2007/3/31

ロング・グッドバイ  映画

「異色作」「珍品」(笑)として有名な、アルトマンの「ロング・グッドバイ」をDVDで観た。
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何となく今まで評判だけで観る機会がなかったんだけど、新訳も出たし、アルトマンも亡くなったし、何より「1,000円」で売ってたもんで(笑)。

まあ確かに変わった作品だ。コチコチのチャンドラー・ファンには確かに受けが悪いかもしれない。
テリー・レノックスがあれじゃぁね。

ただ、確か村上春樹も書いてたと思うけど、エリオット・グールドのフィリップ・マーロウは悪くないんじゃないかな。
バカバカタバコを吸いまくるのも、軽口と併せてハマったイメージになっていたような気がする。

映画としてのバランスはちょっと悪いとは思うけど、「ロング・グッドバイ」の映画化としては合格点に達していると言うのが僕の感想。
あれだけ完成度の高い小説だからね。完全な映画化は無理だし、望むべきでもない。
それなら小説の方を読めばいい。
そういうこと。

2007/3/29

日本の力  

著者:石原慎太郎/田原総一朗
出版:文春文庫
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僕は「石原慎太郎」という「政治家」はあまり好きじゃないのだが、「編集者という病」を読んでいると、「小説家」としての「石原慎太郎」の評価が高く、また紹介されているエピソードを読むと、「石原慎太郎」という人物に対する興味が掻き立てられた。
「とりあえず『弟』でももう一回読んでみようかな」
と思っているうちに書店に新刊で並んでいる本書を見かけたので、買ってみた。

本書が単行本で出版されたのは平成5年。
「このタイミングでの文庫化」ということを考えると、邪推の一つもしてみたくなるが、本書の最初で石原氏が主張しているのが「情報開示の大切さ」なので何だか笑えてしまう。「新銀行東京」構想も自信満々で披露されているが、こっちも今となっては・・・というところだから、何だか時間の経過を感じさせる対談になってしまっている。
田原総一朗なんか堀江貴文氏への共感を語っているからねぇ。

ただ大筋で二人が語っている内容について(「日本の『国力』を信じ、それを自信を持って活用できる国となるべき。そのために『改憲』は重要な意味を持つ」といったとこかな)、賛同できるかどうかはともかくとして、強い違和感を感じるようなことはなかった。
まあそれだけ僕自身が「保守化」しちゃってるということかもしれんが。
ただ「全共闘」に強い共感を持っていたほどの「左翼」であった田原総一朗氏が「改憲」を口にするまでの流れと言うのは、「転向」とレッテル張りして済まない、一定のリアル感があるものだという気がする。「日本国憲法なんてなかったことにしちゃえ」(笑)という石原氏よりは、田原氏の感覚に僕は近いと言うことだろう。
まあでもここまで「変化」することには抵抗があるかなぁ。そういう意味では「現状追認型」の保守なのかもしれないな、僕も。

気になったのは二人の「懐古趣味」。自分たちが経験してきた歴史を踏まえ発言することは重要なことだが、何だかそれが「昔は良かった」と言ってるようにしか思えないところがある。
今更、「贅沢になってダメになった。みんな貧乏に戻ろう」なんて言われても現実感はない。最低限の物欲が満たされる社会に住む人間を前提とした議論をして欲しかった。(「それは自分たちで考えること」と言われれば、その通りなんだけどね)

まあでもそれなりに「厚味」がある人間二人の対談であることは確かでしょう。

2007/3/28

植木等、死去  雑感

20年近く前、入社した頃のカラオケの僕の「ネタ」は渥美清の「男はつらいよ」と、この植木等の「スーダラ節」だった。
今じゃそうでもないけど、その頃はこんな唄を歌う人はそんなにいなかったので、結構ウケていた。

そんな訳で、植木等やクレージーキャッツは、僕とは「同時代人」ではないけど、個人的にはお世話になった気がしている。
朝日新聞での矢作俊彦のコメント。
「美空ひばりと石原裕次郎が死んだ後、生き残っていた最後の『昭和』が死んだ気がする。」
まさにそんな気分だ。

(少し前にユーミンとクレイジーキャッツの競作が発表されたとき、「メインボーカルが植木等じゃないのはなんでだろう?」(谷啓だった)と思ったんだが、病状が関係してたんだろうか?)

2007/3/27

さすがやね  雑感

NHKの「プロフェッショナル」という番組をたまたま見た。
取り上げられているのは「宮崎駿」。
番組自体、なかなか面白いものだったんだけど、特に感じ入ったのは、息子・宮崎吾朗が監督した「ゲド戦記」の試写を観ての感想。

「気持ちで映画を作っちゃいけない」
「大人になっていない」

そうそう。
「ゲド戦記」を観て、心に何か引っかかっていたのを、この宮崎駿の言葉がスッと掬ってくれた。

やっぱ、「並」じゃないね。このオッサンは。
「ハウル」で「大分、老いたかな?」と思わないでもなかったんだけど(笑)、これはやはり新作を観ずにはおれんでしょう。

2007/3/27

四つの署名  

著者:アーサー・コナン・ドイル 訳:日暮雅通
出版:光文社文庫
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新訳によるホームズ・シリーズ。シリーズとしては「第二作」になる。
少し前に買ってあったんだけど、何せホームズの長編は今ひとつなんで・・・。
と、放置しているうちに、次の作品の発売が近づいてきたので慌てて読むことにした。

・・・やっぱりホームズの長編は今いちだナァ。
が読み終えての感想。
「本格推理」の側面より「冒険小説」(っちゅうか、「追いかけっこ」)の面が強いのはまあ、いいとして、やはり終盤にくっついてるロマン小説みたいな冒険譚がどうもね。(大体「四つの署名」というアイテム自体が推理と殆ど関係ない)
前も書いたけど、ここがホームズの長編を古びたものにしてしまっていると思う。
あと、ワトソンの恋愛物語も、何かナァ・・・。

ただ本作については、今回改めて気付いたことがあった。
「シャーロック・ホームズ」という人物を巡る「特徴」のようなものが、このシリーズ第二作目に揃って出てくるのだ。
「コカイン中毒」
「ホモ疑惑」(笑)
「ベーカー・ストリート・イレギュラーズ」
そういう点では意味のある作品なんだろうな。
出来はともかく(笑)。

2007/3/27

春の嵐、勝負  

著者:池波正太郎
出版:新潮文庫
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帰省のお供、「剣客商売」シリーズ(笑)。
今回は第十巻と第十一巻で、シリーズ初の長編となる「春の嵐」と、小兵衛の初孫である小太郎が誕生する「勝負」になる。

もうすっかり世界観が確立していて、読む側もそれを良く知っているので、読み始めるとすぐにその世界に入ってしまう。心地よく、それでいて何かに気付かされる、そんな世界だ。

最初は「看病の暇つぶしのために1,2冊」と思ってただけなんだけど、ここまで来ちゃうと最後まで読んじゃうだろうなぁ。
そんなことを何となく楽しく思ったりしている。

2007/3/27

キャンティ物語  

著者:野地秩嘉
出版:幻冬舎文庫
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「編集者という病」を読んで、中に出て来る作品で「読んでみたい」「読み直したい」と思わされた作品が何作かあった。本作はその中で今まで読んだことがなかった作品。
「キャンティ」というレストランを経営していた「川添浩史・梶子」夫妻の物語だ。

この夫妻は60年代から70年代の作家・アーティストたちを支え、彼らに影響を与えた人物として紹介されているのだが、こういう夫妻としてすぐに思いつくのは、「白洲次郎・正子」夫妻、それにスコット・フィッツジェラルドの友人であったマーフィ夫妻(「優雅な生活が最高の復讐である」という有名な伝記がある)だ。
共通点も「芸術に対して目利きである」「自身は芸術家としては大成できなかった(白洲正子は少し違うかもしれないが)」「かなり裕福な家の出である」と少なくなく、ある意味では「パトロン」というカテゴリーの中にこういうタイプを設けてもいいのかもしれない。
ただこういった作品になるのは、そうした条件の上に、「本人たちが魅力的である」という絶対条件が必要であり、ここが最も難しいとも言える。白洲夫妻、マーフィ夫妻そしてこの川添夫妻はその条件を満たした稀有な例では、やはりあるのだろう。

本書で川添夫妻の「キャンティ」に現れるのは、三島由紀夫、安部公房、加賀まりこ、かまやつひろし、坂本龍一、黛敏郎、安井かずみ等々、錚々たるメンバー。確かに一時代を築いた人材が次々と登場し、彼らの「青春時代」の一端が覗けてナカナカ楽しい。そういう「覗き見」趣味も満たしてくれる本でもある(笑)

「キャンティ」は今もある。
昔から知ってはいたけど、何となく今まで行ったことはなかった。
しかしこういう本を読んじゃうと、何かこれからも行けない感じがするなぁ(笑)。「野次馬」みたいで何となく気恥ずかしい。
ま、何となくだけどサ。

2007/3/27

お宮参り  雑感

週末は娘の「お宮参り」のために広島に行ってきた。妻の実家の近くと言うことで、息子のときと同様、「お宮参り」の場所は「厳島神社」。
「世界遺産でお宮参り」と言うわけだ(笑)。
まあだからと言って特別なことをするわけじゃないんだけど(当たり前か)、さすがに雰囲気はある。厳粛な気分にもなった。
春休みで沢山の観光客に見物されるのは参っちゃったけどね(笑)。

2007/3/23

編集者という病  

著者:見城徹
出版:太田出版
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別に出版会に詳しい訳でもないし、「野生時代」や「月刊カドカワ」を購読していたわけでもないのだが、何となく「見城」という名物編集者が角川書店にいることは知っていた。
「幻冬舎」という出版社が設立され、センセーショナルに打って出てきたとき、その社長が「見城」という元・編集者だと言うことを知り、「ああ角川書店にいた」と思い至った記憶がある。
本書はその元「角川の名物編集者」にして「幻冬舎社長」であ
る「見城徹」の本。

「幻冬舎」(あるいはその前の角川時代に見城氏が編集した作品を含めてもいいだろう)を考えるとき、イメージするのは以下の二つだ。
第一に「ふたり」や「ダディ」に代表される「タレント本」を中心としたベストセラーを連発する販売戦略に見られる「いかがわしさ」。
もう一つは、村上龍・中上健次・石原慎太郎・尾崎豊・坂本龍一等々の数多くの作家・アーティストたちと信頼関係を結びつつ、作品に結実させる過程に感じられる「誠実さ」。
この一見、相反する二つのイメージが「幻冬舎」即ち「見城徹」という編集者には、僕から見ると感じられるのだ。

本書の序章はなかなか素晴らしい。書き下ろされたその部分を読み、そこに見られる「見城徹」という人物の「深さ」に驚き、僕は先を読む期待感に満たされた。
ただそれは次の章に入ると、いきなりトーンダウンする。本書は基本的にそれまでに発表された見城徹氏の短文や、見城氏に関する記事を元に構成されている。その雑多さと「序章」の深みのギャップに失望感を覚えてしまったのだ。(最初が「尾崎豊」を巡るインタビュー記事で、見城氏を第三者が見るスタンスの文章だったので、特にそういう感じがしたんだと思う)
しかし失望感を抱えつつ読み進めていくと、次第にその失望感が薄れ、その雑多さの中に浮かび上がる「見城徹」という編集者の人間像に対する興味が強まって来るのを覚える。やや「提灯記事」的な記事や、自身の心情を吐露した文章、自分が手がけてきた作家や・アーティストたちに対する賛辞等々、収められた様々な文章の向こうに、一筋縄では行かない、しかしロマンティシズムに満ちた人間の姿が見えてくるのだ。
そして「いかがわしさ」と「誠実さ」という相反するイメージが、その人間像の中で確かに共存することを確認することができるのである。

まあでもちょっと本書の「見城徹」は格好良すぎるかも(笑)。正直言えば、「もう少し『裏』があるやろ」と思ったのも事実。
まあしかしここら辺は、「見城徹」に伍しうる、別の編集者が手がけなければ、なかなか表には出てこないのかもしれないね。

もう一つは「仕事」に対する考え方について。見城氏は確かな実績を背景として、最年少(41,2かな)で角川書店の役員となるが、一点、ゼロからのスタートを自ら選択して、「幻冬舎」を立ち上げて、旧態依然たる出版業界に殴りこむ途を選ぶ。
この生き方はスゴク格好よくて、憧れすら感じる。感じはするが、やはりそれは僕とは違うモノだと思わざるを得ない。
では自分にとって「仕事」とは何なのか。
そんなことを考えざるを得なくなる作品でもある。

ま、それにしても「濃い」オッサンではあるな(笑)。

2007/3/21

右翼と左翼  

著者:浅羽通明
出版:幻冬舎新書
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幻冬舎新書の発刊第一弾では「インテリジェンス 武器なき戦争」と並んで、ちょっと読んでみたいなと思わせた作品。
読んでみて、これはなかなか出来のいい一冊だと思った。「右翼と左翼」という視点から見た「世界史」「日本史」の近代史の俯瞰として、かなり評価できる作品じゃないかと思う。

まあ元々の興味は「右翼・左翼の歴史的な出発点を知っときたい」って言うのがあったんだよね。「フランス革命」に発しているのは知っていたのだが、具体的なことは余り知らなかったから。
この疑問には、本書の第二章でしっかりと答えてくれている。
そこに発して、「世界史」における「右翼と左翼」の変遷が語られ、続いて日本における有り様を、戦前と戦後に分けて要領よく整理した後、現代日本における右翼・左翼の現状、さらに今後の見通し(あるいは提言)と、なかなか盛り沢山だ。
それでいてそれぞれがかなり要領よくまとめられていて、知識の獲得や整理に非常に役に立った。

現代日本は「右傾化」「保守化」していると言われ、僕自身もそういう感覚を持っている。だが本書ではそれを「左翼の理念が崩壊したことによるものであり、『右翼』『左翼』ともに社会をユートピアに導く理念を失い、理念なき現状追認となっている」と位置づけている。
これはなかなか鋭い。
確かに安倍政権は「戦後レジームの見直し」を掲げ、「改憲」等、「右翼的」と見られる要素を持っているが、その視野に現代社会そのものの根幹までも変革しようとする意図は含まれてないだろう。
そのことは「右翼」「左翼」と現在言われる勢力もまた同様である。何より日本社会にそこまでの不満勢力があるようにも思えない。

現在の世界情勢において宗教原理主義・民族主義が力を持ち、従来の「右ー左」図式とは異なる視座を提示している現状を踏まえ、作者は
「科学技術、殊に交通と通信の驚異的発展、生産力の膨張、また『自由』『平等』を実現させていった結果である、大衆社会、帝国主義、共産主義、ファシズムなどの歴史的経験、これら明暗交錯する蓄積を繰りこみ、新たな千年紀を費やすやもしれぬ普遍的思想(宗教)を構築してゆくべし」
とコメントしている。
割とロマンの香りがして、そういう意味ではちょっと「右翼」的な発想だが(中国のことを「支那」と表記する等、若干そういう傾向はあるだろう)、分からなくもない。
ただなんかそれは新たな「抑圧思想」を生み出すだけのような気もするしナァ(っていうのは「サヨク」的?(笑))。

いやまあ、そういう色々な考えを刺激されることも含め、読み応えのある作品なのは確かである。



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