2009/11/29

「インセンティブ」  

・インセンティブ 自分と世界をうまく動かす
著者:タイラー・コーエン 訳:高遠裕子
出版:日経BP社

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読み始めたころは、「他人に対して影響を与える」「外部から無意識に影響されないようにする」ようなことに関する法則やルールのようなものを読み取ろうとしていた。
でもそんなスタンスで読み進めると、何だか整理されてないようで、イライラて来ちゃうんだよね。
で、方針をガラッと変えて、挙げられているエピソードや考え方などを、「読み物」風に気楽に読んでいくことにしたら、ドンピシャリ。
非常に楽しく読むことができた。
まあそんな読み方がいいのかどうかは、判断できないけどさ(笑)。

印象としては「ヤバい経済学」に近いかなぁ。
経済学の理論・考え方を使って、日常的な「常識」を揺らがせる、という。
その中核となるのが「インセンティブ」という考え方で、作者は「内なるエコノミスト」という言葉で、我々の中にある「インセンティブ」の働きを印象付けてくれている。
(「インセンティブ」というのは経済的なもの(要は「おカネ」)には限らない。
そこには自尊心や虚栄心、自己愛なども含まれており、そのため、作者が挙げる例は単なる「損得」にはおさまらない事象が多く含まれる。
そういう観点からは従来の「経済学」とは意見を異にしているかもしれないが、「インセンティブ」が決定的要素を持つという構図を考えると、
「これは従来の考え方を、視点を変えてみただけで、構図そのものには変わりがない」
という見方もできると思う)

「自己愛」や「自己欺瞞」「シグナル」などをテーマにしたあたりは、結構「ふむふむ」と思いながら読むことができた。
思い当たることも少なくないし、参考にもできるなぁ・・・なんて感じながら。

でも「慈善活動」や「寄付」のことを論じたあたりは、なんだか座り具合が悪くなるような気分にさせられる。
「いや、確かにそうかもしれないけど、そこまでクールに分析せんでも・・・」
ベンガル人の乞食に施しをしたり、国民皆保険に向けたアメリカの取り組みについては、もちろん色々な意見はあろうが、基本的には「善」なる行為と思いたい。
・・・とは言え、本書の指摘を否定することも・・・。

と言う訳で、若干居心地の悪くなるこの後半の部分が、本書の最も価値ある部分かと。
(「マイクロ・クレジット」に期待している旨が書かれていて、ちょっとホッとした。すべての今の取り組みが空しいわけではないのだ、と)

こっから理論や法則を読み取って、副題の通り「自分と世界をうまく動かす」方法を手に入れる人もいるのかもしれない。
でも僕にとっては、この副題は「誤解を招く」。
僕が本書で読み取った「法則」は、
「人間は非常に複雑で多様性に満ちているので、何かを行う『動機』を考えるときは、慎重に広範囲まで思い巡らせる必要がある」
ってもの。
要は「簡単な法則はない」ってことやね(笑)。

気軽なエッセイとして楽しむのがいいんじゃない?

ってのが僕のオススメです。

2009/11/26

「うらなり」  

・うらなり
著者:小林信彦
出版:文春文庫

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漱石の「坊っちゃん」を、登場人物の一人「うらなり」から見た視点で描き、その後日譚も描いた作品。
作者自身の「創作ノート」が併せて収録されていて、作品の構成や意図はそこで十分に論じられているという、「感想」が書き難い作品ではある(笑)。
いや、実際、本作のポイントってのは、この「創作ノート」に尽きるといってもいいね。
坪内祐三氏の「解説」も加えれば、ホント言うことはないって感じ。

個人的には「坊っちゃん」を題材にした作品としては、「『坊っちゃん』の時代」(関川夏央/谷口ジロー)が最高だと思うのだが、研究の深さという点では本作の方が上かも。
確かに「坊っちゃん」ってのは、あの物語で描かれる事件の「主人公」じゃないんだよなぁ。
脇役の癖にしゃしゃり出てきて、引っ掻き回す・・・って「喜劇」を演じるのが「坊っちゃん」。
そういう意味では「敗北」するのもまた、「坊っちゃん」ではないのだ。
そこを踏まえた上で、本作では「坊っちゃん」の世界を上手く「解説」し直してくれている。
(もっとも「エンターテインメント」としてはどうか、というと、これは「『坊っちゃん』の時代」に軍配。
「うらなり」から描かれた「坊っちゃん」の世界は、何やら「現代小説」になってて、その分、痛快さやカタルシスはなくなっちゃてるんだよね。
ま、これは作者の意図通りでもあろうが)

漱石の小説の中で「吾輩は猫である」と「坊っちゃん」は特異なポジションを占めている。
この二作の主人公(「猫」「坊っちゃん」)は、いずれも漱石のメインキャラクターではなく、彼らが眺める脇役の中にこそ(それは「先生」であったり、「赤シャツ」や「うらなり」だろう)「漱石」自身のキャラクターが色濃く投影されている。
そうした客観視がこの二作の面白味や躍動感に繋がっており、逆に自らを掘り下げるような自省的キャラクターと物語を築き上げた以降の漱石作品こそが、近代日本文学の基礎を築き、現代日本文学に連なっているってことになる。

今さら何なんだけど、漱石が「猫」や「坊っちゃん」のような作品を世に問い続けてたらどうなってたろうね。
もっと日本文学はエンターテインメント的な要素が濃くなってたかも・・・なんて(笑)。
(もっとも本書を読めば分るように、「猫」や「坊っちゃん」にも、実は深い作品世界が内包されているというのはある。
見方を変えれば、漱石の以降の作品は、それを「分りやすく」提示してくれた、とも言えるのかもしれない。
つまりは「大人の遊び」だったんだよね。「猫」も「坊っちゃん」も)

「坊っちゃん」を読んだことがある人は、是非本作も読んで欲しい。
後日譚もよく出来てると思う。(まあ「マドンナ」の「その後」は、「ありがち」と言えばありがちだけどねぇ。でも作品的にはここらへんが収まりはイイだろう)

結構考えさせられますよ。

2009/11/25

「『時間力』養成講座」  

・どんな時代もサバイバルする人の「時間力」養成講座
著者:小宮一慶
出版:ディスカバー・トゥエンティワン

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このシリーズ、続きますなぁ(笑)。
ただここに至るまでレベルが落ちてないのが大したもの。
初期のころは「スキル」がメインだったのを、「考え方」のほうにウェイトを移してきたのが、いいんじゃないかと。
ここら辺は勝間さんにも通じるところがあるんだけど、同じシリーズでやってるところに、作者・編集者の意図が強く出ている気がするね。

従って(作者自身が書いているように)本書は「時間管理術」の本ではない。
「スキル(技)」の紹介もチャンとあるんだけど、メインは「考え方」のほう。

<量ではなくて、質が肝心!>(帯)

とあるように、質の高い「時間」の使い方をするには、どうすべきか。
その基本的なスタンスについて論じた作品になっている。

内容としては驚くような斬新なことはないんだよね。
ただ「時間管理」に関する基本的な考え方が、非常によく整理されていて、「分かってること」なんだけど、改めて気付かされることも少なくなかった。
(個人的には「バリューとインパクト」がツボ。

<文章は、起承転結ではなくて、バリューとインパクト! 読んでくれる人にとって、価値があるかどうかです。>(P.121)

プレゼンの真髄はこれだよなぁ)

「重要性/緊急度」の軸の代わりに、「やる気/自由度」「精神的自由度/物理的自由度」の軸を使うあたり、ちょいとアナクロな精神論のように見えるところもあるんだけど(笑)、実はこれが結構現場感覚にフィットするんだよなぁ。
小宮氏の著作が素晴らしいのは、具体性と、この「現場感覚」なんじゃないかと、常々思っている。

「時間管理」の重要性は、情報量が飛躍的に増大し、仕事が増大し、複雑化している中で、間違いなくビジネスマンにとっての基本スキルとなる。
「時間管理術」を取り入れることで生産性や効率を上げることは確かに重要だが、その方向性をどこに定めるか。
そのスタンスを確認するために読まれるべき作品だと思う。

結構感動したんだよなぁ、個人的には。

2009/11/23

「大事なことはすべて記録しなさい」  

・大事なことはすべて記録しなさい
著者:鹿田尚樹
出版:ダイヤモンド社

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「記録すること」の重要性って言うのは、最近とみに感じている。

「記録することに気を取られてしまって、『ライブ』の感動を損なってしまうのが嫌だ」

なんてことを考えていた時期もあるのだが、それはそれ。
「ライブ」が重要な時はそれに専念すればよく、むしろだからこそ、その「感動」を「記録」に留めておくことが重要なのだ。
最近はそんな風に思っている。
まあ、歳をとって、記録力が衰えてきたってのも、重要な要因の一つではあるがね(笑)。

(このブログもまたそういう意図を反映して始めたものではあるんだけど、最近はTwitterとのすみ分け(Twitterというより、「記録」という点では「Twilog」かな)をどうしようか考えている。
即時性の記録はTwitterの方が優れてるんだよね。
少し考えをまとめてからの「記録」はブログの方が・・・と思っていると、ブログにあまり書くことがないという現実が(笑)。
ま、ここら辺はちょっと検討しております)

従って、「記録することの重要性」については十分に認識しているので、本書についてはツールやノウハウ、スキルなんかの点を期待して読ませてもらった。
そういう点では手に入れたいなってものが少なからずあったし、「やってみたいな」って取り組みもアレコレ。

前者では、
・ボールペン、メモのあちらこちらへの備付
・ドットライナースタンプ
・ブックスタンド
・日付スタンプ
あたりを検討中。
後者では、
・漫画ノート
・タイムログ
・エクササイズ記録
・わりばし日記
・プロフィールシート
なんかどーかなーって。
まあ一つ二つでもやれればって、気楽に構えてはいるんだけどね(笑。でもボールペンとメモはもう買った)。

あとドキュメントスキャナーかな。
これはiPhone購入時からの課題。
本書を読んで、ますます取り組んでみたくなった。
(「記録」という点でも、iPhoneは優れていると思う。
そういう視点からアプローチしてみても面白いな。(「iPhone情報整理術」はそういう本か))

僕自身はこういう読み方をしたんだけど、若い人なんかは「記録の大切さ」って部分を認識するために読むってこともできる本。
面白いと思うよ。

2009/11/22

七五三  雑感

昨日は息子と娘の「七五三参り」に行ってきた。

「お宮参り」は二人とも厳島神社だったんだけど、広島まで出かけるわけにもいかず、安産のお願いをした人形町の「水天宮」にお参り。
ここんところあまりいい天気がなかったんだけど、昨日はピーカンだったのは、誰の行いがいいのやら(笑)。

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妻のお母さんに上京してもらって、近くのホテルで着付けとかの手伝いをしていただく。
実際、このヘルプがなかったら、まったくどうなっていたことやら。
感謝!!
まあまあ子どもたちも協力的(笑)で、無事、立派な姿に。

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そのあと写真を撮ってから、水天宮に行ったんだけど、結構受付に人が並んでいて、30分強は待ったかな?
戌の日の人出に比べれば、全然大したことないんだけどね。

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ここらへん、
「もう少し効率的にならんかなぁ」
と思うんだけど、こういうところが変に効率化すると、商売っ気が透けて見えて嫌だ、ってのもあるか。

お参り後、ホテルに戻って遅めの昼食を食べて、帰宅。

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「絶対、着物汚す」
と覚悟してたんだけど(笑)、全くそんなことはなく、それなりに「いい子」でしたよ、二人とも。
どっぷり疲れたけど、いい一日でした。

2009/11/19

なぜ「科学」はウソをつくのか  

・「なぜ『科学』はウソをつくのか 環境・エネルギー問題からDNA鑑定まで」
著者:竹内薫
出版:祥伝社

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最近の事業仕分けで科学技術関連の予算がバカバカと廃止・削減査定されたことに作者はかなり憤慨していた。
その様子がTwitterに流れ、本書を読んだ小飼弾氏が「この本を書いた作者がそんな風に怒るのはどうなの」みたいな一言を掛け、それに対して素直に作者が反応する一幕があって(詳細なヤリトリは覚えてないんだけど)、これはちょっと好感が持てる光景であった。

本書で、研究費について、作者はこう書いている。

<なんらかの形で「血税」を注ぎ込むべきかどうかを診査するシステムが必要になるが、残念ながら、そこに税金を出している側の「市民」が第三者的に参加するシステムはない。結局、科学者(の親分たち)と文科省の役人が研究費の配分を決めてしまう。だから、大学や研究所は、こぞって文科省の役人の天下りを受け入れようとする。彼らは「金」を背負っているからである。科学本来がもつ「社会の赤子」としての性格と、無駄に浪費される税金の問題は、いずれ、文科省の改革とともに必要となるだろう。>(P.199〜200)

「事業仕分け」は、ある意味で「そのとき」が来たとも言えるんじゃないかね。
今回の「事業仕分け」におけるヤリトリ、そこでの文科省の敗北は、上記の作者の問題意識そのままが噴出した事象のように思える。
まあ作者は「科学」を愛しており、「社会の赤子」としての「科学」の重要性を強く認識している。
だからこそ「事業仕分け」に対して強く憤ったんだろうが、「社会」に対してそのことを説明し、理解することを怠ってきたコレまでを思えば、その当然の帰結であったとも言えるんじゃないだろうか。
「国家のことを考える政治家ならば、そこまで見通すべき」ということかも知れないが、政治家だって万能じゃないからねぇ。
(勿論、「事業仕分け」は一つのプロセスであり、最後は「政治」が決めることになる。
そこで「逆転」がある可能性は否定しないが(理系内閣だしね)、文科省の説明能力の驚くべき低さ、組織の不合理さについては、今回の事業仕分けであからさまになっている(そういう意味では毛利氏の説明は素晴らしかった)。
ここにメスを入れる必要性があるのは間違いないし、そこは作者の問題意識と重なるんじゃないかね)

<本書は半自伝風の科学評論である。>(P.3)
<この本は、ボクの仕事の中では硬いほうに属する。よくもわるくも真面目な「科学評論」を集めたものだからだ。>(P.202〜203)

まあそういう本なんだけど、すごく読みやすいし、バランスも取れていると思う。
実名を挙げての科学者批判は、
「そりゃ煙たがれるだろうな」
とは思うけど(笑)、面白さという点では、結構貢献している。
それに言い分は作者の方に利があると思うしね。

こういう人物を科学界はもっと活用しなきゃダメだよな。
そうして科学ファンを増やし、そのことで科学に関連する「産業」の層を厚くしながら、社会の理解を深め、政策決定に影響を与えていく。
そういう「好循環」を作り上げることが早急に求められる。今回の「事業仕分け」が明らかにしたのは、そういうことだと思うよ。

別に狙ったわけじゃないだろうけど、「事業仕分け」のおかげで、本書は「ホット」な内容になっている。
一読の価値アリ・・・です。

2009/11/18

自由をつくる 自在に生きる  

・「自由をつくる 自在に生きる」
著者:森博嗣
出版:集英社新書

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読んでて、少し前に読んだ橘玲氏の「知的幸福の技術」を思い出した。
肌合いはだいぶ違うし、森氏は新自由主義的思想とは少し違うスタンスにあると思うんだけど、

<結論からさきに書くと、「人生の目的は自由だ」と僕は考えている。自由を獲得するために、あるいは自由を構築するために、僕は生きている。>(P.18)

ってスタンスに通じるところを感じる。
そしてその「自由」を、「自在に生きる」って置き換えたところに作者のセンスがある。
確かにこう言い換えられることによって、作者の主張するイメージがより明確になった感じがするし、
「確かにな」
って気分にもなった。

まあ、
「金持ちだから言えること」
って意見もあると思うよ(笑)。
「具体的」であることに作者は批判的だし、同感でもあるんだけど、ここらへんを「具体的」に書いた橘氏の作品のほうが、(ベストセラーを出して金持ちにはなれない)一般人には近しいかも。
まあ投資にもナカナカ踏み込めないんだけどね、ここいらの層はさ(自分含む)。

ただ基本的には「賛成」かな。
今さら独立する気も、「何か一発小説でも書いて当ててやろう」って気持ちもないんだけど(笑)、
「自在に生きたい」「そのための準備をしたい」
そういう気持ちは確かにあるし、本書を読んで刺激もされた。
勿論、本書にはそのための「具体的なこと」はあまり書かれてないので、そこんとこは自分で考えなきゃいけないんだけど、そのこと自体が楽しみにもなるしね。

ところで本書については(本論とは少しそれるけど)森氏の自分自身の著作やファンに対するシニカル(?)な態度も気になった。

(映画「スカイ・クロラ」について)<「原作と違う」的なことを言う人は、森博嗣の作品がものすごく好きなのだろう。しかし、好き故に、明らかに自分の視野を狭くしている。感性が鈍った老いた状態だと僕は思う。>(P.156)

<たしかに「森博嗣は初期の作品が面白い」と評されることは多い。それは、そういう面白さを、初期には狙って書いていたからだ。悪い言葉で言えば、それに乗せられた人が多かったのだろう。騙された、と表現してもまちがいではない。手品だって騙されるのだし、エンタテインメントとは、乗せられてなんぼ、のものである。>(P.169)

「感性が鈍った老いた状態」「乗せられた」「騙された」・・・まあ言いたい放題(笑)。
それが言えるほど、「自由」ってことなんかいね。

でもこういうスタンスは僕は嫌いじゃない。
自分自身に対して意識的であり、客観的であろうとすること。
そのことをキチンと表明できること。
これはナカナカできないことだよ。

<毎日が終わって、ベッドで少し読書をしてから、僕はライトを消す。そのとき、明日も楽しいことが待っているぞ、と思えること、それが幸せだと思う。ときどきは嫌なこともあるし、どうしても回避できない障害だってある。けれど、その向こうに楽しみが待っているから生きていけるのだ。
自由を目指して生きる理由は、それがとんでもなく楽しいからである。>(P.189)

小説家らしい締めだなぁ。
この境地までは、相当距離がありそうですがね(笑)。


2009/11/16

My Wife's Birthday  

11月15日は妻の誕生日。

例年、この時期には家族サービスもかねて「ディズニー・リゾート」に行くことにしているのだが、今年は新型インフルエンザがちょっと怖くて、そっちは暖かくなるまで見送り。
代わりに土・日二日間で、横浜まで小旅行をしてきた。

東京に赴任して以来、横浜にはちょくちょく遊びに出かけていたのだが(家からは車で1時間か、1時間半くらい)、ここんところは開港150周年の人出を避けていたので、今回の滞在はちょっと久しぶり。
ネットで安くなっていた「ロイヤルパークホテル」に一泊した。

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ところが11月14日・15日は「横浜女子国際マラソン」が開催される日程だったんだよねぇ(笑)。
おかげでそこいら一帯は交通規制で、ほとんど車での移動は出来ない状態。
車をホテルの駐車場に預け、移動は徒歩のみになってしまった。
もっとも幼児連れであっちゃこっちゃは行けないから、ランドマーク中心で買い物&遊ぶで十分だったけどさ。

土曜日は小雨交じりの冷たい日だったけど、翌日は富士山もバッチリの快晴。
高層階からの素晴らしい眺めを満喫し、ゆっくりとランドマークを散策。

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それなりの「誕生日」だったのではないか、と。

もっとも「誕生日プレゼント」の方は、「予算オーバー」で、「クリスマスプレゼントとの合わせ技」にしてもらったんだけどね(笑)。(Waileaのペンダントです)

2009/11/14

ネットビジネスの終わり  

・「ネットビジネスの終わり ポスト情報革命時代の読み方」
著者:山本一郎
出版:PHP研究所

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なかなか辛辣な内容・・・
というのが読後の第一印象。
製造業、メディア産業、コンテンツ産業(アニメとかのね)、情報産業の現状を分析し、その厳しい現状(惨憺たると言ってもいい)から、日本が厳しい状況に置かれていることが浮かび上がってくる。
まあ読んでて暗くなっちゃったよ(笑)。

まあ分析内容の基本的な部分はある程度「分かってること」だし、色々なところで「語られている」ことでもある。
amazonの書評で、
「そんなこと分かってるよ」
ってのが結構あったけど(笑)、そういう意味では正しい。
でも「読んで暗い気分になる」ってことは、僕自身はまだ骨身にしみてそれを認識してないってことなんだろうな。
そういう意味じゃ、読んだ価値があったと思っている。
(新聞について、「無料提供を止めるしかない」ってのは、現状、そういう方向に動きつつあるようだ。
ただ「無料」で享受することになれた層が、新しいビジネスモデルを受け入れることができるか?
マスコミの高コストな部分を徹底的に削減してコストダウンを図りつつ、受け入れられる有料ビジネスモデルを模索する。
つまらんけど、そこら辺が落とし所?)

題名については、そのまま受け取ると、「看板に偽りあり」って感じもある(笑)。
「幻想とも言えるような『夢』を語ることで、市場から資本を獲得し、ビジネスを立ち上げ、拡大する。場合によってはその段階で会社を売却して莫大な利益を享受する」
一昔前にあったこういうビジネスを、作者は「ネットビジネス」という言葉に代表させているんじゃないかね。
本書で分析されているように、確かにそういう「ビジネス」は終わりを迎えたようだ。
今は、
「将来への見通しを立て、戦略・戦術を駆使しながら、巨大な資本を活用して、グローバルなポジション展開を行う」
といった、見ようによっては「夢も希望もない」(笑)ビジネスの時代になっているのだ。(きわめて資本主義的ではあるが)

そのことを直視し、その認識のもとに、戦略・戦術を駆使したビジネスや、政策立案がなされるべきであり、その方向性には「未来」がある。

作者の提言はそんな感じかなぁ。

そのことに反論する気はない。
する気はないんだけど、どっかに小さな力でその流れを変えるような「夢」が残っててほしいな。
それが僕の「希望」だ。

2009/11/11

生命保険のカラクリ  

・「生命保険のカラクリ」
著者:岩瀬大輔
出版:文春新書

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通販生命保険会社「ライフネット生命」副社長が著者の作品。
なんだか題名だけを見ると「暴露本」っぽいけど、隣接業界に身をおく僕から見れば、割と「その通り」って感じなんだよね。
だから一般の人がコレを読んでドレだけショックを受けるのかは、正直ちょっと分らない。
ただ非常に分りやすく、整理されて書かれているので(加えて、キチンと細かいところにも目配りされている)、1・2年目の後輩には「推薦図書」としてお薦めしとこうかな、とも思っている。

個人的興味は、こうしたネット商品と、ライフコンサルティングがどのように連携していくのか、ってところに興味がある。
その点は本書にもこんな指摘がある。

<ネットや通販のような手数料が安い保険会社は事業経費が安い分、対面営業によるきめ細やかなサービスはない。その分を、安い保険料として顧客に還元しているからである。したがって、割高の保険料を払っても手厚いサービスを望むのか、あるいは自分でいくらか手を動かすことで、その分の保険料を浮かせるか、その「選択」が迫られているわけである。>(P.100)

こういう点を理解し、自ら考え、最初に加入するときだけでなく、自分のライフステージに変化が生じたときには、都度自ら保険内容の見直しを行えるような、保険リテラシーの高い人間にとっては、コスト対効果を考え、ネット通販生保を活用するのが合理的な選択肢であろうとは思う。
しかし大半の一般の人はそうじゃないんだよね。
「家を買うのに続いて、人生で二番目の高額商品」
なんだから、その購買コストを考えるのは合理的だとは思うんだけど、なかなかそんな風にはなれない現実がある。

作者も語る。

<生命保険という目に見えない、必要性も効用もすぐに感じることができない商品には、長くて複雑な購買プロセスが伴うものであり、何らかの形で「人間の関与」が不可欠であることは、よく理解している。>(P.225)

営業職員制度の弊害や限界は十分に承知しているが、この「人間の関与」の部分が営業職員に担わされていたと言う構図なんだよね。
それをどう変革していくか。
「生保商品」の改革と同時に、この「販売経路」の改革も重要だと思うし、個人的な興味はそちらにある。

まあ現状では、こういうのが一番合理的なのかな。

<いまの時代、本当にかしこい消費者であれば、来店型の代理店に行って無料でプランを作ってもらい、それを自宅に持ち帰って、割安な通販やネット系で同じ内容の保障をオーダーすることだろう。>(P.232)

しかしこれでは消費者は「自らアクションを起こす」必要がある。
かつ「ライフプラン」という長期での対応が求められる中、「来店型の代理店」が長期間にわたって、責任を持った対応ができるのかに不安もある。
また「ライフプラン」の場合、保険で備えるだけではなく、他の金融商品や貯蓄での対応と言う選択肢も重要なのだが、「来店型代理店」が自らの収入に直結しないアドバイスをしてくれるかどうかというのもあるだろう。

「保険料を安く引き下げ、その削減されたコストで、第三者的なアドバイスを購入する」

こういうサービスがあれば一番いいんだろうけどね。
個人的にはFPに期待するところもあるんだけど、現状だとナカナカ大きな流れになりにくいかなぁ。

「答え」があるわけじゃないし、「答え」を作者やライフネット生命に求めているわけでもない。
ただライフネット生命の一石は、そういう未来への道の一つを拓いてるんじゃないかと、個人的に感じてる次第。

面白い時代になってきた、とも言えるかな。
まあ従来型の営業職員さんは大変だろうけどねぇ。



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