2009/11/19

なぜ「科学」はウソをつくのか  

・「なぜ『科学』はウソをつくのか 環境・エネルギー問題からDNA鑑定まで」
著者:竹内薫
出版:祥伝社

クリックすると元のサイズで表示します

最近の事業仕分けで科学技術関連の予算がバカバカと廃止・削減査定されたことに作者はかなり憤慨していた。
その様子がTwitterに流れ、本書を読んだ小飼弾氏が「この本を書いた作者がそんな風に怒るのはどうなの」みたいな一言を掛け、それに対して素直に作者が反応する一幕があって(詳細なヤリトリは覚えてないんだけど)、これはちょっと好感が持てる光景であった。

本書で、研究費について、作者はこう書いている。

<なんらかの形で「血税」を注ぎ込むべきかどうかを診査するシステムが必要になるが、残念ながら、そこに税金を出している側の「市民」が第三者的に参加するシステムはない。結局、科学者(の親分たち)と文科省の役人が研究費の配分を決めてしまう。だから、大学や研究所は、こぞって文科省の役人の天下りを受け入れようとする。彼らは「金」を背負っているからである。科学本来がもつ「社会の赤子」としての性格と、無駄に浪費される税金の問題は、いずれ、文科省の改革とともに必要となるだろう。>(P.199〜200)

「事業仕分け」は、ある意味で「そのとき」が来たとも言えるんじゃないかね。
今回の「事業仕分け」におけるヤリトリ、そこでの文科省の敗北は、上記の作者の問題意識そのままが噴出した事象のように思える。
まあ作者は「科学」を愛しており、「社会の赤子」としての「科学」の重要性を強く認識している。
だからこそ「事業仕分け」に対して強く憤ったんだろうが、「社会」に対してそのことを説明し、理解することを怠ってきたコレまでを思えば、その当然の帰結であったとも言えるんじゃないだろうか。
「国家のことを考える政治家ならば、そこまで見通すべき」ということかも知れないが、政治家だって万能じゃないからねぇ。
(勿論、「事業仕分け」は一つのプロセスであり、最後は「政治」が決めることになる。
そこで「逆転」がある可能性は否定しないが(理系内閣だしね)、文科省の説明能力の驚くべき低さ、組織の不合理さについては、今回の事業仕分けであからさまになっている(そういう意味では毛利氏の説明は素晴らしかった)。
ここにメスを入れる必要性があるのは間違いないし、そこは作者の問題意識と重なるんじゃないかね)

<本書は半自伝風の科学評論である。>(P.3)
<この本は、ボクの仕事の中では硬いほうに属する。よくもわるくも真面目な「科学評論」を集めたものだからだ。>(P.202〜203)

まあそういう本なんだけど、すごく読みやすいし、バランスも取れていると思う。
実名を挙げての科学者批判は、
「そりゃ煙たがれるだろうな」
とは思うけど(笑)、面白さという点では、結構貢献している。
それに言い分は作者の方に利があると思うしね。

こういう人物を科学界はもっと活用しなきゃダメだよな。
そうして科学ファンを増やし、そのことで科学に関連する「産業」の層を厚くしながら、社会の理解を深め、政策決定に影響を与えていく。
そういう「好循環」を作り上げることが早急に求められる。今回の「事業仕分け」が明らかにしたのは、そういうことだと思うよ。

別に狙ったわけじゃないだろうけど、「事業仕分け」のおかげで、本書は「ホット」な内容になっている。
一読の価値アリ・・・です。



teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ