思いがけない妻
○夜回り先生
家に帰るなり家内が、話し出す。
仕事も手伝ってくれているので、職場でも家でも一緒にいることが多いのだが、
その夜は多弁だった。
その日は、長男の中学校で夜回り先生の講演会があった。
普段は辛口の家内。
この本良かったよ。とか一緒に見たDVDも「まあまあ。あそこはちょっとおかしい。」
と単純に感動する私と違う。
お〜。
こういう場合は、うんうん。と話を良く聞いてあげることが、夫婦間のコミニケーションが良くなる。と本で読んだことがあるので。
もっぱら、聞き役に徹する。
普段と違うとカラかっても、すべて話し終わるまでは、真赤な顔をして感動した話を教えてくれた。
実例が多く、女子学生は結構泣いていたそうです。
でも、いろいろおもしろい話もあったらしく、
「キレイになりたい女の子手を挙げて」
「キレイになりたいのなら、25歳まではお化粧しないこと。すると毛穴がふさがってかえって肌が汚くなります。」
「その実例をお見せします。ハイ、皆さん後ろを見てください。」
後ろに座っていたお母さん方は苦笑と大爆笑だったそうです。」
私に話しただけでは、まだ興奮が冷め遣らなかったのか、塾から帰ってきた長男にも
「どう。感動した?」とさらにしつこく、聞いていました。
○メール
今まで拒否し続けた家内は最近やっと携帯を持ちました。
付き合ってから20年。結婚して10年余。
こんな面白い、メールを書く人とは思いませんでした。
携帯を嫌だ嫌だと言っていながら、
様々な小道具を使うや、内容は古武士風だったり、
なかなか一ひねりあります。
近くて遠きは夫婦の縁?


バッハ
○雪
今日も朝から、ジョギングしようと外に出ると、
外は真っ白。
ひさしぶりに積もった雪を見ました。
三兄弟の反応は思った通り。
「雪だよ〜」
長男。「ふ〜ん。」と返事だけして、寝たまま。
次男。「うそ」と叫び飛び起きて窓から外をみる。そしてすぐに寝る。
三男。「ふ〜ん。」といってしばらくたってから、外を見て、うれしくなって外に出る。
おもしろいですね。
血液型と言い、兄弟といい、それぞれタイプって本当にあんでしょうか?
○バッハ
鈴木慎一さん。ってご存知ですか?
日本のバイオリン教育の礎を築いた方です。
その鈴木さんが、残したこんなすばらしい言葉があります。
バッハは、「自分と同じだけ努力したら、私と同じくらいの作品は誰でもかける」
エジソンは「99%の努力と1%のひらめき」と言った。
私達は、70%の才能と30%の努力で成功すると思っている。
30%しか努力しなければ、エジソンの確率だと決してものにならない。
ある小学生がモーツアルトのコンチェルトを弾いている。
同時に始めた子供が4人居たが、親が家が遠いとか、塾に行かせるとか、さまざまな理由で辞めさせた。
もし、やめさせた親がそのモーツアルトを聞いたら、きっと後悔すると思う。
親の役割は、まだ自立できない年齢の子供たちに努力させることだ。
と言われたそうです。
ある華道家の写真集を見た。10年前の作品集と今の作品を比較したら、はるかに10年前の方が私は好きです。
忙しくて、作品作りや研究づくりする時間がなくなるのは、地位ができたり、有名人になったらしょうがないことでしょう。
でも努力が止まったら、どんな天才もいつか消えてしまうのかもしれません。それに気づいているから、努力を続けるのかもしれません。
日本で一番権威のある音楽評論家が、「もし孤島行くことになり、ひとつだけ音楽を持っていっていいなら、私はバッハのマタイ受難曲を持って行く。」と言っていました。
60曲近い曲から構成されるこの名曲は、教会で演奏され、聖書のマタイ伝をもとに、キリストの生涯を、音楽にあわせて、物語ったり、アリアのように独唱やコーラスで表現するものです。
かのチェロの神様と言われた、パブロカザルスもこの曲を最も大切にしたそうです。
受難曲はこれ以外に数曲もあり、大フーガなどのオルガン曲、シャコンヌで有名なバイオリンの無伴奏曲集。
そしてチェロの無伴奏組曲。もう有名な曲をあげたら、切りがありません。
そんな偉大なバッハも、モーツアルトのように、天才で常にひらめきで作曲していたと思っていたのですが、
バッハは、よく街に出て、当時女性や子供など大衆が歌っていた流行歌を、自分の曲に取り入れた話があります。
いつも、自分の才能で楽しく作品をつくり続けられたら、どんなに楽しいでしょう。
天才モーツアルトも、死ぬ直前は、貧乏で生活のために、必死に作曲したり、家庭教師や編曲のアルバイトをしたそうです。
努力をいかに、気持を切り変えて、楽しく続けられるか。
バッハノドリョク。ステキナコトバ。
カイシャノマドカラ


いよいよスタート
○ジャンケン
土曜の朝は、家族全員で食事。
といっても、我が家は毎朝6時50分から皆で朝ごはんを食べます。
朝のジョギングが終わって、子供達を起こし、全部の布団をかたずけるのが日課。
「じゃま〜」と叫びながら、哀れ子供達は、つぎつぎと起こされていきます。
特に子供達は、学校が休み。
恒例のジャンケン大会。2回連続して勝った人から抜けて、最後の人が洗います。
宿題も、部活も兄弟で一番やり、自己主張の強い次男。
恒例の年号カルタゲームでの10連勝中で一番のやり手。
その彼も、なぜかジャンケンは弱い。
今の所、5回やって、次男4回、長男1回、三男0回。
いつも他のゲームではかなわない、三男はなぜかジャンケンが強い。
結構、運が強いとか弱いとかあるのかもしれませんね。
「いつも僕ばっかり〜」今朝も半べそをかきながら、食器洗いをしていました。
○新年会のシーズンの1月も終わり、いよいよ2月。
今年の営業も本格的に開始です。
今月は、東京に4回出張。
それにともない、新年会も数えてみれば6回と、一年分をまとめて、飲んだので、かなり反省しています。
でも、自分の人生の師匠、デザインの師匠、花の師匠、庭の師匠、チラシの師匠、高校時代の師匠と、話が出来て充電ばっちりです。
でも、実践が大切。
松下幸之助さんが、
「泳ぎの名人から懇切ていねいに、3年間みっちり泳ぎ方の知識を教えてもらっても、
結局は、実際に水に入り、おぼえれて、水を飲み、死ぬような思いをして、初めて身につく。
知識を得て、自分のものにした気にならないように、気をつけなくてはいけない。」
ということを本に書いてありました。
これだけ、縁に恵まれているのだから、行動、行動。
そして感謝。
○海将
日露戦争で、203高地で多くの犠牲を出しながら、陸軍はロシアに勝ちました。
しかし、その後日本とロシアも再び、海でも戦いを始めます。
世界で有数の力を持つ、バルチィク艦隊との戦い。当時明治維新が行われてからそんな月日が経っていない日本。
しかし、負ければ北海道や対馬を獲られて、今の地図は変わっていただろうと言われています。
更に、ロシアは、数十隻の戦艦のうち1隻でも、目的の港に入れば目的を達成される戦いでした。
つまり、日本は相手を全滅させないといけない戦いでした。
それをやってのけた、海軍の対象は、東郷平八元帥。
この東郷さんの二つのエピソードがあります。
東郷さんを大将に選んだ理由に、「運がいいから」というものがあったそうです。
運というと、ついつい宝くじのように、確率で考えますが、結構大切な要素で、運がいい人になりたいですね。
それと、司馬遼太郎さんが、その戦いについてこんなことを書いています。
「日本の頭脳の方がすぐれていた。これは天性のそれをさしていない。
考え方という意味である。
弱者の側にたった側の日本が強者に勝つために、
弱者の特権である、考え抜く ことを行い、
さらにその考えを思いつきにせず、それをもって全艦隊を機動力にした。」
ことが勝利の要因だと記しています。
まさに、これこそ、仕事にしても、現場にしても、最も大切なことだし、事実をもって証明しているすごい文章だと感心しています。
ということで、実行、実行。
明治の日本人って本当に魅力的ですね。
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土曜の朝は、家族全員で食事。
といっても、我が家は毎朝6時50分から皆で朝ごはんを食べます。
朝のジョギングが終わって、子供達を起こし、全部の布団をかたずけるのが日課。
「じゃま〜」と叫びながら、哀れ子供達は、つぎつぎと起こされていきます。
特に子供達は、学校が休み。
恒例のジャンケン大会。2回連続して勝った人から抜けて、最後の人が洗います。
宿題も、部活も兄弟で一番やり、自己主張の強い次男。
恒例の年号カルタゲームでの10連勝中で一番のやり手。
その彼も、なぜかジャンケンは弱い。
今の所、5回やって、次男4回、長男1回、三男0回。
いつも他のゲームではかなわない、三男はなぜかジャンケンが強い。
結構、運が強いとか弱いとかあるのかもしれませんね。
「いつも僕ばっかり〜」今朝も半べそをかきながら、食器洗いをしていました。
○新年会のシーズンの1月も終わり、いよいよ2月。
今年の営業も本格的に開始です。
今月は、東京に4回出張。
それにともない、新年会も数えてみれば6回と、一年分をまとめて、飲んだので、かなり反省しています。
でも、自分の人生の師匠、デザインの師匠、花の師匠、庭の師匠、チラシの師匠、高校時代の師匠と、話が出来て充電ばっちりです。
でも、実践が大切。
松下幸之助さんが、
「泳ぎの名人から懇切ていねいに、3年間みっちり泳ぎ方の知識を教えてもらっても、
結局は、実際に水に入り、おぼえれて、水を飲み、死ぬような思いをして、初めて身につく。
知識を得て、自分のものにした気にならないように、気をつけなくてはいけない。」
ということを本に書いてありました。
これだけ、縁に恵まれているのだから、行動、行動。
そして感謝。
○海将
日露戦争で、203高地で多くの犠牲を出しながら、陸軍はロシアに勝ちました。
しかし、その後日本とロシアも再び、海でも戦いを始めます。
世界で有数の力を持つ、バルチィク艦隊との戦い。当時明治維新が行われてからそんな月日が経っていない日本。
しかし、負ければ北海道や対馬を獲られて、今の地図は変わっていただろうと言われています。
更に、ロシアは、数十隻の戦艦のうち1隻でも、目的の港に入れば目的を達成される戦いでした。
つまり、日本は相手を全滅させないといけない戦いでした。
それをやってのけた、海軍の対象は、東郷平八元帥。
この東郷さんの二つのエピソードがあります。
東郷さんを大将に選んだ理由に、「運がいいから」というものがあったそうです。
運というと、ついつい宝くじのように、確率で考えますが、結構大切な要素で、運がいい人になりたいですね。
それと、司馬遼太郎さんが、その戦いについてこんなことを書いています。
「日本の頭脳の方がすぐれていた。これは天性のそれをさしていない。
考え方という意味である。
弱者の側にたった側の日本が強者に勝つために、
弱者の特権である、考え抜く ことを行い、
さらにその考えを思いつきにせず、それをもって全艦隊を機動力にした。」
ことが勝利の要因だと記しています。
まさに、これこそ、仕事にしても、現場にしても、最も大切なことだし、事実をもって証明しているすごい文章だと感心しています。
ということで、実行、実行。
明治の日本人って本当に魅力的ですね。
