孫達が8月26日(月)
香港へ
帰って以降、
散歩はそれまでから
毎日続けていたのですけど、
気持ちにゆとりが出来たのか、
周りの景色を
特に楽しむようになりました。
自宅を出て西へ
200mほど歩くと
夙川の河口に出れて、その河口の西側には
↓西宮回生病院があります。
↑9月3日
西宮回生病院 西宮市大浜町にて
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同病院の
創立は明治40(1907)年で、
歴史のある病院です。御存知の方も多いかと思いますが、
小説「火垂るの墓」(作=野坂昭如)にも登場しますね。
その小説では、
昭和20(1945)年6月の「東神戸空襲」で母を亡くした兄・清太と妹・節子を描いているのですけど、母の惨死を妹に知られたくなかった兄は、「母は空襲のけがで回生病院に入院している」とし事実を隠したと記されています。
↑平成27(2015)年7月頃
西宮回生病院 西宮大浜町にて
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↑平成27(2015)年7月に
取り壊された本館です。
西宮経済新聞から画像は借用しました。
回生病院は
戦災を免れるなど当時の面影を残してきましたが、平成7(1995)年1月17日の
阪神淡路大震災で
一部が被災しました。病院が
補修工事などを行いながら保存を図ってきたものの平成27(2015)年7月に取り崩され現在は
新館に建て替えられています。
私事になるのですけど、実は
ココ回生病院で
私の家人は
阪神大震災を罹災したのです。
1月17日が
胆石を取る
手術日でした。6人部屋の病棟で、
ベッドは
ゴロゴロと動き廻ったらしいのですけど
無事でした。
地震が起きた時には私は
現在の自宅では、なくて同じ
前浜町内の今・次男が住んでいる(実際は香港に赴任中で長女が居住)
マンション4階にいたのですけど、その
マンションも無事で
息子(長男)が
本棚の下敷きになっても
大ケガは、しませんでした。
次男や
長女、それと家人が
手術だったので介護に来ていた
義母共々
全員無事でした。
話が逸れましたけど、この
回生病院を
右手に観て
香櫨園浜(御前浜)に入ることができます。
↑9月3日
香櫨園浜(御前浜) 西宮市西波止町にて
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↑現在は、
防波堤の近くに
遊歩道も出来ていますけど、
昭和40(1965)年までは
香櫨園浜海水浴場があった
海岸沿いの
砂浜です。
https://www.nishi.or.jp/bunka/rekishitobunkazai/mukashiphoto/koroen.html
↑西宮市のHPに
昔の様子は載っていますね。
↑9月3日
香櫨園浜(御前浜) 西宮市西波止町にて
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↑昔、
海水浴場があった
香櫨園浜の
砂浜と、
西宮砲台です。こんな
旧跡を観ながら、
香櫨園浜の
一番東側から、埋立地の
西宮浜へ渡ることができる
御前浜橋を通過するのが
散歩コ−スです。明日に
つづきます。

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