入寮したのは、真夏の西日がガンガン照りつける四人部屋でした。二つの二段ベットが部屋の両側にあり、作りつけの机とクローゼットがひとり1セットずつで、部屋は満杯。二部屋が洗面台とトイレ&シャワーの有る小さな通路でつながっているという面白い造りでした。だから、実質8人部屋?(この変わった構造のせいで、時々大騒ぎになるのですが・・)私は少し遅れて受付したので、便利な下のベットは全部埋まっていて、上の段にとりあえず持てるものは全部持ってよじ登って、しばらくボーゼンと周りを観察しました。
まあー、そのうるさいことうるさいこと。興奮したアメリカのティーンエイジャーの女の子たちが、何十人も何かをマシンガンのようにケタタマしく叫びながら、フロア中の部屋を行ったり来たり。わたしといえば、訳も分からず、枕をかかえて、これからどうなる事かと怯えてました。その時、一人のちょっと落ち着いた雰囲気の子が、シャワーから出てきて、髪を拭きながらすっきりした顔で、`Much better`(マッチベター)と言ったんです。
すぐには分からないので、頭の中で一語一語翻訳。「えーっとマッチはたくさんで、ベターはより良いだから、今まですごく暑くて気持ち悪かったけど、すっきりして気分がずっと良くなったわー、って言う意味だ。分かった。うれし〜い!」こんな調子でした。
浜崎あゆみ似の彼女の事、今もよーく覚えています。親切だった彼女は、実は上級生だったのに間違ってフレッシュマン(1年生)の寮に登録されていたので、残念ながら1週間で上級生用の寮に引っ越してしまいましたが。
そうこうしている内に、みんなさぁっといなくなり始めたので、慌ててついていきました。夕食のためにカフェテリアに行く時間だったのです。
見よう見まねでお盆をとり列に並んでいると、みんなにこにことなにやら話しかけてきます。後で分かりましたが、陽気なアメリカ人は、みんな自己紹介をして友達をバンバン作るんです。久しぶりの人同士、ハッグやらキスやらもう、どこを見ても挨拶だらけで、食堂内はハチの巣箱かって思うほど。
でもなにを聞かれても、「イエス」も「ノー」も言わず、ただひたすらニコニコ笑っている私・・。2,3年たって英語にも少し慣れ、ジョークのつっこみも出来るようになった頃、「あの頃のキミはおもしろかったなぁ〜。いつもスマイルだったから、てっきり話わかってると思ったら、全然だったんだもん」とよくからかわれました。ふーんだ、人の気も知らないで。日本に来てみろ。天神の街ん中置き去りにしてやるー!とは言うものの、将来宣教師として外国に行くために勉強している人も多かったから、みんな結構優しかったですよ。留学生も多くて、電気ポットやら、電子レンジでいろいろ料理作って夜中に食べたり・・・。
そして、入寮3日目、入学式の終わり、いよいよクラスがスタートしました。朝7:30、1時間目の授業開始(早!)5時間目が終わると午後1時。昼食をカフェで食べると、午後から仕事に行く人が多いのです。大学の授業料は自分で払うという人が、アメリカの大学は多いみたい。だがら、本当に勉強したい人が行くという感じ。社会人になって、また、定年退職や、兵役を終えて入学という人もいるので、年齢も経歴も多種多様。当然授業も活発なディスカッションが多く、授業も自由に選択できる科目が多いのです。宿題も小論文形式で、本を読む量も半端ではありません。
そして私は・・・初日から全くお手上げ。教授の講義が全く聞き取れない。(やっぱりね)ここで、皆さんに疑問が「なぜ、こうも英語が出来ない人が、大学に入れるわけ?向こうの大学ってそんなに簡単に入学出来るの?」ね、思ったでしょう?お答えします。
今はシステムが大分変わったけど、(向こうでトラブルになった留学生がいっぱいいたらしいので)あのころは、TOEFL(英語圏に留学する人に課せられる英語のテスト)の代わりに、ACTテスト(高校卒業時に受ける学科試験)を受けることが出来たのです。ACTを自国で受けられない生徒は、紹介状と中学、高校で英語を就学した証明書でも良く、大学に入る時にACTを受けて、その結果で英語の授業のレベルを決めたり、教養科目を飛び級したり出来ました。
だから、私もACTを受けた口なのですが・・解けたのは数学だけ、しかも数式が書いてあるぶん。だって文章題だと問題が読めないんだもん。かくして、入学は許可されたものの、英語は単位なしの入門クラス。でも、文法だったのでこんな私でも楽勝。常にトップで、いつも先生にすごくほめられた。「ゼンゼン話せないサトコがこんなにがんばってるのよ。みんなも頑張りなさい」ってね。なんせ中学英語だもん。優越カーン!
でも、他のクラスは・・・涙の次号へ

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