2007/2/28

無銭優雅  

著者:山田詠美
出版:幻冬舎
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「ベットタイムアイズ」でデビューした頃、山田詠美は「大っ嫌いな作家」だった。
それが何の拍子か、一時期、ハマってしまい、片っ端から作品を読み漁る日々を越え、ここ十年くらいは「気が向けば読む作家」になっている。まあ丁度いい距離感かね。(一番好きな山田作品は「ぼくは勉強ができない」だから、コアなファンとは言えんだろう)

本作は「PAY DAY!!」以来の久しぶりの長編。短編集「風味絶佳」が評判が良かったので、「どーしようかなー」と思っていたところに出版され、何となくコッチの方を買っちゃった。
ストーリーとしてはエエ年した大人(40歳代)がひたすらイチャイチャしまくる、何とも情けないエピソードが大半を占める。ここら辺に「ノレル」「ノレナイ」はかなり個人差あると思うが、僕の場合は「まあアリかな」って感じ。決して近寄りたくないキャラたちではあるが(笑)。
作品の構成は、章の間に「死」を題材とする(恋愛)小説からの引用があり、それが微妙な気配をストーリーに落としつつ、ラストになって「ドッカ〜ン」と来る仕掛けになっている。
これは「お約束」みたいなもんだが、正直「なくても良かったかな」とも思った。そうなると、ただただ中年男女がイチャイチャするだけの話になっちゃうんだが(笑)、終盤までちゃんと読ませるんだからそれでもいいんじゃないか、と。そうであってもチャンと引用文の「影」は効いてるしね。
(ただし非常に個人的な立場から、ラストの「ドッカ〜ン」にはちょっとヤラれた。そういう意味では「上手い」んだろうけど、ただ「今の僕だから」って気もするしねぇ)

「大人の恋」(作中の人物によれば「オトコイ」(笑))という「落とし穴」に落ちることなく、生命力溢れる作品を書き続ける作者の姿勢には感心する。僕自身はとてもじゃないけど、こんな風に「貪欲」になれないので尚更に。
一読の価値はある作品だと思います。(「鈍感力」よりは遥かに(笑))

2007/2/27

鈍感力  

著者:渡辺淳一
出版:集英社
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最初書店で見たときは全く気にならなかったのだが、小泉元首相が安倍首相を激励するときに「鈍感力」という言葉を使ったので、何となく・・・。
まあ、病院で付き添いしたり、飛行機の中で読むにはイイかな、と思ったと言うのもある(笑)。

内容としては「可もなく、不可もなく」。よくあるユル〜い人生訓ものかな。最後の辺りは「母性」に繋がって、やや時代錯誤な雰囲気もあるのだが、「産む機械」にくらべりゃ、OK、OK。
結局のところ「鈍感力」というのは、「鈍感」そのものに、「度量」や「器」みたなものを包含したイメージ。
ということは、
「大成するには『度量』が必要」
ということになる。
当たり前やん(笑)。
書いてあることは決して的外れじゃないけどさ。
(「失楽園」や「愛の流刑地」みたいな作品を臆面もなく書くには「鈍感力」が必要ということかも。でも初期の作品なんか、決して「鈍感」とは思えないけどネェ)

と言う訳で、典型的な話題先行の一冊。
「ありゃ、大したことないよ」
と言う為に読む価値はあるかもしれません(笑)。

2007/2/27

みなとみらいで捕まえて  

著者:鯨統一郎
出版:光文社文庫
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「邪馬台国はどこにあったのか?」という佳作でデビューした作者は、何だか知らない間に結構作品を発表している。ジャンルも幅広く、真面目な推理モノから、歴史推理、ユーモア推理、タイムトラベルもの等々、なかなかのものである。
僕はデビュー作以来、この作者を割りと贔屓にしてきたのだが、それでもこれだけ書き飛ばしていると(と言っても、西村京太郎ほどじゃないんだけど)、さすがに当たり外れは出て来る。
で、本作はその「ハズレ」の方(笑)。

大体、主人公の名前が「半任優里(はんにんゆうり)」「南登野洋子(みなとのようこ)」と言うんだから、ふざけている。
もちろん作品としてはユーモア推理小説の部類に入るので、許せる人は許せるんだろうけど、僕はちょっとダメだった。「推理」の部分が中途半端にマトモなのも、ちょっと。この設定だったら、もっとハチャメチャにした方が良かったと思う。

まあでも病院で付き添いしているときに読むのには邪魔にならない本ではあったけどね(笑)。

2007/2/27

昭和史の教訓  

著者:保阪正康
出版:朝日新書
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僕自身の第二次世界大戦に対する日本の「戦争責任」に関する考えは、
「戦争を開始し、多大な犠牲を払いながら敗戦した。その責任は、開戦する状況に国家を持ち込み、戦争を遂行した責任者が負わなければならない」
という点に基本がある。「侵略戦争」という側面についても批判的な見解を持っているのだが、まずはココだろう。

そういう観点からは、「昭和十年代には教訓が山とある」とする本書の作者の視点は、「なぜ開戦せざるを得なかったのか」という点を考えるのに非常に役に立つ内容だ。
1.国定教科書による国家統制
2.情報発信の一元化
3.暴力装置の発動
4.弾圧立法の徹底化
の四つの史実によって囲まれた時代空間を指摘する作者の論点は説得力があると思う。
(本書は「戦争遂行」面での問題点指摘は少ない。本書の性格上、それは当然でもあるが、この点については「失敗の本質」という名著があるので、そちらと併せ読むと、「昭和十年代」の日本の過ちが鮮明に浮かび上がってくる。
まああまり楽しい読書体験ではないが(笑))

「自虐史観」という考え方がある。
実は「自虐史観」を批判する人々の個々の主張については決して賛同できないものばかりではないのだが、「自虐史観」という言葉を選ぶセンスが僕は嫌だ。「自虐」という言葉にはかなり負の感情が付随しており、このレッテルを貼ってしまうと、冷静な議論にならなくなっちゃうんだよね。
もっとも保阪氏の言う「自省史観」がいいとも思えないけどね(笑)。

何にせよ、作者の言うとおり、昭和初年代から十年代は「同時代史から歴史に移行している」段階にあるのだろう。最近の「昭和史ブーム」みたいなものも、その証拠かもしれない。そのこと自体は決して悪いことではない。
ポイントになるのは、「単に過去への回帰を目指すのではなく、冷静な批判を加えた上で、未来への道筋を模索する」という立場だ。
安倍政権の「戦後レジームの解体」には、そういう点でチョット危うさがあるんだよなぁ。

2007/2/27

病院から病院へ  雑感

金曜日に広島へ行き、娘と「ご対面」。
母子ともに健康で、娘は元気よく泣きまくっていた。息子のときよりも妻も元気そうで、まずは一安心。
それにしても娘は息子の赤ん坊の頃にソックリ!
まあ「新生児」だからそういうもんなのかもしれないが、何か可笑しかった。

妹の誕生に関してはピンときてないらしい息子だが、少し見ない間に、暴れっぷりは「怪獣」の域に達している(笑)。日曜まで広島にいたんだけど、「娘に会いに行く」というよりは「息子の面倒を見に行く」って感じだった。
お義父さん、お義母さんもコレは大変だろう。ご迷惑をおかけし、申し訳ない。
僕自身は、ドタバタ一緒に遊べて、結構楽しんだけどね(笑)

その後、月曜に父が手術をすることになっていたので、立会いのため松山に。入院ももう1ヶ月になるが、こちらも先が見えてきた状況。(あんまり何回も来てるから、病院までが「通いなれた道」になっちゃったけど)
ICDを植え込む手術だったのだが、無事成功。大きな山を越えられて、ホッと一息だ。
最初倒れたときはどうなることか、先が見えなかったが、あと半月と言うところかな?

結局、週末は「あっちで病院、こっちでも病院」。
でもどちらも明るい話題(と言うと言い過ぎか?)だったので、精神的には楽ではあった。
肉体的にはさすがに「歳」を感じたけどね(笑)。

2007/2/23

娘  雑感

第二子、誕生。
娘です。

・・・う〜ん、まだ実感はないナァ。
これから広島に顔を見に行ってきます。

2007/2/23

つっこみ力  

著者:パオロ・マッツァリーノ
出版:ちくま新書
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土屋賢二の作品みたいなのを予想していたんだけど、結構中身のアル本だったので、ちょっと驚いた。「戯言」ばかり連ねている土屋作品(笑)と違い、ちゃんと主張があり、提案がされているんだよね。
その核が「つっこみ力」なんだけど、最初は「何やそりゃ」と思うものの、読み進めていくと、結構説得力があるのがスゴイ。
ちゃんと「笑える」ようにもなってるしね。

基本的には、
「メディアリテラシー」(=「メディアが伝える内容には、制作側の意図によっる偏りが含まれるから、鵜呑みにせず、制作者側の意図をきちんと見抜いて判断しましょう」ということらしい)に表れる「論理力」や「批判力」によって社会を批判・分析するよりも、「愛と勇気とお笑い」で(笑)、創造的な観点から、「新しい価値観」を積極的に評価していこう(=「つっこみ力」)。
というのが本書の主題。
まあ「テーマなんか、どうでもいい」と言うのが作者のスタンスでもあるから、こんな風にまとめちゃうこと自体が「×」なんだけどね(笑)。

楽しく読めて、ためになる視点を得ることが出来るんだから、ホント悪くない本だと思う。途中のコントは「どうかなぁ」と思うところもあるが、まあこれはセンスの差だから許容範囲、としておこう(笑)。
実際考えさせられるところも少なからずあったよ。
その一つ。
「これからの時代は、シロウトに説明できるだけの国語能力を持つことが、プロの条件なんです。それができないからといってシロウトを世間知だと責める連中こそが、時代遅れで自分に甘くて愛のない、救いようのないドシロウトなんです」

それにしても「パオロ・マッツァリーノ」。
「日本文化に造詣の深い、自称イタリア生まれの30代。現在は千葉県民。公式プロフィールにはイタリアン大学日本文化研究科卒とあるが、大学自体の存在が未確認。父は九州男児で国際スパイ(もしくはマクドナルドの店舗清掃員)、母はナポリの花売り娘、弟はフィレンツェ在住の家具職人のはずだが、本人はイタリア語で話しかけられるとなぜか聞こえないふりをするらしい。ジャズと立食いそばが好き。」
・・・ふざけたプロフィールだ。

2007/2/22

新書で入門 ジャズの歴史  

著者:相倉久人
出版:新潮新書
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ちゃんと数えたことはないんだけど、「ジャズ」に分類されるCDを100枚以上は持っている。大学時代に買い漁った中古LPを含めたら何枚になることやら・・・。
それで今更「入門」もないモンだが(笑)、別に勉強しながら聴いているわけじゃないので、こんな風に「通史」を読むのは、実は初体験であった。(ミュージシャンの伝記は結構読んでるんだけどね。中では「マイルス・デイビス自伝」が抜群に面白い)

奴隷制度との絡みで語られるジャズ誕生の経緯辺りは教科書を読むようで、味気なかったが、ルイ・アームストロングが出て来る辺りからは、次々と「馴染み」のジャズ・ジャイアントたちが登場してきて飽きない。ジャズを「クレオール文化」と定義して、「アフリカ」と「ヨーロッパ」の刺激合いと重視し、その「ヨーロッパ」との繋がりに「ピアノ」を指摘したことなんかは「なるほどなぁ」って感じだ。
圧巻は、
「コルトレーンの死によって引導を渡されたのはフリー・ジャズではなくて、じつはバップ以来二十年つづいたモダン・ジャズの歴史そのものだったのではないでしょうか。」
として語られる「ポスト・モダン・ジャズ」。
メイン・ストリーム=「大きな物語」としてのモダン・ジャズが崩壊した後には「小さな物語」が乱立するばかりで、メイン・ストリームの立ち上がりはなかった。
この指摘には納得感がある。以前から僕は「60年代以降のジャズには興味がない」と思ってたんだけど、そんな風に「ジャズ」とくくられるような「流れ」はコルトレーンの死後にはなかったんだよね。確かにミュージシャンレベルでは60年代以降も聴いている人はいるからねぇ。

「モダン・ジャズ神話の崩壊」を描く中で、毅然とした態度を見せるのは「マイルス・デイビス」。その「崩壊」を明確に認識し、幻想となった「ジャズ」に囚われずに我が道を進もうとするマイルスの姿には惚れ惚れとする。
まあチョット格好よすぎる気もするけど(笑)。

ジャズに興味があれば楽しめる一冊。
ただ「入門」としてはどうかなぁ。
これって、やっぱりある程度の事前知識が必要だろう。少なくともココに上がっているプレイヤーたちの演奏を全く聴いたことがなかったら、面白くもなんともないと思う。
僕くらいに丁度いい本、ってことかもしれない。

2007/2/20

龍の黙示録  

著者:篠田真由美
出版:祥伝社文庫
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中学生のときに萩尾望都の「ポーの一族」を読んで以来、「吸血鬼」モノは気になるジャンル。
とは言え、なかなか「いいなぁ」と思える小説は少ないんだよね。「インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア」なんかはいい雰囲気だったんだけど(インスパイアされたスティングの「バーボンストリートの月」も名曲)、レスタトがロックスターなんかになっちゃうと、ちょっと・・・。
本作は「建築探偵」シリーズの篠田真由美の吸血鬼伝奇小説のシリーズ第一作。
「建築探偵」シリーズがちょっと面白かったので以前から少し気になっていたのだが、本屋で文庫を見つけて、衝動的に購入した。

読後の印象としては「堅いな」ってとこ。
ヒロインの行動には共感できない部分も多いし、ラストのオチは「それはないんちゃう」って感じだったのだが、全体としては手堅くまとめられている感じがする。設定にはイエス・キリストまで盛り込まれていて、「大風呂敷」なのだが、作品の印象は設定の割にはコジンマリとしている。
逆に言えば、決定的な破綻もないということだが、「伝奇小説」なんだから、もうちょっとハジけても良かったんじゃないかナァ。
(主人公がちょっと「いい子ちゃん」過ぎると言うのあるかな。設定から言っても、もっと善悪の狭間の存在であっても良いと思うのだが)

ただこのシリーズ、既に結構続きが出ていて、一部は過去に話が飛んだりもするらしい。「不老不死」をテーマとする作品としては、これはナカナカ期待が持てる。

と言う訳で、このシリーズ、もう少し付き合っても良いかな、というのが今のところの評価である。

2007/2/18

進化しすぎた脳  

「進化しすぎた脳 中高生と語る[大脳生理学]の最前線」
著者:池谷裕二
出版:講談社
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少し前に「海馬」という「脳」に関する本があって、結構面白かった記憶があった(あんまり中身は覚えてないんだが(笑))。
で、同じ「脳」に関する本で売れているというのを知って買ってみたのがこの本。間抜けな話だが、買ってから作者が「海馬」と同じだと言うことに気付いた(笑)。
そりゃ面白いはずだワ。

僕が購入したのはブルーバックス版だが、2年ほど前に元本はハードカバーで出版されていたらしい。従って基本的に本書で「最新」と言っている知識は2年前のモノになるのだが、素人には十分に「最新」だ。
大体、2年前の講義とは言っても、「先月の雑誌に発表されたんだけど・・・」みたいな最新情報がドカドカ取り上げられていたからね。そうそう古びるもんじゃないだろう。
そういう最新のところをドシドシ紹介する作者の度胸には驚かされるし、それ以上に、その内容を「中高生」にも分かるように語る説明能力には驚嘆する。
明らかに僕はココで講義を聞いている「中高生」よりも理解力が劣るが(「文系ゆえ」と思いたいところだが(笑))、それでも何とかついていくことが出来た。
(「身体によって規定される脳」「あいまいな記憶」「アルツハイマーに関する情報」等々、なかなか刺激的ですらあった。実生活上にはアンマリ役に立ちそうにはないけどネ)

まあ「脳」のことを考えるって言うのは、究極の「自己言及」だからねぇ。突き詰めると矛盾も出てこざるを得ないだろう。
でもそんなことは承知の上で、先端を走る作者の姿には潔さと無邪気さを感じる。そこに一抹の「危うさ」がないわけではないのだが(そして作者自身はそのことに意識的でもあるようだが)、それでも
「科学者はこうあって欲しいナァ」
と思わずにはいられない。
かつて「科学者」に憧れながら、早々に退散してしまった元少年の、正直な感想である。



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