志村さんから学ぶ  

マネはどこまでOKなのでしょうか?

マネされた側は悲しいし、マネした側は幸せです。

もちろん、普段からいろんな設計やデザインをみて、いいものは写真をとったり、メモしたりします。

まったく最初から何もないところから、生み出すことって実際は無理があるのではないでしょうか?

かと言って、ものを作って、さも自分が全て作ったかのように自慢しても、その背景を知っている人は冷めてしまいます。何この人自慢してるんだろうって。

また、この競争社会。ある人が数日かけてやっと作った図面を、お客様が他の会社に見積りを出して他に頼まれてしまうこともあります。

同じことをやるのに、値段が高いほうがいけない。という理論は一方では善でも、一方ではアイデアを持っていかれた。と悪になる。難しい話です。

もちろん、フランチャイズに入会し、お金を支払ってマネしたり、学校や塾、研究会に入って学ぶことは、堂々と許されるマネもあります。

先日から芸人さんの本を2冊読みました。

島田紳介さんは売れるために、とにかく売れている芸人さんの話を舞台袖ですべてメモして分析した話が印象的でした。

売れ続けている人の理由を探し出し、それをマネすれば当然売れる。

まさにその通りです。もちろん同じギャグやネタは使えないでしょう。

テンポや間の取り方など、自分流に直して作るので、お客様にはバレナなくても実はマネをしている訳です。別の言い方をするとコツを掴んだとも言えるかもしれません。

紳介さんは、当時最も人気のあったB&Bさんからたくさんヒントをもらったそうです。さすがに洋七さんにはバレテいたそうです。

やはり上手くいくには誰しもコツがあり、さるマネでは、お客様も気づきますが、そのコツの部分まで深く掘り下げた、相手と自分しか気づかないものであれば、世間さえ気付かず、成功できるのではないでしょうか。

例えば、あるデザイナーの人がいて、どんなに表面上のデザインを教えてもらっても、いつまでたっても上手くならない。しかし例えばその人が生け花出身者なら、その人と同じ流派に入門して体験してみると、なるほど。と理解できる部分が出来てくるのではないでしょうか。

かりやさきさんのような花をアレンジしたいと思ってアレンジ教室に行くより、草月に入門してみる。

しかしいつまでもマネばかりしていても、いつか評価されない時が来ます。

志村さんは、物まね芸人がうれなくなるのは、マネに自分のオリジナルに変えていっていないからだ。と言われています。コロッケさんはまでいくと違うと説明しています。

40を過ぎると頭の中で考えて、物事を進めなくなる。(当に自分のことのようです)
と志村さんは言います。

1理屈よりまず行動
2身についたら今度はまねる
3猿真似したら、自分の考えを肉付けする

なぜなら、オリジナルがなければ高くうれない。徹底的にまねてまねてそれでもマネ氏切れないところに、自分のオリジナルがおぼろげながら見えてくる。

さすがに超一流の芸人さん、すばらしい話をされます。

例えば同業にすばらしい才能を持った人に会ったとき、

「俺には無理だ」と決め付けるより、徹底的に真似してみる。

ダメなら、自分の才能がないことに気付くことがもできる。

人のことを猿真似だと批評しているより、舞台袖で一生懸命メモをとり、分析している人の方が努力している。

伝説ドアマンといわれた、超有名なホテル経営者は最初配属されたドアボーイの時、お客様の名前を覚える為、休日お弁当を持ってお客様の会社まで行って、会社名と社長と運転手と車の種類を2000組8000個覚えた人の努力と同じではないでしょうか。

もちろん、マネは許されない部分もたくさんあります。法律的にも許されてものもたくさんあります。

しかし、学ぶという単語は、まねぶから来たという方もいます。

いつまでも相手にたよらない、オリジナルを必ずつくることを前提なら大目に見てくれるかもしれませんが・・・。
0




AutoPage最新お知らせ