部の正式な呼び出しなので、しぶしぶ、宣教師の息子にエスコートを頼み、ゲームに行った。
ハーフタイムで、スタジアムの中央に呼び出され、横を見ると、ゴスペルアンサンブルのチームメイト達や、チアリーダーの子など数組並んでいる。
次々名前が呼ばれ、皆が拍手する。
何だ、何かの表彰式か。でも、声楽コンクールのなら、この間のチャペルであったし、何の表彰だろう・・・??
最後に私と、チームメイトのジュリアが残った。
とっても魅力的な子で、歌も上手く、性格も良く、大好きな子だ。
そしてジュリアの名前が呼ばれ、「キャ〜!

」
という大歓声が起きた。
おっ、彼女が何かに選ばれたらしい、おめでとうジュリア!
と思って拍手をしていたら、私のエスコートが慌てて、
「サラ、アンタがクイーンだよ!!」と叫んだ。
へ?
つまり、ジュリアは2位だったわけね。
私のヒアリング力の弱さ、勘違い力の強さは有名なので、大爆笑だった。
あ、お断りしておくが、これは美人コンテストではないのであしからず。
単なる人気投票です。がっかり?
ちなみにこのクイーン選びは、学校創立当初からの伝統行事らしく、
2,3週間前、わざわざチャペルの後に投票してた。
興味なかったので、リストにあった4年生の女の子達の名前に、
適当に○つけて、出した記憶が・・・。
皆は大騒ぎだったが、私は至って冷静だった。
だって、この栄誉は皆の勘違いに基づいていると、とっくに気づいていたから。
日本人で背格好がそっくりの、「モデルのように綺麗な」友人がいた。
私は時々、大きな舞台でソロを歌うが、ステージは遠いので客席から良く見えない。
それで彼女は私に良く間違えられた。
「サラ、今日のチャペルのソロ、とっても良かったよ」っていわれたから、
代わりにサンキューって言っといたよ〜。
と、ユーモアでかわしてくれる、ステキな人だった。
あの得票の半数は彼女のポイントなのだ。
さて、前のクイーンはすでに卒業しているから、学長から冠をもらい、
オープンカーに乗せられて、スタジアムを一周し、
このアメリカ的バカ騒ぎは終わるはずだったが・・・
ここから私の苦難の一年が始まる。
<本論>
私はどうも、外国人or有色人種として初のクイーンだったらしい。
寮に帰ると、韓国人と中国人の留学生の女の子たちが、大喜びで、泣きながら祝福してくれた。彼らは口々に、今まで受けていた差別の悲しみと、同じアジア人の私が受けた栄誉の喜びを語った。賢く、我慢強い子達だったので、悩んでいるとはつゆ知らなかった。ショックだった。
私の語学力では、複雑な差別用語などは分からないが、雰囲気でうっすらとは感じていた。でも英語が堪能な彼女達は、アメリカに来た当初からそれらが理解出来てしまったので、心傷ついていたのだろう。本当のカルチャーショックとは、相手の考え方の違いが判ったときから始まると言われている。
現代のアメリカ社会では、人種、とくに肌の色については、触れることすらタブーになっている。日本人は平気で、「黒人」「白人」「黄色人種」などの言い方をするので、ドキッとすることがある。「アフリカ系」「ヨーロッパ系(ドイツ系とか、北欧系とか)」「アジア系」など、出身地で呼ぶのが正解だ。肌の「色」云々は厳禁だ。
人種が権利を制約するのは、現代社会では人権問題になるので、就学、就職、居住などで差別されることは、表面的には無くなった様に見受けられる・・・結婚を除いて。地域によるが、異人種間の結婚と、それにつながる交際においては、人種間の線引きは強く残っていると感じた。北ではほとんど無いと聞いた。しかし、大学のあった中西部、大学院のあった南部と、南に行くにつれ、その傾向は強いのではないかと思う。異人種間で付き合っていると思われるだけで、人格を疑われてしまうとも聞いた。
だから肝の小さい白人男子(と私は思うのだが)の中には、アジア系やアフリカ系の女子と「親しくしている」と思われるのがイヤで、無視したり、邪険な態度をとったりする輩がたまにいる。
そういう連中は、女の子のランク付け(もっぱら容姿、特に髪の色で分ける。1ーブロンド 2ー黒 3ー茶 4ー赤・・・ect. みたいな。で、その下に、アジア系、アフリカ系とつづく)にもこだわったりする。付き合ってる女の子のランクが高ければ、自分も格が上がると思ってる。こーゆー薄っぺらいのは無視するに限る。
こんな連中にモテても、迷惑だし。
ところが・・クイーンになってしまった翌日から、周囲の雰囲気が一変してしまった。
格付けのヒエラルキーを、私は一気に駆け上がってしまったらしい。
(この、ヒエラルキーを駆け上がる行為、これが言わば「アメリカンドリーム」。)
今まで、話しかけても見向きもしなかった人が、道の反対側から大声で呼んだり、
わざわざ反対方向の教室まで、教科書を運んでくれようとしたり・・・見え見え。
急に態度を変えた人だけでなく、今まで親切にしてくれた人達すら、その心中を疑ってしまうようになった。
それでもクイーンたるもの、嫌な顔をせず、ニッコリと優雅にしていなければいけない。クイーンらしくしなければ、「やっぱりアジア人は・・・」と思われてしまう。
だんだん、「見られている感」が「見張られている感」に変わり、苦しくなって行った。実体の伴わない名誉というのは、なかなか大変なもの。
幸い、ツアーで定期的にキャンパスから離れることが出来、チームもある意味、「人気者」だらけの集団なので、さしたる変化はなかった。アフリカ系も、ネイティブ・インディアンも、メキシコ系もみんないるので、それを乗り越えてトップに来る苦しさも、言わなくてもみんな知ってる。
こうして、遅蒔きながらカルチャーショックの泥沼にどっぷり浸かり、一年が過ぎた。
めでたく、フットボール・クイーンのタイトルを返還し、やれやれと思ったら、
バスケットボールの優勝戦で、もう一つのクイーンのタイトルをやるとな。
も〜ヤダ!
と思ったが、今度はキングも選ぶというので、しぶしぶ受けた。
キングにはオーストラリア・ツアーのリーダーをしていた、デーヴィッドが選ばれた。
彼はイランへの宣教師の息子で、顔はアメリカ人だが中身はイラン人。
骨のある子だが、頑固なので、ボーカルコーチをしていた私と良くぶつかった。
キングの冠は手作りのようで、少しブカブカで可笑しい。
(クイーンのティアラな、市販のちゃんとした物、うふふ)
「ザマアーミロ」と思いっきり笑ってやった。彼はかなり嫌がっていた。
二人でお雛様みたいにひな壇に座らせられて、バスケットの試合を見ながら、
アメリカのバカバカしい文化の悪口を言い合って、溜飲を下げた。
今度は平和な一年だった。
クイーン稼業が板に付いたということか・・・。

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