昨日・今日と会社の宿泊研修だった管理人です

。ウチの会社はお客さんのお金の使い込みや児童ポルノ販売等の不祥事の多い会社で、コンプライアンス(法令順守)に力を入れてる会社なんです。僕からしたらお客さんのお金を使い込むとか児童ポルノ販売なんてどう考えてもアカン事だと思いますが、そんな事をする人間がいてるから残された職員はコンプライアンス研修ばかり受講しなくちゃいけなくて大変なんです。しかも宿泊研修=夜の飲み会があって、またまた肝臓の調子が悪い管理人です

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で、その研修の際に貝塚市・三ツ松のだんじりの曳き手の方に「ホームページやってるんやろ」って言われました。何で僕って解ったんだろうか?非常に訝しく思えました。
で、祭り終わってから約1ヶ月経ちますし、「地車書庫」を開設したばかりなのでちょっと今年トピックがあった町を改めて研究・紹介したいと思います。まずは下出、下出と言っても既に深日へ嫁ぎましたが、とりあえず"下出"として御紹介したいと思います。
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下出 (しもいで・東鳥取四地区)
・新調:昭和61年 (同年9月7日入魂式)
・大工:吉岡利一氏
・彫師:木下頼定氏
・彫物:下記「彫物図柄解説」参照
・本幕:不明
・宮入:波太神社
◎ 地名「下出」の由来
この地付近の男里川一体を男里村と言い、下出は男里川の下側(下手)に位置していたので下手村、または下手地区と呼ばれていましたが、そこから段々と変わっていき現在の下出と呼ばれるようになりました。また昔は下出の事を大南組と呼ばれており、男里南組よりも南だからこう呼ばれていたと言われています。鎮守の八坂神社は明治41年に鳥取神社に合祀されています。しかしながら戦前までは八坂神社の社はあったらしいですが、現在では既に社はなく民家になっています。
◎ 先々代のやぐら
やぐらに関しては東鳥取村誌によれば昔は村が大きいのでやぐらも3台あったと伝えられている。往古は上組・下組の2台のやぐらがありその後1台に統合、先々代の下出のやぐらはひっくり返りゲンが悪いと言う事で売却。
◎ 先代のやぐら
先代のやぐらは大正12年に新調、しかしながらやぐらを曳く気運がなくなったため昭和38年に下出在住の個人にやぐらと極楽寺の仏像を付けて2万円で売却、その後しばらくやぐらはなく、祭りの日には下出地区だけ運動会をやっていたらしいです。
◎ 現在のやぐら
現在のやぐらは昭和38年のやぐら売却後23年ぶりに昭和61年に大工:吉岡利一氏、彫師:木下頼定氏によって新調、同年9月7日日曜日に波太神社にて入魂式を挙行しました。また下出のやぐらの彫り物は太閤記・根来合戦記を題材とし、また提灯は白地に赤の文字で「下出」という文字です。平成19年10月28日日曜日に神上式(昇魂の儀)を実施、同日深日1号へ搬出されました。
◎ 新調中のやぐら
平成16年3月14日日曜日に「やぐら新調祭手斧初式」を実施、平成20年に完成予定です。
◎ 彫物図柄解説
【大屋根廻り】
・鬼板 − 獅噛み
・懸魚 − 正面:鳳凰、 後ろ:雲に鶴
・車板 − 正面:柴田勝家 勇力、雲に富士
・枡合 − 正面:牛若 弁慶五条大橋の出会い、 右:新田義貞 稲村ヶ崎宝剣を奉ず、
左:楠公子別れ 桜井の駅
・欄間 − 左:堀尾茂助 勇力、 右:?
・柱巻 − 左:昇龍、 右:降龍
・幕板 − 左:根来合戦記、 右:?
・脇障子 − 左:阿形の唐獅子、 右:吽形の唐獅子
・兜桁 − 下出
・犬勾欄 − 正面:牡丹に唐獅子
・板勾欄 − 正面:牡丹に唐獅子、 左:倶利伽羅峠の戦い(火牛の計)、 右:?
・縁葛 − 波に千鳥
【小屋根廻り】
・鬼板 − 獅噛み
・懸魚 − 松に鷹
・車板 − 唐子遊び・雪だるま遊び
・枡合 − 正面:児島高徳 櫻木に歌を詠む、 右:曽我十郎、
左:日吉丸 蜂須賀小六の出合い
・欄間 − 左:根来合戦記、 右:今川義元 討死す
・太鼓周り − 雲に鶴
・幕板 − 左:堀尾茂助 勇戦、 右:木津川口の合戦
・板勾欄 − 梅,松,竹,牡丹
・縁葛 − 吽形の唐獅子
◎ 曳行パターン
・パレードの日 − パレードの日は石田宮本、黒田、鳥取中と合流し4町でパレードに参加、帰りは流れ解散します。
・1日目 − 1日目は午前からところ曳きと波太神社への宮入が、波太神社への宮入は石田宮本、黒田と一緒に曳行します。夜は波太神社や尾崎駅付近で石田宮本、黒田、鳥取中と一緒に曳行します。
・2 日目 − 2日目は午前からところ曳きを、夜は波太神社や尾崎駅付近で石田宮本、黒田、鳥取中と一緒に曳行します。
◎ 下出の略年表
大正12年−先代のやぐらを新調。
昭和38年−先代のやぐらを売却。
昭和61年9月7日日曜日−現在のやぐらを新調、波太神社にて入魂式を実施。
平成2年11月12日月曜日−天皇陛下御即位の礼に伴う記念曳行を実施。
平成5年6月9日水曜日−皇太子殿下御成婚に伴う記念曳行を実施。
平成7年10月11日水曜日−黒田と御神輿担当に当たる。
平成13年10月−四本柱等の修復を実施。
平成15年10月−コマを新調。
平成15年10月13日月曜日−黒田と御神輿担当に当たる。
平成16年3月14日日曜日−やぐら新調祭手斧初式(ちょうなはじめしき)を実施。
平成19年10月28日日曜日−やぐら神上式(かみあげしき)を実施、その後深日1号へ搬出。

平成16年3月14日
やぐら新調祭手斧初式を実施。

平成19年10月28日
やぐら神上式を実施。

平成19年10月28日
神上式後、深日1号へ搬出。
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で、先日(11月8日木曜日)の寄合の際に下出やぐら神上式の話もあって、その際に昭和61年のやぐら復活に奔走された方の話になりました。恐らく僕に「○○の人やでなぁ〜」って声掛けて下さった方だと思うのですが、やぐら復活にはホンマに奔走されたそうです。深日へのやぐら搬出の際には感極まってると勝手に予想しますし、こんな苦労をされた人間がいれると聞いた時点で涙腺の弱い管理人はちょっと涙ぐんでしました。神上式の際にちょっとだけ国道26号線を曳行しました。僕はビデオやらデジカメやらを撮影するのに必死で車にひかれそうになりましたが、ホンマは国道26号線をやぐらが曳行する事自体御法度らしく、でも最後やし勢いで曳いたと聞きました。普段は止めとくそうなんですが…。こんな方って貴重な存在ですし、もっとやぐら復活から始まる色々な苦労話を聞いてみたく思います。
この様な下出の歴史を御存知の方ってホンマ貴重ですし、僕もその様な次元に到達できる様努力しなくちゃいけないと、改めて襟を正した管理人でした。

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