不合格  

残念だったね。

一年間本当に勉強したのに。


合格の歓声が上がる中、

番号がなかった。

どんな思い出その場に立ち尽くしただろうか。



1点差でも、不合格は不合格。

くやしいだろう。


この経験をあなたは生涯忘れないだろう。

もうこんな思いをしたくないから、がんばり続ける人は

もしかしたら、運良く合格した人より、

強さという、生きていくための大切な力を神様が与えてくれるかもしれない。


「運がいい人は一度おちるんです。

落っこちて、そこでもう一度勉強して、力をつけていく。

ところが運の悪いやつはそういうところを一度で越えてしまう。

だから、何も力がつかないのです。」(人間力を養う行き方より 山本一力)


順調な時は自分が完璧だと錯覚してしまう。

運がいい時もある。なぜだか、何事もうまく運ぶ。

たまたま、仕事がとれたり、合格することもある。


受験、就職、転職、結婚、別離。すべて上手く行き続けることはない。

大きな困難に会った時、挫折した時。

もう駄目だと思った時、

初めて、本気になって、自分の実力を知る。

そして、真摯に学びだす。


運 不運は紙一重。

次は絶対合格。


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泣くな良い子よ  

毎度お騒がせな三男君。

生まれついての行動家。

友達は50人いる。と豪語する社交家でもあります。


でもその彼も、常に家の外のいるため、勉強する時間がなく、

塾や学校の宿題がこなせなくなると、

おばあちゃんのところへ行って、訴えます。

「ぼく塾やめたい。家出する。」


上の二人はまったく問題なく、こなしていたのですが、

末っ子みんなに可愛がられる、彼はちょぴり甘えん坊。


塾の先生に聞くと、「授業中は友達とおしゃべりしてとても楽しそうですが・・・」

塾を辞めさせるのは、簡単ですが、これからの人生困難に会うたびに逃げてしまわないかと、心配です。


先日、山本一力さんの「梅咲きぬ」を読みました。

時代物で、江戸時代深川の料亭の女将が、4代目として成長していく話です。

その中にこの様な珠玉のセリフがあります。


つらい時は好きなだけ泣いてもいい。でも自分が可哀想だと言って哀れんではいけない。つらくて泣くのと、哀れむのとは違う。


若い頃本当に苦労した人でないと、分らない魂から出た読者に対するアドバイスではないでしょうか。

「他の友達は塾に行っていない。僕だけなぜ勉強しないといけないの。可哀想な僕。」

と思うのは哀れみ。

宿題がつらかくて泣いてもいい。でも自分を悲劇の主人公にしてはだめ。


これって大人の自分にも、ある感情です。


先日古田監督が引退会見で、「悲しいより、良い成績がだせず、くやしい方が大きい」と会見していました。

あの涙はどちらの涙だったのか。

一流の彼。きっと名監督になると信じています。


一流の料亭の娘に生まれたにも関わらず、踊りのお稽古先で7歳にも関わらず、掃除や言葉遣いなど徹底的にしごかれます。

「楽なことを覚えてはだめ。7歳で覚えたら、あとは一生もの。その歳で楽な方に走ることを覚えたら、後になって苦労するのはあなただ。


子供の教育に悩んでいる人に本当にオススメの本です。

自分を可哀想に思わない。

大切なことを教わりました。
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役者  

すっかり秋らしくなりました。

風にやわらかさ、香り、落ち葉が、変わった気がします。



日曜日朝テレビで二人の役者さんと一人の映画監督3人の座談会を見ていました。

俳優は、浅野忠信さんと踊る捜査線の特番で脚光を浴びた寺島進さん。

お酒が入ってかなり本音トークでした。


寺島さんは、今では北野武作品の常連でしたが、最初はオーディションだったそうで、

いつもやられ役専門特有の大げさなアクションをしていたら、それらを北野監督にすべてそぎはがれたそうです。

無駄な演技は不要でいかに自然な演技をするか、そのお手本が浅野さんだったそうです。

確かに無表情な演技の浅野さん。

よくオーディションに来る、劇団人同志の大げさな演技が嫌いで、普段通りの芝居をしたいといつも考えていて、

好きなハリウッドの俳優ジャック=ニコルソンや○○は普段もあの通りの生活をしているように演じている。

自分もそうなりたい。と彼らならどう演じるか考えてみたそうです。

「でも、自然そうに見えるけど、私の知っている普段の浅野さんとは違う」と映画監督は答えていました。


自然に見えるけれど、実は人が作ったもの。それが創作ではないでしょうか。

本当の自然には勝てない。でも芸術家や役者は挑戦してきました。


本当に自然のままでは、草も生え、土もくずれ、人の身近なところには存在できなくなります。

お庭にしても、華道にしても、やはり整然として美しいから、普段の生活の中に溶けこめる。

そうでなくては、車で1時間かけて、山まで行く距離に遠ざかってしまいます。


ある、評論家が、「華道は、本当の自然ではない。針金を使ったり、釘を使ったり無理に植物を使っている。」と書いているのを読んだことがあります。

確かに事実で、流派によっては100%事実と思われる作品もみられると思います。


でも、人は自然を自分の身近なところに取り入れる。

自然を観察し、創作していくことは、陶芸や絵画の世界とそう変わらない面もあると思います。

ただ、黒塗りの茶碗や、白塗りの茶碗より、それぞれの個性で描いた草や木が書かれた器に感動することがあります。


また、「自然がそのまま美しいなら、」と那須連山の山なみを塀にしたものを見たことがありますが、

それこそ、自然の美しさを分っていない、仕上がりになっていました。


芝居の話を聞き、人が作る自然の美しさを

いかに自分の現場に取り入れていくか。

それが、本当の美しい想像力であり、センスではないかと、話を聞いていました。

そして、その完成を常に磨く努力をする。

上手いとはいえませんが、池坊に通い、少しづつですが、見方が変わってきた気がします。



寺島さんは数年前まで、鬼怒川のウエスタン村で、西部劇のショーで打たれ役をやっていました。

縁によって、その人のすばらしい才能が開かれる。

自分では割れなかったが、殻の中にある強烈な個性や才能が、


普通の人の運命なら、大きく変えることが出来るほどの力を持ったひとが

啄木鳥のように、その殻の中身を敏感に感じて割ってくれる。

勿論割るだけで、引き立てるほど、甘くはないが。


いい演技をしますね。寺島さん。
















































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移るんです。  

朝時々散歩する道は、結構細いので車が一台しか通れず、

すれ違う時はお互い、譲り合っています。


先日、ある車が向うから来る車を待っていてあげたのに、

向うから荒く飛ばしてきた車が、挨拶もせず、通り抜けていきました。


脇から見ていた、私もマナーがないな〜と見ていたら、

やはり待っていた車の人もそう思ったのかもしれません。

急に運転が荒くなり、急発進して行きました。


移るのって、病気のウイルスのように、心と体だと体の様に物質間だけでなく、

心の色も移るんだな〜と見ていました。


車を譲るのは地域によって大きく違うといいます。

スーパーなどの駐車場から出てくる時、や曲がり角から出てくる時は快く譲る県と、

無視することが多い県ってはっきりしているようです。

栃木はどうでしょうか?


ある有名な経営者が、まだ会社が小さかった時、優秀な社員の人が少なく、社員の人がよく事故を起こしていました。

いくら口頭で注意してもだめでしたが、

ある日から、休みの日に家族で会社に出て、従業員の車を洗車したら、

数年で、事故の数が減ったそうです。


普段自分が見ているもので、心がキレイになったり荒んだりする実例だそうです。



朝何か機嫌を悪くすることがあったのかもしれません。

でも心のキレイさ、荒みは移るもの。

事件がおきなければいいのでなく、

よくよく気をつけないといけない。

そう思った朝でした。


























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びっくり  

誰もがびっくりした、退陣劇。

私は家に帰って知ったので、夜の9時頃知りました。


良く分りませんが、機械ではなく、人間ですから、

閣僚のいろんな人が辞めたり、自殺したりして、自分以外のことで

アレだけ叩かれたら、精神的にも健全でいる方が難しいでしょうね。


私もそうですが、2代目と創業者の苦労の差は本人が想像以上に大きい。

苦労していないので、純粋培養さた結果、テダレの人にかかると、やられてしまう。
特に年齢の上の人に。(勿論、支えてくれる人もいますが)

絶頂の時に、どん底の種が蒔かれている。のに、それまで恵まれて生きてきたので、それが当然の様に続くと思ってしまう。

でも、奥さんの心配そうな顔を見ると、早く普通の人に戻らせてあげたいな。

とテレビを見ながら感じていました。

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