木りん倶楽部  

木りん倶楽部という社名は

漢字の森を上と下に別けて、木林倶楽部と名づけました。

でも家内は銀行ではたいへんな様です。

「木りん倶楽部さま〜」と大きな声で呼ばれると、

どこかのスナックのママと勘違いされ、

おじさんさんたちの注目を受けるそうです。

「呼ばれて私がいくと、期待していたおじさん達のがっかりする様子がわかる」

とのこと。

大笑いしてしまいました。


これはお客様に電話する場合も同じ、

ご依頼を直接された方に社名を言ってやっとわかってもらえるのに、

他の方が電話を受けられた場合、ものすごく怪しく感じられるようです。

でもその通りですよね。


仕入先の会社に電話しても同じです。

担当者の行き着けのお店の請求かと勘違いされることが多いようです。


チラシをかれこれ10年近く蒔かせて頂いていますが、

はやく誰にも知られる会社にしようと決心するこのごろです。














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人事を尽くす  

朝の食卓ににぎやか。


今日の話題は、お見合い結婚か恋愛結婚がいいかについて。

家内がもし私と結婚しなかったら、お見合いで結婚したか、恋愛だったか?

という話になったら、


突然、三男が「そんなことしたら、僕生まれてない。」発言で更にエスカレート。

私があまり盛り上がらないだろうと思って話し出したのですが、意外や意外でした。

「もしも」の話はいろんな方向に飛び火します。


来月3月4日日曜日、午前の部は西川田の住宅展示場で、午後は日光街道のロッテリア隣のスマイポートさんで恒例の石原先生の寄せ植え教室を開催します。


今回は久しぶりに同日2回と、午後の部で初めてフラワーアレンジをするので、段取りで家内と相談していると、

小4の三男が、「やることに意義がある」と突然すごい発言をしてくれて、びっくりしたのと励まされました。

すこしづつ子供達も頼りになってくるものですね。


「人事を尽くして天命を待つ。」

大好きな言葉です。

最近人事の人ってどういう意味なんだろう。って、ふと考えました。

人間の人という意味もありますが、

私は、その後つづく天という意味の対称の意味が大切なのではないかと思っています。


私達ってどうしても、完璧を期してがんばることがあります。

でも、どんなにがんばっても人間は人間。

忘れもするし、ミスも犯す。悪気がなくても迷惑をかけてしまう。

だって神様でないから。


にも関わらず、完璧でないことを憂えたり、失敗するのが怖くて何もしなかったら生きがいがなくなってしまいます。

もし「人事を尽くして天命を待つ」ができもしない「天事をつくして天命を待つ」ならきっととっても疲れてしまう言葉になってしまいます。

人間は神様でないのだから、未来は予想できないし、完璧なことはできない。

完璧主義ではなく、素直に人間であることを認める方が、心が癒されます。

完璧主義者は自分だけでなく、他の人にまで完璧を要求しますから、人間関係もおかしくなります。


だから、尽くすという言葉に、たいへん意味があると思うのです。

真剣さがたりない。本気さが足りない。

自分がいくらがんばっていても、実は自分に限界を作っていたり、他の人から見たらまだ、真剣さがたりない可能性がありますよね。

昨晩「学校へ行こうMAX」で岡山の西大寺で行われる男祭の取材がありました。

祭は、必ずテレビでも取り上げる裸の男が2本の宝木を取り合う日本三大奇祭の一つです。

テレビでは、その小さい版の子供祭でなんとか、宝木をとりたい小学6年生を特訓するコーナーでした。

前年優勝者二人にしごいてもらうのですが、最初は遠慮して腰が引けて、全然ダメなのですが、大人祭の優勝者や多くのスタッフの人に励まされ、1時間後には粘りがでてきて、遠慮がなくなり、相手か宝木を奪い取ることができました。

うれしくて泣いています。実際本大会では宝木を取ることができませんでしたが、以前より前に前に出るようになり、なんとか触ることができたようです。

そのねばりが出てくる姿をみていると、だんだん本気さや真剣さ出てくるように見えます。

いかに自分で自分の限界を作っていて、その殻から自分が抜け出せるか。

その男の子は生まれつきの身長、体重、は無理でしょう。運動能力も急には難しいと思います。

これも人事。自分は神様のように、誰にも負けない力、スピード、体格を持っているわけではありません。

それを変えることは人事を天事に変える事。

できることを変える。取り組む姿勢を変える。もっと本気になる。

それが「人事を尽くして天命を待つ。」の本当の意味なではないか。と思ったのです。

まさに、あの有名な言葉「凡事徹底」と同じ意味が顕れてきました。


商売をしていても、お掃除など、当たり前のことを、徹底して行う。人がやらないほど、真剣に、継続していくと、そこにすごい力が生まれる。

人事の人はそういう意味ではないでしょうか。







































































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かわいい  

今日外環状線を走っていたら、となりの車にかわいこちゃんが二人乗っていた。

推定年齢2歳と4歳の女の子が助手席に、ちょこんと座っていた。

あまりにもかわいいので、「こんにちは」と話しかけたら、

窓を閉められてしまいました。

う〜んやはりもてない。


実は、私はこれを見てすごく怖かったのです。

その子達はシートベルトもせず、両手をフロントボートについて正座しているのです。

その脇ではお母さんらしい人が、なんと、

携帯電話をしながら、

更に・・・・・

日差し隠しについているミラーを見ながら、お化粧しているのです。


車も軽自動車、もう一発ですよね。


親もいつまで経っても子供なのか、気付かないんですね。


私も人のことを言える立場ではありませんが、

気付かず、今ではおかしいと思うことを、若い頃はたくさん犯してきたのかもしれません。

苦労が足らなかったのか、いつまでも子供のままの常識で生きてきたかもしれません。


イエローハットの創業者鍵山さんはこのようなことを話されています。

『来店されるお客様の中に何かと難癖をつけられるお客様がいます。

特にしつこく食い下がられるのは、社会的地位のある方です。

この人たちの共通点は、

「自分の言うとおりにならなければ許さない」

「人の言うことはまったく聞こうとしない」

「自分の基準でしか物事を考えられない」

「人のことはどうでもいい」

「しつこい」

考え方がせつな的で、判断基準は「自分だけ」「今だけ」

こうした人は、会社組織の中で自分だけ成績を上げるだけに躍起になってきた。

それだけに、自分以外の価値を容易に認めません。

当然人間だれしも、幸せを求めて生きています。

しかし自分だけでは幸せになれません。

そのためにはどうでもいいことはできるだけ譲ることです。』


ふと昔の自分を振り返り、どうだったか、思い出します。

会社を良くするために、安く仕入れる。無理を言う。

お客様にもご迷惑をお掛けする。

そんな30代を反省します。


鍵山さんはさらに本当の大人についてこう述べています。

『人間はいくつになっても幼児性が残っている。

80歳の人でも子供はいるし、12歳の人で大人がいる。

特に、幼児性が顕著に表れるのは「わがまま」

同じわがままでも「自分のわがまま」は許せるのに、「人のわがまま」は絶対許せない、という人がいます。

この人は、たぶん、たいした失敗も苦労もなく甘やかされて育った人ではないかと思います。』


・・・・・・・・・・

難癖の話といい大人の話といい、

すごく自省する内容です。


人の振り見て我が振り直せ。

自分の命だけでなく、子供の命までかかっているのに気付かない。


そんな人生を死ぬまで、気付かず終わるのでしょうか。








































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l今日という日  

「ふたたびは 来らんものを 今日の日は

  ただ ほがらかに 活きてぞ たのし

 悲しくば あす悲しまめ 今日の日は

  光うるおしく 吾を 照らすを」


とってもいい詩を見つけました.


今日だけは明るく元気に生きよう。

悲しいことや、心配することがあったら、明日悲しめばいい。

その代わり今日は、楽しく生きよう。

明日と言う日は永遠に来ない。

寝て明日になったら、明日が今日になるから。

自分の影を踏もうと追いかけているのと同じ。

悲しければ明日悲しめばいい。

こんな意味だと思います。

元気がでますね。

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感謝する心  

以前ある方から頂いた本を今読み直しています。

その本は松下幸之助さんの書かれた「人生心得帖」です。

ただ読むだけでは、あまり意味がないので、誠に勝手ながら5回に渡って、この日記に感想を書かせて頂きます。

幸之助さんが、体調を崩し、精神的に疲れをおぼえ、気持ちがはればれしなかった時があったそうです。

その話をある友人にしたら、「それは、君、憂鬱病だよ」と言われたそうです。

びっくりしたものの、あるいはそうかもしれないと、「原因はどこにあるのか」と尋ねると、

「君は喜びを知らないいんだ。もののありがたさを知らないだ。ぼくはそう思う。今の君の境遇は僕からみればきわめて恵まれている。けれども君は、それをそう恵まれた結構なことだとは考えていないようだ。そればかりか君自身が生きていくために欠かすことができないもの、たとえば空気といったものが、こうしてふんだんに与えられているということさえもありがたいとは感じていないと思う。だからそのようなさみしさに陥るのだよ。もしそのことに気付いて、ああ、ありがたいという気持ちになれば、この世は非常に楽しいものだということになって、少しぐらい心を煩わすような問題が起こっても、勇気凛々ということになると思うんだがね」

毎日忙しい日が続くと、ついつい自分の気持ちがマイナスになっていたり、弱気になっていても、気付かなくなります。

自分の気持ちの状態より、自分の環境ばかり気になり、難しい問題に捕らわれたり、起こりもしない未来に不安を持ったり、心配性になっている自分がいます。

また、昨日まで元気だったのに、どうも今日は気持ちが乗らないとか、気持ちは気まぐれです。

そう思うと、原因は何か考えてみると、やはりここのある通り、まず自分の心に感謝の気持ちがあるか、チェックしてみるのが、良いのかもしれません。

いろんないいことがあっても、慢心してもっと良くならないかと、現状に満足しない。不幸だと、なんで自分だけこんな目に会うのかと、他人や環境、運命のせいにしてしまう。

結局知らず知らずのうちに、感謝欠乏症という心の病にとりつかれていて、自分がその病にかかっていることすら、気付かないのではないでしょうか。

以前ある本を読んでいてこんな話がありました。

寝床に入って、自分が恵まれていると思うことを10個頭に浮かべる。

頭に思いつくのと、考えるの違います。

がんばって面倒くさがらず、頭をいいほうに考える努力をする。

大切なことなのでしょう。

でも、人間三日坊主。

そうすると、憂鬱病にあともどりなのかもしれません。

最後に幸之助さんもこの話をこう結んでいます。

「お互いに不安や怒りで心が暗くなった時、感謝の気持ちを忘れていないか、自問自答してみる。そのことも、人生を生きる大切な心得のひとつとい得るではないでしょうか」
















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