足でいける?  

●そして翌日

前日、受験前の子供と一緒に寝たら、「いびきがうるさい。」と言われたので、
(前日のよりちゃん日記の続きです)

昨晩は自主避難して、私のいびきでも苦にせず寝られる、三男と一緒に睡眠。

これで解決を安心と熟睡。

しかし、朝起きてみると、一番風邪をひいていた長男が私の布団の中で寝ているではありませんか。

結局、受験前の次男と風邪ひきの長男が同じ部屋でねておりました。

「僕風邪治ったから大丈夫」といつものマイペース発言。

受験前は周りも気を使いますね。

我が家の三兄弟はみんな二つ違い。

つまり、来年は長男が受験、再来年は三男が受験、そして再再来年は繰り返して次男が受験。そうこれから数年毎年受験生がでるすごい家族です。

●足でいける

私が習っている池坊の家元池坊専永さんはいつもすばらしい話をされます。(もちろん直接習っていません

代々、家伝で「いけばなは足でいけよ」と言われる。そうです。つまり「自然をよくみなさい」ということだそうです。

[生け花で、松や梅をわざと折った作品をみて、いけばなを知らない人は「違う」「おかしい」と感じられるのではないか。]

[だからこそ、自然をよくみて折れるにしても、そえぞれの木をもっと深く見なければ、折れたすさまじさが表現できない。]とおっしゃられます。

[いけばなとは、いけばなをしならい人が「自然も美しいけど、いけばなもなんと美しいのか」と感動を得る作品でなければなりません。]

その言葉は庭づくりのデザインにそのままあてはまります。

昔情熱大陸に登場した外国人デザイナーが、日本の昔の風景を残そうと活動している場面がありました。

その中で、「伝統あるいけばなで、針金を釘をつかったり、無機質な材料と組み合わせて無理な形や色で作品をつくる華道」を批判的にみていました。

わたしも様々な流派をみて、時々「違うんじゃないかな〜」とみています。

家元はこう質問されます。

「いけなばと絵画や彫刻などの芸術の違いは何にあると思いますか?」

「いけばなと他が違うのは、いけばなは「有」から「有」、他は「無」から「無」であること。いけばなは、もともと自然に有るものを、いかに生かしていくがが大切になります。」

「いけばなの作品は売り買いができません。『生きているものを扱っている』ということ、『命あるもの大切にしないといけない』ということです。『無』ではなく、『命がある』ということ、『生きる姿がある』ということなのです。

私もいけばなを続けるうちに、花や木を切ることが、命を切る感じが少しですがするようになりました。

九州の温泉黒川温泉を再生された、後藤さんも自然の風景を作る天才です。

私は品川で一度、後藤さんの作った露天風呂を見に行ったことがあります。

木は造園屋さんの剪定した作られた形でなく、山の傾斜で育った自然の形。そして群れ。なかには、枯れた木をそのまま立てている場所もありました。

腕を磨くのに、形だけみていてはダメなことに気づく言葉「足でいけよ」です。
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