昨日の
ブログからの続きですが、
クモハ52形撮影会も
室内の撮影に移りました。
↑11月9日
クモハ52形 JR西日本吹田総合車両所にて
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クモハ52形は、昭和32(1957)年4月に2両(
52004・
52005)が、同年9月には3両(
52001-52003)が北部の
伊那松島機関区に転属しました。
ここでは、
クハ47形などと組んで普通列車に使用されましたが、同年10月からは
飯田線を走破する
快速列車が設定され、
モハ52形はこれに使用されることとなって
豊橋機関区に転属となりました。
↑11月9日
クモハ52形 JR西日本吹田総合車両所にて
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豊橋機関区では、窓周りをオレンジ色、幕板と腰板をダークブルーに塗り分けた
快速専用色(
「静鉄色」)に変更されました。
塗色については後に
湘南色を経て最終的には
横須賀色となりましたが、この時の
モハ52形の塗り分けは
第二次流電竣工時と同一とされました。
↑11月9日
クモハ52形 JR西日本吹田総合車両所にて
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本系列のうち
戦災を免れた
18両は、改造を繰り返されながらも昭和50年代まで
現役で使用されました。
最初に
淘汰されたのは、
横須賀線から
京阪神地区に転出し、さらに
山陽本線岡山地区や
宇野線で使用された
サハ58形6両で、
除籍は昭和51(1976)年)度のことで、順次
吹田工場で
解体されました。
↑11月9日
クモハ52形 JR西日本吹田総合車両所にて
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飯田線で使用されていたもののうち、
豊橋機関区の
クモハ52形・サハ48形、
中部天竜支区、伊那松島機関区の
クハ47形については、昭和53(1978)年10月をもって全廃されましたが、それ以後も
伊那松島機関区に配置の
クモハ53007・
クモハ53008の
2両は、
旧形国電最末期の昭和58(1983)年8月まで使用されました。
名車流電モハ52の歴史を振り返ってみたら長くなってしまいました。いづれにせよ
吹田機関区で、このように大切に保存されているのは
嬉しいです。

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