今日はすき焼き。
作りながら、1年の時のクラスメートの事を、ぼんやりと考えていた。
彼女は、ミシガン州デトロイト出身で、お母さんが日本人。
外見は全くの日本人なのだが、英語しか話せないので、なんだか不思議な感じ。
彼女は良く、「ママの手料理」を思い出しては、ホームシックになっていた。
それは・・・すき焼き。
秋の感謝祭休暇の時、彼女の家に招待された。
お母さんは、「日本語がしゃべれる!」と大歓迎してくださった。
戦後まもなく、家族の反対を押し切って国際結婚し、無我夢中で渡米。
英語はなんとか話せるようになったが、未だに全く読み書きが出来ない、
と、嘆いておられた。
出産、育児で学校に行けず、英語が出来ないので、満足な就職口も探せず・・・
ご主人の勤務先のGM(ゼネラルモータース)の工場でなんとか雇ってもらった。
日本に帰りたいけど・・・と、寂しそうだった。
次の日、家族で買い物に行った。
後部座席で手持ち無沙汰だった私は、なんとなくガムの包み紙で鶴を折っていた。
寂しい時は、私は日本から持ってきた折り紙で、良く鶴を折った。
まだ英語で満足にコミュニケーションが出来ず、会話の輪の中に入れないとき、
折った鶴をあげると、みんなとても興奮して、いっぺんで仲間に入れてもらえた。
だから、いつの間にかヒマさえあれば、折鶴のストックを作るのが習慣になっていた。
すると突然、「わ〜! 同じ事してる!」と友人が叫んだ。
助手席のお母さんも、鶴を折っていた・・・やっぱ日本人だね。
友人は次の学期に戻ってこなかった。
ママのすき焼きが、いつでも食べられる近隣の大学に行ったのかもしれない。
あのころ活気のあったGMも、今は大変なことになっている。
お母さんは、お元気だろうか。

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