2007/4/12

大帝の剣1・2・3  

著者:夢枕獏
出版:角川文庫(1・2巻)、エンターブレイン(3巻)
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本作の第一部(文庫第一巻の前半)をノベルズで読んだのは、もう20年も前になる。
「これは面白い」
一読しての感想。
当時、僕は「夢枕獏」に対しては、「物語を終わらせることが出来ない作家」というイメージを持っており、若干批判的だったのだが、本作の魅力は認めざるを得なかったわけだ。
ただ第一部だけで「これは長い話になりそうだな」とも思ったし、イメージを重視して擬音や改行を多用する夢枕獏のスタイルだと、一冊や二冊では大して物語が展開しないだろうとも思った。
で、当時、「この作品は何巻かまとまってから読むことにしよう」と思い、新刊が出ても手を出さないようにしていたのである。

で、20年。
正直忘れてもいたのだが(笑)、映画化を契機に再刊され、書店に並んでいるのを見て、かつての興奮を思い出し、まとめ読みしようと思って、今回購入してみた。
トコロが、何てこったい。
20年も経って、話はまだ「第六部」までしか書かれていないとは。
「あとがき」によれば、どうも途中で「15年」もの中断期間があったらしい。今回の再刊では、3巻目の後半「第六部」が中断後に(昨年)連載されたものということになる。
これからトントントンと続きが出るのかと思っていたのだが、とりあえずここで一旦停まり、このペースだと「第七部」は来年か再来年、以降、1・2年に一冊と言う「夢枕」ペースになりそうだ。

万源四郎という主人公を巡って、天草四郎、宮本武蔵、柳生十兵衛、佐々木小次郎、真田幸村、猿飛佐助(作中では「申」)、霧隠才蔵(同じく「霧の才蔵」)らが入り乱れる物語。
本作は明らかに山田風太郎の「魔界転生」を意識して書かれている。ただ傑作伝奇小説に挑戦するだけあって、力が入っているのも確かだ。「魔界転生」に比べ、「SF」色を取り入れているところが特色だと思うが、そのことによって「魔界転生」の「妖しさ」は減じたものの、アクション性は高まっていると思う。
最終的にこの「挑戦」の成果がどうなるか。
今の段階では評価を下すには早すぎるが、今のところ十分に期待できると言ってもいいのではないかと思う。

まあ、20年前と違って、「夢枕獏」が「物語を終わらせる意志を強く持った作家(ただし話は長くなり勝ち)」というのは分かったからね。いくつかの作品はキッチリ完結させたし、「餓狼伝」「新・魔獣狩り」も、予告よりは長くなっているが、「終わらせよう」という努力は見えるから。
そういう観点からは本作も終わらせる意志はあるのだろう。「空を飛ぶアイテム」を出してきて、日本脱出の方策は提示しているようだから、案外「日本脱出後」の展開は速いのかもしれない。
ただまだ「日本」国内でのドタバタは続きそうだからナァ。
まあ、気長にお付き合いするしかないか。
そういう気分である。

2007/4/11

新聞社  

「新聞社 破綻したビジネスモデル」
著者:河内孝
出版:新潮新書
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昨年初の「論座」(朝日新聞刊)での渡邉恒雄・読売新聞会長と若宮啓文・朝日新聞論説主幹のインタビュー記事(「渡辺恒雄氏、朝日と共闘宣言」)は確かに僕にとっても驚きの記事であった。
世間的には「靖国参拝批判」を保守派の中核と見られる渡辺氏が展開したことに最大のインパクトがあったと思うのだが、毎日新聞の役員だった本書の作者は少し違う視点でも見ていたようだ。
「読売新聞と朝日新聞が共闘して、新聞業界の再編・生き残りを模索している」
本書ではそうした動きへの危機感から、読売・朝日に次ぐ「第三の極」の早急な立ち上げを提言している。
具体的には「毎日、産経、中日新聞の全面的な業務提携」である。
(作者自身は「論座」の記事の前からこうした途を毎日の経営陣の一員として模索していたようである)

「これは簡単に実現する案ではないナァ」とは当然思うのだが、驚いたのは実現困難な大きな要因としてあげているのが「@中日新聞が乗るか、A販売網の一元化が総論賛成、各論反対で空中分解するのではないか、B毎日新聞と中日新聞労組を含む社員の協力、一体化が実現できるか」であったこと。
「産経新聞が乗るか」は入ってないんだよね。
と、言うことはコチラにはある程度の「目算」があるということ?
だとすると、「完全な夢物語でもないのかな」というのが正直な感想である。(それでも実現可能性は高いとは思えんが)

本書の「提言」に至るまでの3分の2ほどは、「部数至上主義の仕組みとその危機」と「新聞社によるテレビ局支配の流れ」という、現在の新聞社のビジネスモデルが確立するまでの歴史と実態、それに危機について記されている。
作者自身も述べている通り、これはメディアが自己言及してこなかった部分であり(「闇」とまでは言わないけど)、かなり興味深い内容だった。断片的には知っていることもあったが、こういう風に全体像を知ったのは初めてのことであり、それだけでも本書の価値は高いと思う。

「あとがき」によると、どうも作者は毎日新聞の経営陣の一人として「改革」を目指しながら、最終的には賛同を得られず挫折し、社を去ることとなったようだ。
そういう意味では「暴露本」ではないものの(内容は論理的だし、個人や組織への具体的な非難も少ない)、「身内の恥を晒した」と見られる可能性はあるんじゃないかなとは思う。実際、読売新聞本社に近い紀伊国屋書店大手町店では「新書売り上げ第一位」だったし(笑)。
だが「提言」も含めて、本書で言及されている内容は「身内の恥」として隠していていいようなものではないだろう。

本書の出版が「一石を投じる」という結果になればいいのにと思わざるを得ない。
(読売・朝日によるメディア支配。これは確かに面白くないヨ)

2007/4/11

Happy Birthday to Me  雑感

昨日が僕の誕生日。「42歳」である。
誰もが言うことだけど、若い頃は「40歳以上」の人なんて「大人」(あるいは「オッサン」「オヤジ」)に見えたもんだけどね。
自分がなってみたら、中身は「ガキ」のまんま。
ま、そういうモンなんでしょう。

2007/4/10

十番斬り、波紋  

著者:池波正太郎
出版:新潮文庫
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シリーズも十二巻、十三巻。「先が見えてきた」トコだけど、妻子が戻ってきちゃったので、「帰省のお供」とはいかなくなっちゃうから、もしかしたらペースが落ちるかも。(いや、関係ないか(笑))

「波紋」で秋山小兵衛は65歳。
江戸時代の話だから、十分「老境」に入っているし、作者自身の年齢もあってか(60歳。池波正太郎は67歳で急逝するから、「晩年」と言っていいだろう)、あるいはこの作品が書かれた頃に秋山小兵衛の「若き日」を活写した番外編「黒白」が並行して書かれていたためか、小兵衛の回顧や「老い」を感じさせる作品が多くなっているような気がする。
同門の友が巻き込まれる事件とその中で露わになる「老い」を描いた「夕紅大川橋」(「波紋」所収)などはその典型だろう。

このシリーズ、小兵衛のほかに息子の秋山大治郎も主人公の一人と言って良いのだが、こうして読み直していくと、やはり小兵衛が主人公なんだなということを再確認させられる。それだけにその「老い」を感じることは、何とはなしに寂しい気分がするものだ。
もっとも設定上は小兵衛は90歳を越える長寿となるはずなので、まだまだ「老い先」は長いんだけどね(笑)。

今回読み直して、ふと思ったのは、小兵衛の孫「小太郎」の描写が少ないこと。この時点で小太郎は満一歳になっており、可愛い盛りの孫を小兵衛は猫可愛がりしている「設定」になっているのだが、あまりそういう様子が描かれていないのだ。
まあ「乳児はまだメインの物語に絡んでこないから」ということもあるだろうが、何となく不自然な感じもする(自分が同じ年頃の子供を持ったからかも知んないけど)。
池波正太郎には子供がおらず、したがって孫もいないはず。
そういうところが関係してンのかなぁ、などと思いながら、十三巻を閉じたところである。

2007/4/9

裁判官の爆笑お言葉集  

著者:長嶺超輝
出版:幻冬舎新書
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マスコミでも取り上げられ、ちょっと評判になっている幻冬舎新書の新刊。広島の妻の実家に向かうまでの道中で読み終えることができたくらいの分量の一冊だ。

「爆笑」とあり、確かにクスクス笑える裁判官の発言も多く収められているのだが、僕の印象としてはむしろ考えさせられたり、感動した言葉の方が多かった感じ。思わず目頭が熱くなって、慌てて回りを見回した発言も幾つかあった。(涙腺、弱くなってるなぁ)
多くは犯罪である「事実」の重さがあり、おそらくは実直であろう裁判官が、事実認定を行う長い裁判の中で感じ取った「何か」から発せられる言葉だ。軽々しいものではない印象が強くなるのも当然だろう。(笑えるものは笑えるんだが)

どの言葉もそれなりに琴線に触れるのだが、敢えて一つとなると、コレかね。

「家族の愛情を求めながら、その家族から虐待を受ける日々を、どんな思いで耐えていたのか。
何を感じながら人生の幕を閉じていったのか。
願わくば、その人生が悲しみばかりでなかったことを祈る」

3歳10ヶ月の男児を家族全員で虐待、死に至らしめた事件での、2001年判決の際の「付言」。
判決が出たときにもちょっと話題になり、僕も気にはなったんだが、改めて読み、「裁判」という場で発露した裁判官の想いを考えざるを得なかった。

「売り」として本書の表題は悪くはないと思う。
ただ中身がそれだけではないこと。
そのことは「付言」していいだろう。

2007/4/9

新しい日々  雑感

里帰り出産していた妻、息子、それに新しいメンバーである娘を迎えに広島まで行ってきた。
生後二ヶ月の娘を飛行機に乗せるのはちょっと怖かったので、広島から東京までは新幹線だ。広島ー東京間の4時間、乳児と2歳児を連れてどんな按配になるか、不安と道連れの帰京だった。

・・・今後の4人家族での生活が思いやられる4時間でした(笑)。

2007/4/5

泣き虫弱虫諸葛孔明 第弐部  

著者:酒見賢一
出版:文藝春秋
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酒見版「三国志」第二弾。本書では孔明が劉備に仕えてから長坂坡の戦いまでが描かれる。
・・・って「三国志」に詳しくなけりゃ何のことやらだわな。実は僕もアンマリ詳しくはないので、読むまではピンと来てなかったんだけど、どうやら「三顧の礼」からあまり話は展開していないらしい。
「長坂坡の戦い」ではウンザリするほど遅い退却行が描かれるんだけど、ストーリー展開の方も、それに劣らずノンビリしているようだ。

まあこの作品、正統派の「三国志」ファンには受け入れ難い設定になっている。
主人公の孔明からして、「軍師」としての能力に疑問符がつく(これじゃ存在価値がないが)、変態すれすれのド変人だし、劉備は大バカ野郎の軽薄大臣、趙雲は「心はいつも少年」のチョット危ない青年、関羽・張飛に至っては人間離れした「殺戮マシーン」なんだからね。
敵役の曹操の方が、度を外れた「人材収集オタク」なのと、ジコチューなくらいで、ズッとまともな人間に見えるという構図。
それでいて「やっぱり『三国志』は、劉備・関羽・張飛それに孔明じゃなくっちゃね」みたいな感じになってるんだから、まあ不思議な作品ではある。

一応、作品の根本には
「『三国志』と『三国志演義』の差をあからさまにしつつ、『三国志』が『三国志演義』になったのには、孔明の壮大なるマジックが・・・」
なんてトコもあるんだけど、それ以上に作者は「三国志」のキャラクターたちをイジって遊んでいる雰囲気が強い。その弄りっぷりがあんまり面白いので、「ストーリーなんかどうでもいいなぁ」と思っちゃうくらいである(笑)。

ただ「第一部」の時にはあんまり感じなかったのだが、本作を読んで、「劉備」という男が何となく好きになっている自分にはちょっと驚いた。
実は今まで何作か「三国志」を読んでも、どうもこの「劉備玄徳」の魅力がピンと来なかったんだよね。
天才軍師「孔明」、義の人「関羽」、純な漢「張飛」なぁんてぇのは分かりやすいのだが、一体彼らが「劉備」に何を見たのか?

「『仁義』をネタにした天才的大衆演劇のスター」

本書で劉備はそう位置づけられる。
これでストンと納得いった(笑)。
そしてそんな風に見ると、何となく「劉備」と言う男に惹かれるようになって・・・。

そういう意味じゃ、「邪道」に見えて、案外マトモな「三国志」なのかもしれない、このシリーズも。
って、んな訳ないか(笑)。


2007/4/1

脚本家・橋本忍の世界  

著者:村井淳志
出版:集英社新書
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映画「砂の器」等で有名な脚本家・橋本忍の作品を取り上げ、橋本氏へのインタビューと作品の背景、更には作品が与えた影響なども視野に入れて書かれた作品。
取り上げられている映画は9本。

「七人の侍」「羅生門」「真昼の暗黒」「私は貝になりたい」「切腹」「白い巨塔」「日本のいちばん長い日」「八甲田山」「砂の器」

僕は「真昼の暗黒」と「私は貝になりたい」以外は観ているのだが、まあどれも日本映画の代表作と言っていい。改めてこれらの作品の脚本を書いている(一部は共作)「橋本忍」の凄さ・偉大さというものを思い知らされる。
日本映画の全盛期を支えたのには日活アクションのようなプログラムピクチャーの力も少なからずあっただろうが、やはりこうして並ぶ橋本作品の題名を見ると、その一方で確かに良質な作品を生み出す土壌が日本映画にあったのだということを再認識させられる。
「日本映画復興」と最近言われているが、その一本たりとも、先にあげられた作品を凌駕できるものがないのが現状だろう。

本書には橋本氏のインタビューが収められていて、作品成立の背景などがうかがえてかなり興味深い。作品が発表されたとき、それがどのような影響を社会に与えたのかとか、作品がどの程度現実を踏まえたものなのかを検証した辺りとか、ここら辺の視点にも面白いものがある。
しかしまあ、それを新書に収めるというのは、分量的にちょっと無理があるかな(笑)。確かに面白く、興味深いのだが、どうしても「駆け足」になってしまっているような気がして、食い足りなさが残る。視点はいいんだから、もっとジックリと書いてほしいなぁというのが正直なところだ。

映画の出来を決めるのは「シナリオ6分、キャスティング3分、演出1分」
というのは今村昌平の言葉らしい。
作品の製作から考えると、これには作品の枠組みを決めるプロデュースや企画の要素が入っていないので、そのまま当て嵌めることはできないが、出来上がった一本の作品の評価においては間違いないだろう。
今、かつての日本映画を凌ぐ作品が登場していないということは、色々な要素はあろうが、一つには「橋本忍」のような脚本家がいないということもあるのだろう。
新しい才能は次々と出てきている。ただ「何か」が足りないような気がするのだ。
寂しいことではあるがね。

2007/4/1

フィリップ・マーロウの事件  

著者:レイモンド・チャンドラー他
出版:ハヤカワ文庫
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チャンドラーの生誕100年(1988年)を祝って出版された現役ミステリ作家たちによる「フィリップ・マーロウ」を主人公とした短編の競演(最後にチャンドラー自身の遺作短編が収められている)。
「ロング・グッドバイ」を村上春樹は「ヒーロー物語」として訳さずに成功した。
「長いお別れ」だけでなく、チャンドラーの長編は「ヒーロー物語」から逸脱した部分が少なからずあるが、短編となると「ヒーロー物語」としての色彩が強くなる。
勿論、殆どの短編(遺作の「最後の事件」以外は全部)は発表時には「マーロウ」名義ではないし、パルプ・マガジンに発表されたと言う背景もあるだろう。だがそれに加えて、「短編」という形式でこの手の物語を描く場合、そうならざるを得ないと言うこともあるんじゃないかと思う。(あんまり「枝葉」に入っていくスペースがないからね)

本作に収められた作品の殆どは「ヒーロー物語」になっている。その理由はやはり「短編」という形式による部分が多いだろう。
それにここに作品を寄せた作者は、多かれ少なかれ「フィリップ・マーロウ」にシンパシーを感じているだろうからね。作者にとって「ヒーロー」の人物を描くんだから、それが「ヒーロー物語」になっても仕方がないだろう。
そして僕自身も「ヒーロー」として活躍するマーロウを楽しく読むことができた。

収められた(チャンドラー以外の)15名の作者のうち、僕が読んだことがあるのは8名。
多いのか少ないのか何ともいえないけど、読んだことがない作者の作品についても楽しい時間を過ごせることは間違いない。
ただ思っていた以上に「遊んだ」作品が少ないのは、チャンドラーに対する畏敬の念が深すぎるからかなぁ。個人的にはもう少しそういう「遊び」があっても良かったとは思うのだが。

2007/4/1

TBS vs 不二家  雑感

TBSの「朝ズバ!」で報道された問題について、不二家の信頼回復対策会議が異議申し立てを行い、双方の意見が対立している。

まあこの手の問題、「どちらの主張が正しいのか」は慎重な判断が必要なんだが、今回の場合ちょっと違うのは、当事者である「不二家」ではなく、第三者機関である対策会議が意見を出しているところかな。この機関は「不二家」にも結構厳しいことを言っているから、それだけに信憑性が高く見られるというところはある。(確かなところは分からんけどね)

僕は問題となっている「朝ズバ!」の放送も見たんだけど、見たときも、「廃業して欲しい」と言ったみのもんた氏の発言にはちょっと違和感があった。その根拠となる情報そのものが間違っていたとしたら、確かにコレはまずいだろう。
人気のある番組、影響力のある人物の発言だ。一企業の存続そのものに影響を及ぼしかねない発言だったと思う。単なる「みのもんた個人の感想」という訳には行かない。

朝の報道番組は民放のどの局も「バラエティ化」している。その中でも「朝ズバ!」はニュースそのものをネタにしているところが他局に比べて一歩突っ込んでいるところだろう。
それだけに見る者の琴線に触れる部分が多いのかもしれない。しかしそれ故に今回のようなことが起きてしまうと、その影響も大きいということだ。

それにしてもTBS。「またか」って感じですナ。
「あるある」で関テレは民放連を追放されたけど、さて今回の件でどうするつもりか。「実害」という点では今回の方が遥かに大きいと思うのだが。

あとは「みのもんた」の対応。
確かに報道内容についてはみのもんたが調べているわけじゃないだろうから、彼に責任があるわけじゃない。しかしその内容を伝え、インパクトを与えたのはみのもんただからね。「頬っかむり」っちゅうわけにはいかんだろう。
先週の放送では「触れずじまい」だったようだが、こういう時の対応に真価が問われるんだと思うんだけどね。



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