2006/12/27

ウェブ人間論  

著者:梅田望夫・平野啓一郎
出版:新潮新書
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刺激的な著書「ウェブ進化論」の著者(梅田望夫)と、芥川賞作家(平野啓一郎)の対談(と言いながら、僕は平野氏の作品は一つも読んだことないんだが)。「ウェブ進化論」に刺激を受けた平野氏サイドからのアプローチで、Web2.0が「人間」や「社会」にどのような影響を与えて行くかについて、活発に議論されている。

面白いなぁと思ったのは、若い平野氏(75年生まれ)の方が、梅田氏(60年生まれ)よりも、ウェブが「人間」に与える影響について批判的な側面(「社会」から隔絶した「人間関係」を構築し、そこに安住してしまうのでは、みたいな)を表明している点。僕自身、「ウェブ進化論」にはかなり刺激を受けたつもりだが、感覚的には平野氏に近いところがある。
これは「年代」ではなく、バックボーンとなる知識や経験が「人文系」のものに拠っているところにあるのかな、と思った。

ただ実際的な社会の動きを見ていると、「孤立して先鋭化して行く層」「社会から隔絶し、(社会を変革するという意味での)生産性を失ってしまう層」に対して危惧を抱くよりも、梅田氏のように情報の価値が下がり、その取得が容易になっていくことのメリット面を積極的に捉えたほうがいいような気がする。
第一、危惧を抱いたって、それに対抗するには「インターネット規制」しかないんだが、現実的にも、理念的にもコレは難しい途だからね。確かに「2ちゃんねる」や「ブログ炎上」に見られる心ない匿名者の煽動には眉を顰めるケースも少なくないが、そ
ういう振る舞いに対して個人としてどういう態度をとるか、実際に重要なのはこっちだろう。(その観点から「2ちゃんねる」離れというのは確実にあるように思う)

「ウェブ進化論」を読むよりも梅田氏の言説は本書のほうがバランスの取れたものになっていて、現実感を増しているように読める。それだけに説得力もある。既に生まれ、日々増殖しているウェブの世界を規制するのは「絵空事」。そうなればその中でどのようにサバイブするか、確かに問われるべきはそういう視点だ。

そうした中でどのような「人間像」が立ち上がってくるのか。

これは興味深いけど、誰にも答えられない問いだろうね。

2006/12/25

沖縄  雑感

週末にかけて、出張で沖縄に行って来た。
勿論、「会議」が主目的だったのだが、「せっかくだから」と言うことで、土曜日には午前中だけだが、観光もセットされていた。

で、回ったのが、「ひめゆりの塔」と「平和祈念公園」。

硫黄島絡みの映画と本を見たばっかりだったので、考えさせられちゃったよ。素晴らしい景色を前にした公園に、沖縄戦で亡くなった方々の名前がズラーッと記されていて・・・。

硫黄島の戦いにおいて、栗林司令官は和平のための時間稼ぎと、米兵の犠牲による米国世論の変化を視野に入れていたのでは、という説に、「散るぞ悲しき」では触れていたが、沖縄戦もまた、水際作戦を放棄し、徹底したゲリラ戦を目した戦争であったようだ。(一般市民を巻き込むか否かの判断で、硫黄島とは決定的に異なるが)
とすれば、この犠牲の果てに当時の戦争指導者は何を見ていたのか。

犠牲の多さとともに(沖縄住民の四人に一人が死亡した)、狂気と愚劣が顔をのぞかせている様な気がした。

2006/12/25

ダメな議論  

・「ダメな議論ー論理思考で見抜く」
著者:飯田泰之
出版:ちくま新書
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題名だけ見ると中身の薄いHow To本みたいだが、(ある種のHow To本ではあるんだけど)結構シッカリした内容の本だと思う。
「人は『自分が聞きたいと思うこと』しか聞かない」と言うのは改めて言われることでもないこと。それを前提として、その「罠」にはまらないように、一定の「チェック」を行うようにしよう、というのが本書の主旨だが、その「チェックポイント」が悪くない。

@定義の誤解・失敗はないか。
A無内容または反証不可能な言説ではないか。
B難解な理論の不安定な結論。
C単純なデータ観察で否定されないか。
D比喩と例え話に支えられた主張ではないか。

これらのチェックポイントの意図を具体的事例を挙げながら懇切に説明し、更に世の中で良く見る「言説」を例文としながら、そのダメさ加減をチェックポイントを通じて論じて行く部分が非常に面白く読める。
挙げられているのは「少年犯罪の増加」「ニート対策」「日本の国際競争力低下」「アジア共通通貨」等々、多岐に亘っているんだが、これが結構「それらしい」んだよね。一読すると、何となく説得されちゃうものも少なからずある。
それをチェックポイントを通じてキッチリ「ダメ」と定義しているんだから、まあそれは面白い。(もっとも翻れば自分自身の「ダメさ加減」を指摘されているようなモンだが(笑))。

日常的にはこういう「チェック」というのは無意識にやっている部分もあると思う。でもそれをこういう風に整理して、具体的に提示したところに本書の価値があるんだろうね。

「ダメな議論」に取り込まれないために、お勧めの一冊。

2006/12/21

再起  

著者:ディック・フランシス  訳:北野寿美枝
出版:早川書房
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引退したと思っていたディック・フランシスの6年振りの新作。奥さんを亡くしてから新作の発表がストップしていたんだが、まあ80歳を超えている(今年「86歳」)からね。「引退も当然かな」と思っていたんで、これは嬉しい驚き。
しかも主人公は「大穴」「利腕」「敵手」のシッド・ハレー。「競馬シリーズ」のみならず、今までに読んだ冒険小説・ハードボイルド小説の中でもかなり「お気に入り」の部類に入るキャラクターが登場するとなれば、これは期待せざるを得ない。

読み終えて、久しぶりのフランシス作品、久しぶりのシッド・ハレーの勇姿を楽しむことができた。80歳を超えた老人が書く小説としては驚くほどのヴァイタリティを感じることができる。いやはや大したものです。
とは言え、かつて「利腕」を読んだときのような感動は得ることはできなかったし、また望むべきでもないだろう。
かつて人生を賭けた職業を失った絶望から復活し(「大穴」)、「恐怖」に直面しながらも自負心を失わず困難に立ち向かう感動的な人物像を打ちたて(「利腕」)、メディアの煽りによって社会から厳しい批判を受けながらも、親しい友人を告発するという困難な途を貫き通した(「敵手」)ハレーが今回直面するのは、「愛する恋人を危機に晒しながらも、自身の『正義』を貫けるか」という課題。そういう意味では自分自身に向けられた精神的・肉体的脅迫から生じる「恐怖」とその克服を描いた「利腕」の姉妹編と行っても本書は構わないと思う。
ストーリーも、そのテーマの追求においても、本書は満足の行く内容になっているし、非常に楽しめた。そういう意味では不満を言うのは贅沢かもしれない。

しかし「利腕」のギリギリまでに追い詰められながら、その淵から歯を喰いしばって復活したハレーの姿に感動した身としては、「もう一段厳しい状況に直面する姿もありえたのでは」などと思ったりもするのだ(サドか、俺は!(笑))。
具体的に言うと、本書では危機に晒された「恋人」は、自分自身が脅しに屈することを拒み、ハレーが捜査を続けることに賛成する(そのために撃たれるのですが)という態度を取る。これはこれで感動的で、グッと来るんだが、一方で「恋人」が脅しに屈し、ハレーを非難するという展開もありえたのでは・・・と。

まあでもそれは苦しすぎる展開ではあるかね。さんざっぱらヒドイ目にあってきたハレーをそんな苦しい立場に追い込むのも、確かにどうかなとも思う。
本書の最後でハレーは恋人と結婚し、憎み合っていた元妻とも和解する。フランシスの年令を考えれば、ハレーの登場は本書で最後ということも十分に考えられる。
となれば、このハッピーエンドは祝うべきことと納得した方が良いんだろう。

2006/12/19

散るぞ悲しき  

・「散るぞ悲しき 硫黄島総指揮官・栗林忠道」
著者:梯久美子
出版:新潮社
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先々週の土曜日、イーストウッド監督の「硫黄島からの手紙」を(妻子が寝た後、オールナイトで)観に行った。上々の前評判は知っていたのだが、思った以上にストイックで重く複雑な内容に少なからず衝撃を受けた。
この映画が「日本映画」ではなく、「ハリウッド映画」で作られること。
「アメリカ」という国の奥深さを垣間見た想いだ。
(一言で言えるストーリーじゃないが、主観的には「『妻子のために生きて戻ること』を誓った兵士・西郷(二宮和也)と、『日本に残してきた家族のために、(玉砕せず)生きて戦い続けることを兵士にも自分にも課した』栗林忠道(渡辺謙)の姿を硫黄島の極限状態において描き、栗林の死に接した西郷が、自らの死を省みずに『狂』するに到る姿を、ヒロイックな視点を排した演出で描き出した」って感じなんだが、何のことか分からんね(笑)。「いい映画」ですが、デートで観るには重過ぎる作品です)

ただあまりにストイックなので主人公たちの置かれている状況が今ひとつ分からなかったのが気になり(「硫黄島」のことは日本よりアメリカで知られている史実のようだネ)、少し前に評判にもなっていた本書を購入した。
これまた重過ぎる内容だったけど・・・(笑)。
ただ映画の背景となっている「硫黄島」の激戦の経緯や、「栗林忠道」という人物像は良く分かった。映画よりはよっぽどコッチの作品のほうが「ヒロイック」だね。何度か強い感情に動かされ、涙腺を刺激されそうになっちゃいましたヨ。
(だからと言って、映画よりも本書のほうが「出来がいい」とは言えない。
むしろ「これだけヒロイックに描ける物語・人物を、何故あそこまでストイックに描いたのか」。
「アメリカ人だから」なんて単純な理由じゃない、その「深さ」に感銘を受ける)

「硫黄島」のヒロイズムは以下のような事実に支えられている。
1.「硫黄島」を奪われることは「日本国土」を奪われることであり、完全に制空権を失い、本土空襲を容易にさせることとなるという戦略的背景があった。
2.このため、栗林司令官は「玉砕」を禁じ、「生きて戦い続けること」を兵士に課し、徹底したゲリラ戦(最後のほうは飲み水もなくなり、地獄のような様相となった)を展開した。
3.このため当初「5日で落とせる」とアメリカ側は思っていたが、結果として陥落まで「36日間」を要した。
4.ミッドウェイ以降では唯一アメリカ側の死傷者が日本側を上回った戦いとなった。(但し戦死者は圧倒的に日本軍のほうが多い)

その戦いを指揮した司令官が「アメリカ留学経験を持ち、アメリカとの戦いに反対し続けた親米派」であり、「筆まめな家族思いの父親」「兵士思いの指揮官」であったという事実が本書では描かれている。
・・・なんとも辛い事実。

「映画」が先か、「本書」が先か。
ま、ドッチでもいいのですが、より深く楽しむには「本書」で事前勉強することがお勧め。

2006/12/16

ブラッカムの爆撃機  

著者:ロバート・ウェストール、訳:金原瑞人、編:宮崎駿
出版:岩波書店
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宮崎駿が「編」と、紹介マンガ(「タインマスへの旅」)を書いている短編集。僕は「アニメーション作家」としての宮崎駿よりも、「漫画家」としての宮崎駿の方を高く評価しているので(「風の谷のナウシカ」はアニメより原作マンガの方がはるかに出来が良く、「深い」)、そのマンガに惹かれて購入した(そういう点では宮崎駿と岩波書店の思惑通り、というところ。笑)

しかしこれは「拾い物」。
宮崎駿のマンガも読ませるものがあるんだが、彼が惚れ込んでいる「ロバート・ウェストール」という作者が書く作品も素晴らしい。「児童文学」の範疇に入る作品なんだが、かなり骨のある内容になっている。特に表題作の「ブラッカムの爆撃機」はとても「子供向け」とは思えない内容だ。

本書に載せられている短編は3編だから(うち1編は「自伝」のようなもの)、それを以ってウェストールという作者全体を評することはできないんだが、それでも作者が「戦争」というものに重く影響されていることは良く分かる。その根本には「反戦(嫌戦)」と分類できるような気分があるんだろうが、一方で戦場における「勇気」や「友情」と言ったものも力強い筆致で描かれており、単純な反戦ものとして片付けるには抵抗もある。(あるいはこの「複雑さ」こそが描きたかったものなのかもしれない)

宮崎駿は「自分の前を歩いている人がいる」と書いているが、確かに似たところはあるね。作品としては「紅の豚」あたりにはその気分が強く出ている。(これは作品の出来不出来とは別に、宮崎作品の中ではかなり好きな映画だ)

結構、顔も似てて笑えるんだけどね(笑)。

2006/12/13

男の品格  

・「男の品格 気高く、そして潔く」
著者:川北義則
出版:PHP研究所
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この手の本を読むのにはチョットした逡巡がある。
「『品格のある男』とは、こういう本を読まない『男』」
という切り返しは、まあ「お約束」だしね。
ましてや本書は題名からして、ベストセラーになった「国家の品格」の便乗なのがミエミエで、二重の意味で敬遠しがちな本だと思う。
にも係わらず、何故購入したかというと、ビジネス雑誌に「ベストセラー」として紹介されていたから。これだけネガティブなイメージがあるのにベストセラーになるのは、内容的に「読むべきところがある」のではないかと思ったわけだ。

で、週末に読んだんだが、
「大した中身はない」
と言うのが正直な感想(笑)。

論の中心にあるのは「『遊び心』が肝要」と言う主張だが、改めて一冊本を記してまで主張すべきことかどうか。背後に「男尊女卑」的思考が見え隠れするのは「人それぞれ」としても、そこんところが「言い訳」がましく読めてしまうのは、ご都合主義で、思索の深まりが足りないからと思わざるを得ない。
最近の出来事や本、新聞記事、著名人の発言などから例を引いて話を展開するのは、「具体的で分かりやすい」と言えば言えるんだが、「薄っぺらに見える」と言うイメージの方が僕には強かったね。

「こういう本が売れると言うのは如何なものか?」
と思いはするんだが、その売り上げに僕が貢献しているのも、また事実。案外そういう層が多いのかなぁ。
(装丁はナカナカいいと思う。それが貢献してると言うのもあるんだろうね)

2006/12/10

西洋哲学史 古代から中世へ  

著者:熊野純彦
出版:岩波新書
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以前チョット書いたと思うが、僕は「哲学に弱い」(「苦手」というより「憧れている」に近い意味で)とこがある。コレと類似して、出版社では「岩波書店に弱い」というのも、まあアナクロな感じもするんだが、何となくある。
本書はその「岩波」新書からの「哲学」に関する通史。
ま、メロメロだわな(笑)

この「古代から中世へ」は今年の春頃に出版され、続編となる「近代から現代へ」は秋に出版された。本書が出版されたときから「続編も出てからまとめて読もう」と思ってたんで、(少し遅れたが)手にするのが今頃になった次第。
で、勢い込んで読み出したんだが・・・いやぁ、「このまま続編に突入する余力は全く残ってない」と言うのが正直なとこ(笑)。
「哲学なんて、所詮『誤解』の上に展開しているようなところがあるんだから、『多少』分からないところがあっても、グイグイ読んでいけばいいんだ」
とは思ってたものの、「多少」が「大半」になっちゃうと、それゃキツイわナ。

「『存在』について考え続けることから、『神』について考えることへ繋がっていく」というのが、「古代から中世へ」の哲学の大まかな流れなんじゃないかとは思うんだが、読み終わったのに、この程度のことですら確信がもてない状況である。(多分、続編はその「神」が問われることになるんだろうが(ニーチェが出てくるんだから当然))

で、取り敢えずここまで読んだところで「休憩」ということに決めた(笑)。
もうちょっと精神的ダメージが回復してから、続編にはチャレンジしたいと思います。(「本棚の肥やし」になっちゃう可能性もアリだが)

2006/12/6

私のハードボイルド  

・「私のハードボイルド 固茹で玉子の戦後史」
著者:小鷹信光
出版:早川書房
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「ハードボイルドとは男性用のハーレクイン・ロマンスなのだ」
という斎藤美奈子氏の言葉に冒頭で触れ、「うまいと片付けるわけにはいかない」と著者は言ってるが、「うまい」と思い、「痛い」とも思ったのは間違いない(苦笑交じりにではあれ)。
それは僕もご同様。
色々反論はできるものも、なかなか本質に近いところを突いているのも、また事実だろう。そういう雰囲気の作品や評論が多いことも、それを楽しんでしまう自分が少なからずあることも否定できない。
「楽しいんだからいいじゃん」
と割り切れない気持ちがあることも(笑)。

「ハードボイルド・ミステリ」を読むようになったのは、ドイル・ルブラン・乱歩・正史・クイーン・クリスティと本格物に淫してきた僕の読書暦の行き着く先としては「ありうべき姿」であったと思うが、その探求における道標の一つとなったのが、小鷹氏の評論やエッセイだった。
特に「ネオ・ハードボイルド」の案内役としては一番頼りにしたし、「ハメット」「チャンドラー」のより深い理解においても小鷹氏の示唆は大変参考になった(確か「一人称で語るマーロウだが、『最も大切なこと』は語られていない」と指摘したのは氏ではなかったか)。実際、80年代の僕の読書生活において小鷹氏の著作や訳業、編集業にお世話になったことは数え切れぬほどあると思う。

そういう僕にとって、「ハードボイルドの定着が進む戦後史と、自身の戦後史を重ね合わせて記す」という本書はかなり面白く読めた。今更ながら、「本格物」の雄エラリー・クイーン(フレデリック・ダネイ)が、「ハードボイルド派の始祖」ダシール・ハメットを高く評価し、社会的な再評価にも影響を与えていたなんて「歴史的事実」を再確認し、楽しい驚きを味わわせてもらったりもした。
でもまあここら辺は「今までの付き合い」があるから言えること。そういう背景ナシに本書を読むと、「ナンノコッチャ」と言うのが正直なところじゃないかね。
「なんでここまで『ハードボイルド』という言葉にこだわるのか」
というのも、他の著作の中で延々と、作品としての「ハードボイルド」、ヒーローという点から見た「ハードボイルド」、作家という点から見た「ハードボイルド」、更には個々の作品の評論から翻訳まで、種々の取り組みを行い、著作を送り出してきた果てだからこそ、なんだよね。
その前提なしにこんなの読まされたら、まあつまらない事この上ないだろうなと思う。

と言う訳で、本書についてはものすごく間口の狭い本。決して決して他人にお勧めできるものではない。「男にとってのハーレクイン・ロマンス」=「ハードボイルド小説」について、何時間でも語っちゃうような阿呆にのみ楽しめる本だろう。
僕はすご〜く楽しんだんだけどね。

2006/12/3

インテリジェンス 武器なき戦争  

著者:手嶋龍一、佐藤優
出版:幻冬舎新書
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「歌舞伎顔のジャーナリスト」と「日本のラスプーチン」による、「インテリジェンス」(訳しづらいけど、「諜報」のイメージが強いかな?)に関する対談。まあ胡散臭いメンバーで胡散臭い話をしてるって感じ(笑)。
お互いに揶揄を含めながら、お互いを持ち上げ、際どい話をしている様が、その胡散臭さに拍車をかけている。

まあでも内容としてはかなり興味深いものがあった。特に具体的な事件(9.11テロ、大韓航空機撃墜事件、ソ連崩壊、平壌宣言等々)を挙げながら、それにまつわる「インテリジェンス」に関して語っているあたりは、「歴史の裏話」的な、一歩間違うと「誇大妄想」「陰謀史観」になっちゃうような話とは少し毛色が変わっていて、一定以上のリアリティを持って読むことができる。
「だから日本の外交はダメなんだ」
と単純な結論にならないあたりも、面白いね。僕はどうしても「鈴木宗男」氏が好きになれないんだが(笑)、ある側面から見れば評価できる点があるのだということは、それなりに納得することができた。(だからって「一票」という気にはならんが。「国益」と「利益誘導」の境目が危ういような気がするんだよね、ムネオさんは)

本書は新しく発刊された「幻冬舎新書」の一冊。「新しいシリーズなのでどれか一冊」と思って本屋に言ったんだが、あんまり食指が動くのがなくて、仕方なく宣伝の看板となっていた本書を購入したのだ。
そういうノリで買ったにしては楽しめた本じゃないかと思う。
でも「幻冬舎新書」、このままじゃあまり先行きは明るくないような気がするなぁ。



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