2007/10/30

迷走する帝国  

・「迷走する帝国 ローマ人の物語]U」
著者:塩野七生
出版:新潮社
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このシリーズを、僕は1巻から最終巻(15巻)まで、ほぼ発売と同時に購入している。
大体、年末に発売されるのを、休日の一日を当ててジックリ読み、年内に本棚に納めるのを常としていた。

それが崩れ、購入しても積み上げておくだけになったのは結婚してから。気ままに一日を読書で過ごすってぇのがナカナカ難しくなっちゃったんでね(子どもが生まれたら尚更。笑)。
それにこの前の巻辺りから「ローマ」は衰亡への途を歩み始め、そういうのを読むのが何となく気鬱だったと言うのもあった。

しかしまあ、いつまでも書棚なの肥やしにしてても仕方ないしね。文庫化のほうも進んでるし、「ローマ史」を読むとき、その「衰亡」の原因を読まねば、画龍点睛を欠くというのもある。
で、本棚からこの重い一冊を取り出し、エッチラオッチラ、通勤電車の中で読むことにしたわけだ。

確かに題名の通り、「迷走する帝国」ぶりが本書では繰り広げられている。
何しろ73年で22人の皇帝が登場するのだ。しかもその大半の皇帝の死因が「謀殺」。
ペルシア帝国に捕囚される皇帝(ヴァレリアヌス)まで出てきて、あのリアリストの集団で堅固たるローマ帝国はドコへ、って感じだ。
時代としては蛮族の力が強くなる中、従来の元老院メンバーから選出される皇帝から、軍のスペシャリストである「軍人皇帝」の時代へと移行した期間になるのだが、「生みの苦しみ」とは言え、この迷走振りには目を覆いたくなる。そしてその向こうには、確かに「衰亡」の影が見えつつあるのだ。

「『ローマ人』が『ローマ人』でなくなってきた」
塩野七生は衰亡の一因をそう見ているようだ。
数々の国際情勢の変化に、リアリズムをもって対処しながら、「帝国」を「帝国」たらしめる方針の継続性は保って来た「ローマ人」たちが、この本の中では場当たり的な対処に右往左往する。
時にかつてのような強固な意志と実行力を持った皇帝を得るのだが(アウレリアヌスとか)、長期政権に至る前に謀殺されてしまったり、不運に見舞われたりするのは、過渡期ゆえの混乱なのかもしれない。
そしてその過程の中で、着実に「ローマ人」の変質が進行している。

「ローマ」の盛隆を読んできた身には、まあ読み進めるのが哀しくなるような一冊ではある。
しかし一方で「こういうもんなのかもしれないなぁ」とも思う。
激変する社会情勢を前にしてうろたえる姿は、あるいは「現代的」なのかもしれない。

塩野七生の硬質なロマンティシズムが、衰亡に向けてのローマの歩みをどのように描いていくのか。
それを楽しみにしたいと思う。

とは言え、やっぱりこの分厚い本を持ち歩くのはシンドイ(笑)。
続きを読むにしても、ちょっと間は空けることになりそうだ。



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