2006/11/30

現代語訳 般若心経  

著者:玄侑宗久
出版:ちくま新書
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週末の朝日新聞の書評で「ベストセラー」として紹介されていたので、興味を持って購入した本。
わずか「262文字」の般若心経を現代語訳したもので、それで殆ど一冊使っているんだから、丁寧といえば丁寧。ただ内容は簡単なわけではなく、「スッキリと理解できた」とは到底言えない。
むしろ難しいことを、バカ丁寧な口調(観音菩薩が語る形となっている)とチョットした冗談なんかも交えながら語られることに、ちょっとムカついたりもした(笑)。
まあでもこんな風に経典が訳され、解説されるというのは面白いなと思う。

僕の実家は曹洞宗なので、「般若心経」には馴染みがある。法事などの際には、分からぬままに読経しながら、その調子の良さに心地よさを感じた経験も何度もある。そういう観点からは、「音読」を強調する本書の主旨も理解できるね。

まあとは言え、本書では触れられない、「最強の呪文」の意味についても、ちょっとは触れて欲しかったな、というのが、解脱には程遠い凡人の「愚痴」ではある。

「ガテー・ガテー・パーラガテー・パーラサムガテー・ボーディ・スヴァーハー」

2006/11/29

seek and find  雑感

今朝の朝日新聞に、メールによる村上春樹のインタビュー(「何のこっちゃ」とも思うが)が記載されていた。
記事自体は大したことないんだけど、そこに目を引く情報が…!

来年の3月に村上春樹訳の「ロング・グッドバイ」が出版される!!

う〜ん…。
確かに村上春樹に影響を与えた作家としては、フィッツジェラルドに次いで、チャンドラーを挙げれるけど、まさか翻訳まで…。

「長いお別れ」にはファンも多い清水俊二訳があるけど(僕も大好きだが)、清水俊二の翻訳には問題が多い点を指摘する人が多いのも事実。時代の流れもあるし、いずれは「新訳」も、とは思っていたけど、まさか村上春樹が登場してくるとは。

コレは期待せずにはいられない・・・かな?

2006/11/28

黒後家蜘蛛の会 1、2  

著者:アイザック・アシモフ  訳:池央耿
出版:創元推理文庫
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多分、このシリーズを購入するのは3回目になる。
最初は高校時代、次が5,6年前で、いずれも買った本は手放してしまっていたので、今回も買い直すハメになった。内容的に「軽い」ので、本棚の整理をするときに処分しがちなんだよね(笑)。

70年代以降のシリーズだから「古典」と言うには早すぎるのだが、風格は十分に「古典」。「会員制クラブ」を舞台とした安楽椅子モノの短編集と言うのはわりとパターンで、このシリーズも本作でも言及されているクリスティの「火曜クラブ」を意識しているのは間違いないだろう。
しかしながら後発として奇をてらわず、そのパターンを厳密に踏襲したことがこのシリーズの成功の秘訣だと思う。一話の分量を刈り込んで短くしているのも(1冊で12話が収められている)、「読みやすさ」という点では大きなプラスになっている。取り上げられているミステリーが比較的軽い(「殺人」は殆ど出てこない)のも手に取りやすい要因の一つだろう。

実は本作、就寝前に軽く読む本として今回は購入した。「1冊に12話だから、まあ2週間くらいはもつかな」と思っていたのだが、読み出したら止まらなくて、2冊一気に読み上げてしまった。
このシリーズ、習慣性が高いのをすっかり忘れていた。
今、僕のベッドの枕元には、このシリーズの続き(現在「5」まで刊行)が積み上げられている。
・・・睡眠時間が削られることを恐れる日々である。

2006/11/23

巷談 中国近代英傑列伝  

著者:陳舜臣
出版:集英社新書
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(日本では「三国志」時代の人気があるが)「ほんとうに中国史の興味深い時代は、アヘン戦争以降の近代ではないかとおもう。」という作者の弁(まえがき)は正にその通りだと思う。
確かに「三国志」の登場人物たちは「人物の典型」という点でも揃い踏みの感があるし、物語の展開にも興味をそらさない面白みがある。そこには長い歴史を経て洗練されてきた(あるいは改編されてきた)「成果」もあるのかもしれない。

しかしそれだけに整理されきれない「生々しい部分」というのは抜け落ちている可能性もあるんじゃないか。そして案外そういう部分が「人間」というものの本性に近い部分だったりもするんじゃないのかなと思うんだよね。

そういう意味では中国の近代から現代というのは、混沌とした時代の流れの中で、複雑怪奇な人間模様が繰り広げられ、「典型」ではないけど、生々しさに溢れた歴史を学ぶことができるんじゃないだろうか。
(日本史で言えば「大正時代」以降がこれに該当するんじゃないかな。「明治維新」は既に神話化・様式美化されつつあるような気がする)

まあそれにしてもホント「複雑怪奇」(笑)。如何に中国の近代が困難な時代であったかが窺うことができる。
惜しむらくは「曾国藩」が取り上げられてないこと。あるいは人物的には「前近代」に属するということなのかもしれないが、「影響」という点ではこの人物に一章を割いてもらった方が整理しやすかったように思う。

ここら辺の時代は今、浅田次郎が注目してる。評判になった「蒼天の昴」(泣かされた)、現在刊行中の「中原の虹」あたりは、正にこの時代の中国を舞台にしている。個人的には決して浅田次郎には共感できない部分もあるんだが、この勘所のよさは大したものだと思う。
「中原の虹」は完結してから読もうと思っているのだが、図らずも本書はその「予習」になった感があります。

2006/11/21

シーア派  

「シーア派ー台頭するイスラーム少数派」
著者:桜井啓子
出版:中公新書
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日本では「北朝鮮問題」が国際情勢上の最大課題だが、世界的に見ると、宗教・テロの問題と絡まり、「イスラム問題」が最大の問題だろう。「イデオロギーの時代」であった20世紀から21世紀になり、少なくとも今のところは「宗教」「民族」という側面に目を瞑ることはできない状況が続いている。

しかしまあ「イスラム」、分かりづらいんだよねぇ(笑)。今までにも何冊か興味を覚えて読んだ本はあるんだが、頭がスッキリする作品はナカナカなくて。教義が複雑な上、民族問題まで絡んで、な整理がつかない。結局投げ出してしまった本も何冊かある。

本書は「イスラム」全体ではなく、その中で昨今注目を浴びる「シーア派」という少数派に焦点を当てて記述した作品。こういう視点の方があるいは全体像を俯瞰する上で役に立つのではないかと思い、購入してみた。

結論。

「やっぱりようワカラン」

う〜ん、「シーア派」を取り上げるだけでこんなに複雑になってしまうとは。歴史上の流れを見るだけでも混乱するが、現代に視点を限定しても、
「シーア派が多数のイラン」、「シーア派が多数ながらスンニ派が政権を握っていたフセイン政権」、「そのフセイン政権を倒しながら、湾岸戦争の際はシーア派を見捨てたアメリカ」、「シーア派を敵視するワッハーフ派が政権を握る『親米政権』サウディアラビア」、「シーア派に敵対するテロリスト組織」等々、
何がなんだか・・・。

ただその殆どが凄惨な「闘争」の歴史であることには複雑な想いを抱かざるを得ない。そこには欧米諸国の「思惑」のようなものも密接に関与していて、「お前らには言われたくない」という声にも一定の根拠があることが窺える。

国際政治というのはこういうものなのかもしれんね。

2006/11/18

簡単に断れない。  

著者:土屋賢二
出版:文春文庫
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「出先で切れたときに購入する作家」土屋賢二氏の最新文庫本。今回は大阪出張中にホテルの本屋で購入した。

土屋氏のエッセイの特長は、
1.読み易い。
2.笑える。
3.すぐに忘れることができる。
本作もその例に漏れず、サッサと読んで、楽しませてもらっていた。

「?」と思ったのは、最後の方で女優の「中井貴恵」との懇談について書かれている一文を読んだとき。

何となく読んだことがあるような気がする。そういえば、他のエッセイにも何となく「馴染み」が・・・。

嫌な感じがして、帰って本棚を探ってみたら・・・あったよ。しっかり「単行本」が。

何を勘違いして土屋氏の作品を「単行本」で購入するような無謀なことをしたのかは分からんが、少なくともコレで土屋作品の特長の一つ(すぐに忘れることができる。)については、必ずしもそうではないことが判明し、土屋作品の魅力の一つが失われたことが確認された作品となった。

2006/11/17

火星のプリンセス  

著者:エドガー・ライス・バロウズ  訳:厚木淳
出版:創元SF文庫
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ドイル(ホームズ)、ルブラン(ルパン)、乱歩(二十面相)あたりが小・中学生の頃、僕が夢中になっていた小説だが、それにこのE.R.バロウズの一連のシリーズ(「火星シリーズ」「『ターザン』シリーズ」「『ペルシダー』シリーズ」等々)を加えないと僕の読書歴としては不完全になる(そんな大袈裟なモンじゃないか(笑))。

ただバロウズ以外の作者の作品は今に至るまで読む機会があるのに対して、バロウズについては高校以降、読み直した記憶がない。一時期、本屋の創元文庫の棚にズラッと並んでいた一連のシリーズも、最近では殆ど見かけない。

フと読み直してみたい気分になり、シリーズ3作を合本にした文庫を入手したのだが、多分読み返すのは25年振りくらい。無茶苦茶色っぽいデジャー・ソリス(ヒロイン)の表紙を懐かしく思いつつ、ページを繰った。

当時は殆ど意識していなかったのだが、本書が書かれたのは1911年。100年近く前の作品になるわけだ(「ギャツビー」より古いんだねぇ)。それを考えると、この作品が未だに「読むに耐える」内容を持っていることに驚きを感じざるを得ない。確かに「翻訳」という要素はあるのだが、日本の「娯楽」作品で100年前に書かれたものをこんな風には楽しめないだろう。想像力を駆使した「火星世界」の社会や宇宙人たちの姿・生態は今読んでも瑞々しさを持っていると思う。(イメージとしては「スター・ウォーズ」の世界。間違いなく、ルーカスはバロウズの影響を受けている)

懐かしくも楽しく読み終え、しかしやはり「このシリーズを読む時期は過ぎてしまったな」と言うのが正直な感想だった。これは作品が古びたせいではなく、読む側の成長(あるいは退化)によるもの。「読むべきとき」がある小説と言うのは確かにあるもんだ。

本作はハリウッドでの映画化が計画されているはず。それをキッカケとして、魅力溢れるバロウズの作品群が読み直されるといいんだけどね。

2006/11/14

大人の嘘  雑感

日曜日、ちょっとした買い物の必要があって、玉川高島屋に出掛けた。
スタバで子供をあやしつつ、コーヒーを飲んでいると、突然通りかかった女性から「麻生さんじゃないですか?」と声を掛けられた。
何と新人のとき大阪で一緒に仕事をしていた同期だった。
結婚して東京に住んでいるとは知っていたけど、まさかこんなトコで会おうとは・・・。彼女の後ろには中学生くらいの制服の娘さんが立っている。

「麻生さん、昔と全然変わらない」
「いやぁ、○○さんも昔のままだよ」

にこやかにお互いの家族も交えて挨拶し、分かれた。

平気で嘘をつけるようになったのが、15年以上の年月と言うものですナ。

2006/11/13

グレート・ギャツビー  

著者:スコット・フィッツジェラルド  訳:村上春樹
出版:中央公論社
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本書を店頭で見つけたとき、我が目を疑った。
いや、村上春樹が「ギャツビー」を訳したがっており、少しずつ着手もしているのは知っていたのだが、この手ことって、結構実現しなかったりするじゃん。村上春樹の「想い」が分かるだけに、半ば諦めてるようなトコもあったのだ。
しかしそれは杞憂であった。やっぱり真面目な作家なんだね、村上春樹(笑)。
本書はハードカバーと軽装版が出ているのだが、敬意を表してハードカバーの方を購入した。(デザインも素晴らしく美しいと思うヨ)

ストーリーは、まあ「メロドラマ」だ。
かつて一人の女性と出会った男が、その女性を再び手にするために成り上がり、その想いを実現する手前まで行ったところで、女性の裏切りに会い、破滅する…
ストーリーだけなら昼メロでもおかしくないくらいだ。

このメロドラマが、フィッツジェラルドの繊細な筆致で、印象的な台詞とシーンを重ねながら、流麗に語られる。

庭から対岸の桟橋の緑の灯火に手を伸ばすギャツビー、華やかで軽快ながら中身のない20年代の馬鹿騒ぎパーティ、計算されながら繊細さを覗わせる再会、突如訪れるギャツビーの夢想の終焉と皮肉な悲劇、そしてプールに描かれる赤い円、雨の葬儀…

村上春樹の訳は、この繊細な文章で綴られる物語をリズムを失わず最後まで訳しきっている。
そこにあるのはセンチメンタリズムだ。
最近の村上春樹の作品には(カフカ賞受賞にふさわしく(笑))「不条理」の側面が目立つが、かつて僕の心を捉えた感傷的な、しかし忘れがたい「何か」の源泉がここには窺うことが出来る。

少し前に読んだ安岡正篤の本で「干渉主義は現実を処するに役立たない」趣旨のことが書かれていた。そのこと自体は、あるいはそうかもしれないとも思う。
だがこういう作品、文章を読むとき、この繊細で美しい「何か」が、世の中において全く無価値であるとは僕には思えないのだ。

「ギャツビーは緑の灯火を信じていた。年を追うごとに我々のまえからどんどん遠のいていく、陶酔に満ちた未来を。それはあのとき我々の手からすり抜けていった。でもまだ大丈夫。明日はもっと速く走ろう。両腕をもっと先まで差し出そう。…そうすればある晴れた朝にー
 だからこそ我々は、前へ前へと進み続けるのだ。流れに立ち向かうボートのように、絶え間なく過去へと押し戻されながらも。」

ま、このこと自体がおセンチな話かもしれんがネ。

2006/11/11

なんじゃ、こりゃ?  雑感

今日は部のゴルフ・コンペだった。春夏年2回の懇親コンペ。
僕はあまりゴルフは好きじゃないが(何せ下手なもんで)、このコンペは気楽なので嫌いじゃない。

ゴルフ場は茨城の「霞ヶ浦国際ゴルフクラブ」。僕の家からは高速を使えば1時間くらいなので、課のメンバーには7時前に迎えに来てもらった。
スタートは8時40分だったので、「余裕」のつもりだった。

ところが予想外の出来事。
途中で高速が事故渋滞にはまり(三郷のあたり)、予想以上に時間がかかってしまったのだ。
カーナビの「到着予想時間」を睨みつつ、いざと言うときのため、幹事と携帯で電話連絡を取りつつ、何とかスタート5分前に滑り込み。

若干(と言っても、5分だが)スタートが遅れているのに安堵しつつ、慌てて着替えてスタート室前に出た途端、激しい雨と雷が!!!
突然サイレンが鳴らされ、スタート中断の構内放送が流れた。

キャディやクラブの人の話を総合すると、「今日は突風と雷で、プレイは難しいかも」とのこと。
部長判断で結局コンペは中止になり、「解散」となった。

渋滞もない帰りは「1時間弱」で家まで辿り着くことができた。

なんじゃ、こりゃ?



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