2007/5/31

座右の名文  

・「座右の名文 ぼくの好きな十人の文章家」
著者:高島俊男
出版:文春新書
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著名な本読み巧者による「私の好きな著作者ベストテン」。
新井白石、本居宣長、森鷗外、内藤湖南、夏目漱石、幸田露伴、津田左右吉、柳田國男、寺田寅彦、斎藤茂吉
の十名が取り上げられ、その人物評と、作者が好きな作品(と言うより「文章」かな)の紹介がされている。

作中、作者は幸田露伴についてこう評している。
「日本はじまって以来こんにちにいたるまで、博識という点ではこの人の右に出る者はあるまい。ただそこでとどまっていて、それが見識まで高まっていない。だからその言うことは存外俗で、愚作が多いのはそのゆえである。」
こう書く作者が単なる「本の紹介」や「名文の紹介」で済ますわけがない。
本書は「座右の名文」と題されているが、メインはそれぞれの人物評にあり、「なぜこの人物をベストテンに選んだか」の基準に作者の「見識」が覗える。
そういう意味で、本書は単なる「書評集」ではなく、一個の独立した作品として完成度が高いものになっているんじゃないかな?(ま、そのお蔭で、読み終えた後になっても「紹介されていたあの本、読んでみたいナァ」という気分があんまり起こらないんだけど(笑))

個人的に面白かったのは、鷗外の「満点パパ」ぶり。
いや前から知ってはいたんだけど、改めてこういう風に読むと、際立っているね、コレは。完全に「家庭人失格」だった漱石の姿も紹介されているだけになお更・・・。
ホント、いつ鷗外は作品を書いてたんだろうナァ。

本書の主テーマではないんだが、作中、作者が「何故『中国』と呼ばずに『支那』と言う名称を使うか」ということを説明する下りがある。
要すれば「『中国』という言葉は『中華思想』の表れだから」ということで、中国文学を専門とする作者の弁だけに理解は出来るが、賛同はできないね、僕は。
「支那」という言葉が持っている現在の日本国内における負のイメージの方が問題だと、僕は思っているからだ。
それに「中国」ってぇのは「世界の中心の国」ってことでしょ?
「なるほど。自分で自分の国のことを『世界の中心』って言ってるんですナァ」
と度量を以って受け入れればいいんじゃないかね?
あるいは「チャイナ」と表記するか。これだと負のイメージは大分薄らいだ感じがする。
ま、ここら辺には個人の「思想」も関係するから強要するモンじゃないけど、作品は楽しんだけど、作者の意見に必ずしも賛同したわけじゃないと言うことで、以上蛇足。


2007/5/30

團十郎切腹事件  

・「中村雅楽探偵全集1 團十郎切腹事件」
著者:戸板康二
出版:創元推理文庫
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比較的知られたこの探偵の作品をまとめて読むのは初めてになる(何かのアンソロジーに収められていたのを読んだ記憶はあるのだが)。あまり文庫化されてなかったようなので、そこら辺も影響しているんだろう。

推理小説としては「短編だけど、結構チャンと『本格』してるなぁ」という印象。特に初期のものほどその傾向が強い。
演劇評論家であった作者に推理小説を書くのを勧めたのが江戸川乱歩、ということだから、これはやはりその系譜と言うことになるんだろうね。
あとチャンとした知識に基づいて歌舞伎や芸能界のことを描いているので、作品世界の「厚み」が感じられるのも特徴だろう。昭和二十年代から三十年代の(主に「歌舞伎」という世界を通じてみた)芸能界の姿が窺がえるのは、(作者にそういう意図があったのかは分からないけど)結構興味深いものだ。
文章も渋みがありながら読みやすく、「歌舞伎」という「異世界」を主舞台にしながらも、戸惑うことなく楽しんで読むことが出来た。

・・・と褒めておいて、これからケチをつける(笑)。
作品としては「本格推理」であり、トリックや叙述が水準以上なのは認めるが、トリック偏重になって「動機」の点で首をひねる作品がいくつかあった。
「こんなことで人を殺すかナァ」「こんな理由で自殺するの?」
そう思わざるを得なかったのだ。(「短編」という形式がそういう制約をもたらしたということはあるかもしれない。「殺人」を取り扱わない作品の方は、そういう意味では「自然」な感じがした)
それ以上に問題なのは探偵「中村雅楽」にあまり魅力を感じないこと。
いやこの探偵、すごくマトモな人なんだよね(笑)。
多分、実際にお付き合いするとしたら、かなり「いい人」なんじゃないかと思う。そういう意味での「人間的魅力」があることは理解できる。
ただ「探偵」という点からはマトモ過ぎるんだよ。「探偵小説」の楽しみの一つには「名探偵のキャラクターを楽しむ」という側面が少なからずあるのだが、そういう観点からは「中村雅楽」を楽しむことはあまりできない。
もっと「芸」に対して「狂気」に近い執着を持っているとか、日常生活と舞台とのギャップが無茶苦茶あるとか、そういう設定だったらここら辺も楽しめたのにナァと思わざるを得ない。
(ま、そうなったら「中村雅楽」の世界観はなくなっちゃうが)

とは言え、本書に収められている短編18編、それなりに楽しんだことは確か。
トータルでは「名が知れているだけのことはあるな」というのが感想だ。
もっともこの全集、続きを買うかどうかは、ちょっと検討したいけどね(笑)。


2007/5/29

取り敢えず「完結編」  映画

土曜日、妻子が寝た後に「パイレーツ・オブ・カリビアン ワールド・エンド」を観に行った。
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22時15分スタートの回だったんだけど、会場は一杯。何回か話題作の初日オールナイトを観に行ったことがあるが、「としまえん」のユナイテッドシネマがこんなに一杯になってるのは初めてだなぁ。

さて、映画の方だが、「まあまあ面白かったけど、長かった」(上映時間は3時間)というところかね。
ワグナーのオペラみたいな(ってマトモに観たことないんだけど(笑))「ウィルとエリザベス」カップルの決着の着け方については異論もあるだろうが、僕は「ま、ええんちゃう」という感じ。
一作目と同じような「絵に描いたようなハッピーエンド」を二回やっても仕方ないだろう。
ジャックを人気が出たからと行ってヒーロー扱いにせず、「脇役キャラ」として徹底した点は評価して良いと思う。キース・リチャーズも上手く扱ったんじゃないかな。

不満があるのは、「チョウ・ユンファ」の扱い。もうちょっと使いようがあったと思うんだが。長年のファンとしては残念なところだ。
あと盛り込みすぎて話がゴッチャになってる感じもあったかな。その分、話も長くなっちゃった・・・と言うところだろうが。

美形カップルの方はカタがついたが、ジャック・スパロウの方は相変わらず。
と言うことは「続編もありえる」ということだろう。(プロデューサーもジョニー・デップもそんなこと言ってるし)
「それはあってもなくてもイイや」というのが正直なトコです。

2007/5/28

何のコッチャ  雑感

春までに「5キロ」ほど減量したい。

正月に書いた目標。
で、現状はどうかと言うと、「3キロの増量」(オイオイ)。

まあ「原因」は色々あるんですよ。

妻の里帰り(出産のため1月から4月まで)
父の入院の看病
仕事上のトラブルによる連夜の残業 云々・・・。

言い訳だわね、全部(苦笑)。
見かねた妻が、昨日本屋で「つけるだけ はかるだけダイエットダイアリー」なる本を買って来てくれた。
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「仕切り直し」して頑張りましょう。
息子も重くなってきたしね(笑)。

2007/5/25

Gボーイズ冬戦争  

・「Gボーイズ冬戦争 池袋ウエストゲートパークZ」
著者:石田衣良
出版:文藝春秋
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「I.W.G.P.」シリーズももう第7弾。
少し主人公の理想主義が鼻につくようになってきたかナァ。
と言うか、薄っぺらな感じがするんだよね、言ってることが。勿論、20代の主人公だからそれはそれでもイイんだけど、設定として「薄っぺら」なのと、作品として「薄っぺら」なのは違うからね。
主人公が語る薄っぺらな理想主義を作品が是認することで、作品としての「チープさ」が感じられるようになってきてるんじゃないかと思う。
もっともこの「チープさ」が作品に疾走感を与えているようなトコもあって、このシリーズを捨てきれないのにはそこら辺もあるんだが・・・。

本著に納められた作品では表題作の「Gボーイズ冬戦争」が一番の出来だろう。
もともとこのシリーズでは「タカシ」というGボーイズのリーダーが「法」に縛られない存在として異彩を放っているのだが(とは言え、スペンサーシリーズの「ホーク」、ブロックの「ミッチ」という「前例」はある)、そこに「影」という、もう一歩「闇」の世界に足を踏み込んだ存在を登場させることで、従来にない緊張感をもたらしている。
こういうのは下手をすると作品世界そのものを壊しかねないのだが(「一番強い」と言われていた敵を倒したら、「もっと強い敵」がすぐに登場する安手のマンガのように)、本作では上手い扱いで、結果として「タカシ」の存在感を高めるようになっている。ここら辺は大したもの。

まあ敢えて言えば、Gボーズ内の内部抗争の部分をもっと書き込んで欲しかった気もするが、そこは前に「サンシャイン通り内戦」でやったということかな。
過去に登場した人物の再登場なんかもあって、割と「流しているナァ」って感じもしていた最近作から考えると、少し持ち直している感もある。
これが単なる「感じ」で終わらないことを期待したい。

2007/5/25

ベネディクト・アンダーソン グローバリゼーションを語る  

編著者:梅森直之
出版:光文社新書
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「知らんオッチャン(梅森直之)」による「知らんオッチャン(ベネディクト・アンダーソン)」の講義録と解説(笑)。
何でそんなものを読むかと言うと、まあタマには自分の知らない世界も覗くようにしとかんと頭が回らんようになると思って、かな?
有り体に言えば本屋で見て「衝動買い」みたいなモンである。
敢えて言えば「グローバリゼーション」と言う表題に惹かれたと言うのはあるだろう。

ところがこの「グローバリゼーション」、予想してたのとは全然違ってたんだよね(笑)。
当然僕としては現在の世界を覆いつつある、インターネットを活用した「経済活動」を核とした「グローバリゼーション」を意識していて、そこにおける国家・個人のあり方みたいなものが読めれば、と思っていたんだけど、本書で扱われる「グローバリゼーション」と言うのは「現代」ではなく、近代化が進展する時代(19世紀末から20世紀初)の「グローバリゼーション」になる。
しかもアンダーソンの主著作「想像の共同体」が「ナショナリズム」を扱っているように、「グローバリゼーション」というものを「ナショナリズム」との関係から描き出しているのであって(と言うか、「ナショナリズム」が創造される場として「グローバリゼーション」を取り上げている)、そういう意味では「題名に偽りあり」と言ってもいいのではないか、と(笑)。

ただし僕自身は、予想とは違っていたけど、非常に興味深く読むことが出来た。
まあ僕は「想像の共同体」というアンダーソンの主著作を読んでないし、色々な要素が飛び交うような講義なので、理解し切れてないところは多分にあるとは思っているのだが、それでも刺激的な部分が多々あったことは間違いない。
「ナショナリズム」というのが古代から続く、確固としたものではなくて、近代化の中で創造された概念であること。
(つまり「想像の共同体」。アンダーソンはこんな風に書いているらしい。
「国民とはイメージとして心に描かれた想像の政治共同体である」)
「ナショナリズム」が創造されていく過程には、通信・移動手段・出版技術の進展による「グローバリゼーション」の展開と、その上での「アナーキスト」のネットワークが大きな意味を持っていること。(「ナショナリスト」を「アナーキスト」が助け、育てた)
アンダーソンはそれらの研究を提示しながら、現代の「グローバリゼーション」に対し、「経済活動」だけに偏らない「グローバリゼーション」の方向性を投げかけようとしてるのだろう。
そこに「ナショナリズム」の構造と創造の過程を重ねることで、狂信的な「ナショナリズム」に揺さぶりをかけ、「グローバリゼーション」と融合しうる「ナショナリズム」のあり方をも模索している・・・と言うと言いすぎかな(笑)。

ま、所詮「新書」だから、「アカデミック」と言っちゃうと笑われちゃうけど、たまにはこういう雰囲気を感じてみるのもいいな、とは思った。
それじゃ次はアンダーソンの「想像の共同体」を読むか
・・・とは行かないけどね(笑)。

2007/5/25

疲労困憊  雑感

昨日は日帰り京都(正確には「生駒」だけど)出張。
疲れました。

仕事したのは現地で2時間強、しかも会議に出席だけだったんだけど、往復6時間強の移動時間で疲れちゃうんだよね。
ほとんど新幹線に乗ってるだけなんだけど(笑)。

疲れてボーッとしてたのと、乗りなれないのとで、品川から山手線を逆方向に乗っちゃいました(笑)。
結局、東京駅で地下鉄に乗り換えましたが、何のために新幹線を品川で降りたのやら・・・。

ま、ゆっくり本は読めましたがネ。

2007/5/24

陰獣 他三編  

著者:江戸川乱歩
出版:春陽堂江戸川乱歩文庫

「陰獣」は中学時代に読んでいるはずだ。
小学生の頃、ポプラ社の「少年探偵団」シリーズは僕の愛読書だったのだが、4年生頃からそれでは飽き足らなくなり、大人向けに書かれた作品も手を出し始めた。最初は「明智小五郎」ものから入ったのだが、中学からはノンシリーズ・短編モノにも手を出し始め、その中に確かに「陰獣」は入っていた。

今回読み直したのは清水義範氏の書評(「独断流『読書』必勝法」)の中で印象以上の評価がこの作品に与えられていたから。「傑作」という世間の評価は勿論知っていたし、僕自身も「いい作品」とのイメージは持っていたのだが、清水氏が説くほどの作品とは自分の中で位置づけていなかったので、
「久しぶり(どころか、25年以上経つが)に読んでみるか」
という気分になったのだ。

読後、
「こりゃ、中学生にはワカランな」
が正直な感想。
併せて当時このような本を「大事な息子」が読んでいることを見過ごした自分の親に対して憤りを感じた(笑)。
こんな「猟奇・変態本」は断じて小・中学生に与えるべきではないだろう。
(でもまあ、「読書」ってぇのは背伸びしながらするもんだからねぇ。中学生の自分には「よくぞ」という気分もある(笑))

ただし「傑作」なのは確か。正直言えば、今思い出せる江戸川乱歩作品の中でも本作は一頭地飛び抜けた出来ではないかと思う。
猟奇的な雰囲気の作品でありながら、理知的な解決をもたらし、そうでありながら一抹の「懐疑」を余韻として残す。
パターンと言えばパターンなんだが、そのパターンを尽くした感のある作品となっている。
江戸川乱歩の初期中短編の質の高さは衆目の一致するところと思うが、たしかにコレを読むと「明智小五郎」モノでは到底辿り着けない「何か」がここには描かれている。

ではあるが、やっぱり小中学生が読んじゃイカンね、こういう本は。
「大事な息子」のため、早速、ブックオフ行きにしようと思います(笑)。

2007/5/23

ドリームバスター4  

著者:宮部みゆき
出版:徳間書店
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前作から1年強。エピソードが前作の「続き」になっているから「待たされた」って感じがするけど、「2」と「3」は3年ブランクがあるから、まあ早いほうなんだろうな。作者も本書の後半は「書き下ろし」しているから、配慮はされてこのタイミングということだろう。
夢枕獏に比べりゃ大分マシか(笑)。

「自殺サイトで知り合った心中カップル」と「交通事故で重態になった少年」が臨死世界で遭遇する冒険譚。
「3」「4」につながるエピソード(「時間鉱山」)はそう整理できるだろう。
「子供はいつ少年になるのでしょう。子供なりの気概(ガッツ)で困難をのりこえていく過程を、はらはらしながら書きました」
というのが帯の作者の言葉だが、僕としてはむしろ「心中カップル」がそれぞれの「心の傷」に直面する姿のほうに感慨を覚えた。
婚約者に裏切られて自殺を選択した女性が、「事実」に向き合い、「事実」を歪曲して自分自身を納得させていた「醜さ」に直面して、それを認めて行く過程なんかは、まあ「宮部みゆき」らしいと言うか・・・。「ファンタジー」なんだからこんな設定にしなくても、って感じすらする。
片や業務上過失致死によって少年を死なせてしまった男性の悔恨の様と、彼を追い詰める「悪夢」の方は息苦しく迫ってくるものがあった。こちらのほうの「決着」のつけ方はどう考えればいいのか?あるいは「続き」があったりするのかな、とも思ったりするのだが・・・。

「血まみれローズ」もどうやら登場した「らしく」、シリーズとしては一層広がりを見せてきている。「宮部みゆき」としては最長のシリーズになるのは間違いないだろうし、それに相応しいだけの「枠組み」も持っていると思う。
難点は、主人公たちの物語より、脇役(ゲスト)の物語のほうが興味深いというところだが、この手の作品ではよくある話だからね、これも(「ブラック・ジャック」とか)。
むしろ変に主人公たちの物語の方に引っ張られずに、狂言回しに徹させたほうが作品としての「質」は高まると思うので、割り切ってやってくれればと、勝手なことを思ったりもしている。

ま、本作でひと段落は着いているので、「5」はそんなに急いで出してもらわなくてもいいかな(笑)。

2007/5/22

黒猫/モルグ街の殺人  

著者:エドガー・アラン・ポー 訳:小川高義
出版:光文社古典新訳文庫
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光文社のこの新しい取組みには注目している。
「古典」というのは、確かに書かれた時代との間に、少なからぬ「時間」の隔壁があり、読みにくいものではあるのだが、それにしても日本人が海外の「古典」を読む場合は、欧米人が英米の古典を読むのに比して、「訳語」の古めかしさがもう一つのハードルになっているのでは、と思っていたからだ。
特に第二次世界大戦前後において「日本語」は大きく変動を余儀なくされており、その後も変わっていく速度が速く(これは「文語」の影響力が急速に下がったことによると思う)、その影響が他国に比べて大きかったからだと言う点はハードルをより高くしていると思う。
(決して「古典」を読めない自分の言い訳ではない・・・と思いたい(笑))
本シリーズでも「カラマーゾフの兄弟」の新訳が「読みやすい」と評判になっており、「さもありなん」と思っていたところだ。

とは言え、本書は160年も前の作品。それに「詩人」としても名高いポーの文章は、新訳でも「読みやすい」とはいきませんでしたナ(笑)。
直截的な表現ではなく、修飾語を駆使した婉曲表現は、なんだかテンポが緩いような気がして、ちょっと頭に入りにくいかな、と。それぞれ表現されている言葉は「新訳」で分かりやすくなっているので、決して「理解できない」ということはないんだけどね。
ポーは「効果」というものを重視した作家だと思うが、その「効果」のための手法が古めかしくなっているということかもしれない。(じゃあ「新しい効果」がいいのかというと、これも悩ましいところではあるが)
世界最初の探偵・デュパンの登場作「モルグ街の殺人」も、今の時代から読むと、「これで推理小説?ちょっとアンフェアな・・・?」と思わないではないからね。まあもっともこの感覚は、デュパンの40年後に登場するホームズにも感じることではあるが(笑)。

でもこういう形で「古典」が見直されるのはいいことだ。やっぱり「黒猫」は怖かったし・・・。
そういう点では意義のアル一冊だと思うが、ただ選集としては「アッシャー家の崩壊」と「赤死病の仮面」「黄金虫」は入れて欲しかったな、というのが読了後の感想でもあった。
(特に「アッシャー家」はね。「続刊」でも意図してんのかな?)



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