ぐっさんが・・・
○ぐっさん
昨日の課外授業「ようこそ先輩」はとても勉強になりました。
芸人の山口智充さんが、母校の小学校を訪ねて授業をしました。
タイトルは「一日を楽しくする方法を見つける」
10日後までに、宿題を3つ出します。
一つ目はモノマネ。
二つ目は、物遊び。(身の回りの道具を使ってボケる)着眼点を変えて物を見る大切さを学ぶ。
三つ目は毎日ひとつ「何か楽しかったことをひとつ日記に書くこと」
すごいことでなくていい、「今日は角を上手く曲がれるようになった」とかでいい。
とても素敵な宿題で、みんな目を輝かせて発表します。
三つめの日記を書いた感想を述べた子供の中には「毎日書いているとひとつでは書き切れなくなった。」と言う子もでてきます。
ぐっさんはまとめにこういいます。「一日一個、楽しいことをみつけて365日続ければ楽しかった一年になるんですよ」
子供たちとってもすばらしいプレゼントになったと思います。
大人になるほど、ちいさなことに楽しさを見つけるのが下手になります。
小さい頃は、何十円しかしないお菓子やおもちゃでも、もらったら大喜びでした。
○ちょっと歴史話へ
冒頭の言葉、どこかで聞いた言葉だな。と思ったら、高杉新作の辞世を思い出しました。
「おもしろきこともなきこの世をおもしろく」
松下村塾で久坂に勝てず、安政の大獄では師の吉田松陰先生を失い、クーデターに成功したものの幕府との戦いに負け失脚したにも関わらず、奇兵隊をそしきして、幕府とわたりあった、高杉はものすごい前向きな人間だったんだと気付きました。
そう思い出すと、更にすごいスーパーポジティブな歴史上の人物を思い出しました。
豊臣秀吉。司馬遼太郎の「太閤記」を読むと、いかに秀吉の幼少期が悲惨だったか想像できます。人間扱いされない、動物以下の存在だったのではないでしょうか。
信長に仕えた以降の話は、天下をとってもからも昔話で皆にしたそうですが、幼少期の話はあまりにもみじめすぎて、決して語らなかったそうです。
そんな環境の中、信長の存在もあったのでしょうが、関白にまで上り詰めます。
決して秀吉は、生まれた場所から離れて成功したわけではありません。
彼は、動物以下の存在であったことを誰もが知っている中で、それを乗り越えて昇進していきます。やはりものすごい前向きな人だったでのしょう。
人は困らなければ、変わりません。
そして、変わろうと思う人もいれば、もうこのままで、と諦める人もいるでしょう。
鉄人中村天風先生は、お弟子さんのこう言われると悲しかったそうです。
「先生のおかげで、心配ごともなく、毎日たのしく生活できるようになりました」
「そうではない。」といいます。
「私から学んだおかげで、どんなつらい時でも、困難になっても、つよい気持ちで乗り越えられるようになりました」と答えられる人が本当だ。といいます。
成功するということは、そういうことなのかもしれません。
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昨日の課外授業「ようこそ先輩」はとても勉強になりました。
芸人の山口智充さんが、母校の小学校を訪ねて授業をしました。
タイトルは「一日を楽しくする方法を見つける」
10日後までに、宿題を3つ出します。
一つ目はモノマネ。
二つ目は、物遊び。(身の回りの道具を使ってボケる)着眼点を変えて物を見る大切さを学ぶ。
三つ目は毎日ひとつ「何か楽しかったことをひとつ日記に書くこと」
すごいことでなくていい、「今日は角を上手く曲がれるようになった」とかでいい。
とても素敵な宿題で、みんな目を輝かせて発表します。
三つめの日記を書いた感想を述べた子供の中には「毎日書いているとひとつでは書き切れなくなった。」と言う子もでてきます。
ぐっさんはまとめにこういいます。「一日一個、楽しいことをみつけて365日続ければ楽しかった一年になるんですよ」
子供たちとってもすばらしいプレゼントになったと思います。
大人になるほど、ちいさなことに楽しさを見つけるのが下手になります。
小さい頃は、何十円しかしないお菓子やおもちゃでも、もらったら大喜びでした。
○ちょっと歴史話へ
冒頭の言葉、どこかで聞いた言葉だな。と思ったら、高杉新作の辞世を思い出しました。
「おもしろきこともなきこの世をおもしろく」
松下村塾で久坂に勝てず、安政の大獄では師の吉田松陰先生を失い、クーデターに成功したものの幕府との戦いに負け失脚したにも関わらず、奇兵隊をそしきして、幕府とわたりあった、高杉はものすごい前向きな人間だったんだと気付きました。
そう思い出すと、更にすごいスーパーポジティブな歴史上の人物を思い出しました。
豊臣秀吉。司馬遼太郎の「太閤記」を読むと、いかに秀吉の幼少期が悲惨だったか想像できます。人間扱いされない、動物以下の存在だったのではないでしょうか。
信長に仕えた以降の話は、天下をとってもからも昔話で皆にしたそうですが、幼少期の話はあまりにもみじめすぎて、決して語らなかったそうです。
そんな環境の中、信長の存在もあったのでしょうが、関白にまで上り詰めます。
決して秀吉は、生まれた場所から離れて成功したわけではありません。
彼は、動物以下の存在であったことを誰もが知っている中で、それを乗り越えて昇進していきます。やはりものすごい前向きな人だったでのしょう。
人は困らなければ、変わりません。
そして、変わろうと思う人もいれば、もうこのままで、と諦める人もいるでしょう。
鉄人中村天風先生は、お弟子さんのこう言われると悲しかったそうです。
「先生のおかげで、心配ごともなく、毎日たのしく生活できるようになりました」
「そうではない。」といいます。
「私から学んだおかげで、どんなつらい時でも、困難になっても、つよい気持ちで乗り越えられるようになりました」と答えられる人が本当だ。といいます。
成功するということは、そういうことなのかもしれません。
