2006/9/28
山積み 本
待望の宮部みゆきの新作が出たと思ったら、立て続けに、大沢在昌(「狼花」新宿鮫の新作)、京極夏彦(「邪魅の雫」)と新作の連打。
おまけにディーヴァーのライム・シリーズの最新刊(「12番目のカード」)まで出てきて、どれから読んでいいものやら。
「読書の秋」…ですな。
おまけにディーヴァーのライム・シリーズの最新刊(「12番目のカード」)まで出てきて、どれから読んでいいものやら。
「読書の秋」…ですな。
2006/9/28
富の未来<上・下> 本
著者:アルビン・トフラー、ハイジ・トフラー(山岡洋一・訳)
出版:講談社


最近のこの手の本では、少し前に読んだ「フラット化する世界」と並ぶ興味深い内容を取り扱った本。と言っても学術的な内容でも小難しいものでもなく、面白く読める。
時にはこういう本を読んで知的な刺激も受けておかんとね(笑)。
本書で取り扱われているのは「時間、空間、知識」(特に「知識」。トフラーだからね)が現代の中で急激な変化に晒されている様。それらが具体的な事象に則して紹介され、分析されている。
「フラット化する世界」が、どちらかというとインターネットに始まる情報ネットワークの進化に則した世界観の変容を描いていたのに対し、本書はもう少し「深い」「基礎的な」部分での変容を、より広い視野で描いている。
その分、散漫になり、イメージが把握しづらい部分はあるんだが、「刺激」という点ではコッチの方が色々な点であったかね。
「知識経済」となればトフラーの「お家芸」みたいなもんだが(笑)、その視点を追い続けた人の作品だけに、この点に関しては鋭いところがあると思う。20世紀から21世紀への社会・経済の流れを見ると、「第二の波(工業化)」から「第三の波(知識経済化)」への流れというのは現実を捉えるフレームワークとしてはかなり有効的だったと思うので、「トフラーの眼は確かだった」と言ってもいいだろう。
もうかなりの「お歳」になるはずだが、これだけ多様化した社会のあり様を追いかけ、分析し、提言するのは大したもの。いやはや、かないませんね。
全体として刺激に満ちた本だが、幾つか上げると以下のような点。
一つは「教育」ですね。
現代の教育が、「学校の荒廃」といった以上の根本的な部分で崩壊しつつある(簡単に言えば、「現在の教育制度は『第二の波』に適して構築されており、『第三の波』には全く対応できていない」)ことが記されていて、子供を持つ身には考えさせらる。
だからといって「お受験」させりゃいいってもんでもないようだが(笑)。
二つ目は「中国」の位置づけ。
中国が現在の繁栄の裏に種々の大きな問題を抱えていることは事実だろうし、その点は本書でも指摘されている。「第二の波」と「第三の波」に同時に対応しようという「長期複線戦略」を中国が取っていることも、知らないことではない。
でも現在の中国の動きを、(意識的、戦略的ではないにせよ)「(インドとあわせ)世界で最大の貧困地域で、貧困層からの脱却を図っている」と捉えているは新鮮だし、(ちょっと大袈裟に言えば)感動した。
「格差」の際に問題なのは、「差があること」じゃなくて、最低ラインが下がっているのか上がっているのかだ、というのは、(貧困地域を考える際には)正しい指摘だと思う。
「フラット化する世界」ではあまり「日本」のことは書かれてないが、本書では「日本」の現状分析にも1章割かれていて(比較的好意的だと思う)、その点も良かった。
「悲観論者が天体の秘密を解明したことはないし、地図にない土地を発見したことはないし、人間の精神に新しい地平を切り開いたこともない」
というヘレン・ケラーの言葉を引用して、トフラーは悲観主義に異議を唱え、自身の楽観的な見方(ただ悲観的要素があることはかなりチャンと指摘されていますが)を擁護しているが、まあ僕も本書は若干楽観的に過ぎるとは思う(笑)。
でも「楽観的」でなければ前に進めないことも確か。
コレだけの悲観的要素を認識しながら、なお楽観的な未来を見ようとするトフラーの精神力の強さこそ称揚すべきかもしれんな。
やっぱ「edy」とか「お財布ケータイ」とか使いこなせるようにならなきゃいかんかね(笑)。
出版:講談社


最近のこの手の本では、少し前に読んだ「フラット化する世界」と並ぶ興味深い内容を取り扱った本。と言っても学術的な内容でも小難しいものでもなく、面白く読める。
時にはこういう本を読んで知的な刺激も受けておかんとね(笑)。
本書で取り扱われているのは「時間、空間、知識」(特に「知識」。トフラーだからね)が現代の中で急激な変化に晒されている様。それらが具体的な事象に則して紹介され、分析されている。
「フラット化する世界」が、どちらかというとインターネットに始まる情報ネットワークの進化に則した世界観の変容を描いていたのに対し、本書はもう少し「深い」「基礎的な」部分での変容を、より広い視野で描いている。
その分、散漫になり、イメージが把握しづらい部分はあるんだが、「刺激」という点ではコッチの方が色々な点であったかね。
「知識経済」となればトフラーの「お家芸」みたいなもんだが(笑)、その視点を追い続けた人の作品だけに、この点に関しては鋭いところがあると思う。20世紀から21世紀への社会・経済の流れを見ると、「第二の波(工業化)」から「第三の波(知識経済化)」への流れというのは現実を捉えるフレームワークとしてはかなり有効的だったと思うので、「トフラーの眼は確かだった」と言ってもいいだろう。
もうかなりの「お歳」になるはずだが、これだけ多様化した社会のあり様を追いかけ、分析し、提言するのは大したもの。いやはや、かないませんね。
全体として刺激に満ちた本だが、幾つか上げると以下のような点。
一つは「教育」ですね。
現代の教育が、「学校の荒廃」といった以上の根本的な部分で崩壊しつつある(簡単に言えば、「現在の教育制度は『第二の波』に適して構築されており、『第三の波』には全く対応できていない」)ことが記されていて、子供を持つ身には考えさせらる。
だからといって「お受験」させりゃいいってもんでもないようだが(笑)。
二つ目は「中国」の位置づけ。
中国が現在の繁栄の裏に種々の大きな問題を抱えていることは事実だろうし、その点は本書でも指摘されている。「第二の波」と「第三の波」に同時に対応しようという「長期複線戦略」を中国が取っていることも、知らないことではない。
でも現在の中国の動きを、(意識的、戦略的ではないにせよ)「(インドとあわせ)世界で最大の貧困地域で、貧困層からの脱却を図っている」と捉えているは新鮮だし、(ちょっと大袈裟に言えば)感動した。
「格差」の際に問題なのは、「差があること」じゃなくて、最低ラインが下がっているのか上がっているのかだ、というのは、(貧困地域を考える際には)正しい指摘だと思う。
「フラット化する世界」ではあまり「日本」のことは書かれてないが、本書では「日本」の現状分析にも1章割かれていて(比較的好意的だと思う)、その点も良かった。
「悲観論者が天体の秘密を解明したことはないし、地図にない土地を発見したことはないし、人間の精神に新しい地平を切り開いたこともない」
というヘレン・ケラーの言葉を引用して、トフラーは悲観主義に異議を唱え、自身の楽観的な見方(ただ悲観的要素があることはかなりチャンと指摘されていますが)を擁護しているが、まあ僕も本書は若干楽観的に過ぎるとは思う(笑)。
でも「楽観的」でなければ前に進めないことも確か。
コレだけの悲観的要素を認識しながら、なお楽観的な未来を見ようとするトフラーの精神力の強さこそ称揚すべきかもしれんな。
やっぱ「edy」とか「お財布ケータイ」とか使いこなせるようにならなきゃいかんかね(笑)。
2006/9/22
夜のピクニック 本
著者:恩田陸
出版:新潮文庫

福岡のときの代理店の部長さんに「陸上」好きの方がいた。毎年、「10キロマラソン」やら「駅伝」「ハーフマラソン」等々、色々な企画を催され、僕も結構参加していた。
参加は任意で、参加しなくても別に仕事上の不利益はなかったのだが(そういう点、立派な方だったね)、皆でワイワイやるのが面白くて、割合参加するのが面白かった覚えがある。
そんな企画の中で最もハードだったのが「100キロウォーキング」。さすがにこれは参加する勇気も体力にも自信がなくて、僕は「看護班」として車で伴走しただけだが、それだけで十二分にその厳しさは理解できた。一方で参加した連中が一応にその「苦しさ」を楽しそうに(少し自慢げに)、機会あるたびに話していたノガ印象的だった。
本書を読んで、そのことを思い出した。
「恩田陸」は評判がいいのは知っていたが、作品を読むのは本書が初めて。色々なジャンルの小説を書いているんだが、逆にそのことが取っ掛かりづらくしていたのと、苦手とする「ホラー」を結構書いているのが(明確な苦手意識はないものの)今まで避けてきた理由だと思う。
ただ本書に関しては発売当初からかなり評判が良く、内容的にも「面白そうだなぁ」と思っていたので、今回文庫化されたのを契機に購入した次第。
まあ確かにコレはいい作品だ。
高校生が学校行事として行う「80キロウォーキング」を題材とし、劇的なドラマもないままに描き切って、これだけ読ませるのは大したもんだ。文章も読みやすくありながら、「深み」も感じさせるところがあって、感心させられる。
視点を参加している高校生たちに絞り、例えばイヴェントを仕切っているはずの教師たちなどを登場させない構成は、目立たないが、並みの力量ではできないことだと思う。
欲を言えば、もう少し「強引さ」が欲しかったかね。例えば浅田次郎みたいに、読む者の胸倉を取って振り回すようなところあっても良かったんじゃないかな、と。
ちょっと「優し過ぎる」んだよね。
確かにそれが持ち味なんだけど…。
でも「他の作品も読んでみたいな」とは思わせてくれた。
それだけの魅力は十分にある作品だと思うヨ。
(そういえば数年前に母校の後輩たちが似たようなイヴェントをやったな。彼らが読めば、また違った感慨もあるんだろうなぁ)
出版:新潮文庫

福岡のときの代理店の部長さんに「陸上」好きの方がいた。毎年、「10キロマラソン」やら「駅伝」「ハーフマラソン」等々、色々な企画を催され、僕も結構参加していた。
参加は任意で、参加しなくても別に仕事上の不利益はなかったのだが(そういう点、立派な方だったね)、皆でワイワイやるのが面白くて、割合参加するのが面白かった覚えがある。
そんな企画の中で最もハードだったのが「100キロウォーキング」。さすがにこれは参加する勇気も体力にも自信がなくて、僕は「看護班」として車で伴走しただけだが、それだけで十二分にその厳しさは理解できた。一方で参加した連中が一応にその「苦しさ」を楽しそうに(少し自慢げに)、機会あるたびに話していたノガ印象的だった。
本書を読んで、そのことを思い出した。
「恩田陸」は評判がいいのは知っていたが、作品を読むのは本書が初めて。色々なジャンルの小説を書いているんだが、逆にそのことが取っ掛かりづらくしていたのと、苦手とする「ホラー」を結構書いているのが(明確な苦手意識はないものの)今まで避けてきた理由だと思う。
ただ本書に関しては発売当初からかなり評判が良く、内容的にも「面白そうだなぁ」と思っていたので、今回文庫化されたのを契機に購入した次第。
まあ確かにコレはいい作品だ。
高校生が学校行事として行う「80キロウォーキング」を題材とし、劇的なドラマもないままに描き切って、これだけ読ませるのは大したもんだ。文章も読みやすくありながら、「深み」も感じさせるところがあって、感心させられる。
視点を参加している高校生たちに絞り、例えばイヴェントを仕切っているはずの教師たちなどを登場させない構成は、目立たないが、並みの力量ではできないことだと思う。
欲を言えば、もう少し「強引さ」が欲しかったかね。例えば浅田次郎みたいに、読む者の胸倉を取って振り回すようなところあっても良かったんじゃないかな、と。
ちょっと「優し過ぎる」んだよね。
確かにそれが持ち味なんだけど…。
でも「他の作品も読んでみたいな」とは思わせてくれた。
それだけの魅力は十分にある作品だと思うヨ。
(そういえば数年前に母校の後輩たちが似たようなイヴェントをやったな。彼らが読めば、また違った感慨もあるんだろうなぁ)
2006/9/20
行動経済学 本
・「行動経済学 経済は『感情』で動いている」
著者:友野典男
出版:光文社新書

少し前に読んだ「市場社会の思想史」の時にも思ったんだが、「経済学」というのは「人間」という存在をその理論の中にどのように取り込むかに苦闘している学問だと思う。
勿論「経済活動」というのは極めて人間的な行為なので、「人間」を無視することはできないんだが、人間の持つ「多様性」や「不確実性」に囚われ過ぎると、「学問」としての合理性を失ってしまう。しかしそうした側面を無視して合理性・論理性を追求して行くと、現実との乖離が激しくなってしまい、「学問」としての有用性を失ってしまう。
まあナカナカ難しいなぁって気がする。
本書で取り上げられる「行動経済学」は経済学としては最新の分野になるようだ。上記の流れで言えば、「人間性」というものを「経済学」にかつてないほど積極的に取り込んでいる分野と言えよう。
最初パラパラ眺めていると、何だか数式やらグラフやらが沢山掲載されているので、「数学大ッ嫌い」の僕としては「面倒そうやなぁ」と読む前からネガティブな気分になっていた。
ところが読んでみるとコレがなかなか面白い。
確かに「数式」や「グラフ」は沢山出てくるんだが、どちらも前提となっている「考え方」が常識の範疇で納得感がある内容なので、すんなり読むことができるんだよね。「学問」するわけじゃないんで、多少わかんなくても、読み飛ばせばイイ訳だし(笑)。むしろ従来の合理性・論理性を偏重した「経済学」なんかに比べると、全体のイメージは掴みやすかった。(勿論、「学問的に」把握するには、生理学・生態学・心理学までも含めた非常に広範な知識を要するので、大変なんだろうが)
ただ「経済学」としてはあまりにも「人間的」過ぎるような…。
この学問の重要な視点は、「前提となる条件は、置かれた状況・時代、関与する人間・社会等々によって変わってしまい、不変なものではない」ということにあり、それはスゴク納得できるんだけど、それを突き詰めていくと、学問としての「予見性」「再現性」が極めて難しくなってしまうんじゃないか、と…。
まあそこら辺は勿論認識されていて、だからこそイメージとしては把握できても、理論としては非常に難しいものになってしまうんだろう。まだまだ学問としては端緒についたばかり(「行動経済学元年」は1975年とのこと)だから、現実への有用性が問われるのは「これから」ということなのかもしれない。
ただ「学問」としてはともかく、「視点」としてはチョット面白いものがあった。そういう意味では(軽い本じゃないが)「お勧め」です。
著者:友野典男
出版:光文社新書

少し前に読んだ「市場社会の思想史」の時にも思ったんだが、「経済学」というのは「人間」という存在をその理論の中にどのように取り込むかに苦闘している学問だと思う。
勿論「経済活動」というのは極めて人間的な行為なので、「人間」を無視することはできないんだが、人間の持つ「多様性」や「不確実性」に囚われ過ぎると、「学問」としての合理性を失ってしまう。しかしそうした側面を無視して合理性・論理性を追求して行くと、現実との乖離が激しくなってしまい、「学問」としての有用性を失ってしまう。
まあナカナカ難しいなぁって気がする。
本書で取り上げられる「行動経済学」は経済学としては最新の分野になるようだ。上記の流れで言えば、「人間性」というものを「経済学」にかつてないほど積極的に取り込んでいる分野と言えよう。
最初パラパラ眺めていると、何だか数式やらグラフやらが沢山掲載されているので、「数学大ッ嫌い」の僕としては「面倒そうやなぁ」と読む前からネガティブな気分になっていた。
ところが読んでみるとコレがなかなか面白い。
確かに「数式」や「グラフ」は沢山出てくるんだが、どちらも前提となっている「考え方」が常識の範疇で納得感がある内容なので、すんなり読むことができるんだよね。「学問」するわけじゃないんで、多少わかんなくても、読み飛ばせばイイ訳だし(笑)。むしろ従来の合理性・論理性を偏重した「経済学」なんかに比べると、全体のイメージは掴みやすかった。(勿論、「学問的に」把握するには、生理学・生態学・心理学までも含めた非常に広範な知識を要するので、大変なんだろうが)
ただ「経済学」としてはあまりにも「人間的」過ぎるような…。
この学問の重要な視点は、「前提となる条件は、置かれた状況・時代、関与する人間・社会等々によって変わってしまい、不変なものではない」ということにあり、それはスゴク納得できるんだけど、それを突き詰めていくと、学問としての「予見性」「再現性」が極めて難しくなってしまうんじゃないか、と…。
まあそこら辺は勿論認識されていて、だからこそイメージとしては把握できても、理論としては非常に難しいものになってしまうんだろう。まだまだ学問としては端緒についたばかり(「行動経済学元年」は1975年とのこと)だから、現実への有用性が問われるのは「これから」ということなのかもしれない。
ただ「学問」としてはともかく、「視点」としてはチョット面白いものがあった。そういう意味では(軽い本じゃないが)「お勧め」です。
2006/9/18
戌の日 雑感
世間的には今日は「敬老の日」だが、妻が5ヶ月に入った我が家では、今日は「戌の日」(笑)。
上京してきた僕の両親とともに、水天宮に安産祈願に出かけた。
しっかしまあ、スンゴイ人ごみ!
「休日で戌の日」と言うことで、ある程度は予想していたのだが、神社を取り巻くような人の列にはビビッしまった。
息子のときは平日だけど「大安で戌の日」で、やはり人手が多いと思われる日取りだったので、「今回はその1割増くらいかな」と思っていたのだが、甘い、アマイ(笑)。
まあ結構「回転」(?)は早くて、正味1時間強くらいで参拝を済ませることができたが、グッタリしたよ(妻のほうはもっとだろうがね)。
前のときは「2歳児」もいなかったしね。
疲労感の大半はそっちのケアのせいかも。
しかしそれにしてもあの人ごみ。しかも女性の大半は「妊婦」。
・・・「少子化」ってホント?
上京してきた僕の両親とともに、水天宮に安産祈願に出かけた。
しっかしまあ、スンゴイ人ごみ!
「休日で戌の日」と言うことで、ある程度は予想していたのだが、神社を取り巻くような人の列にはビビッしまった。
息子のときは平日だけど「大安で戌の日」で、やはり人手が多いと思われる日取りだったので、「今回はその1割増くらいかな」と思っていたのだが、甘い、アマイ(笑)。
まあ結構「回転」(?)は早くて、正味1時間強くらいで参拝を済ませることができたが、グッタリしたよ(妻のほうはもっとだろうがね)。
前のときは「2歳児」もいなかったしね。
疲労感の大半はそっちのケアのせいかも。
しかしそれにしてもあの人ごみ。しかも女性の大半は「妊婦」。
・・・「少子化」ってホント?
2006/9/16
毒入りチョコレート事件 本
著者:アントニー・バークリー 訳:高橋泰邦
出版:創元推理文庫

1929年の作品だから、最早「古典」と言っていい作品だろうが、全く古びれず非常に楽しく読むことができた。随分昔に、誰かの推薦を雑誌か何かで読んで買ったものの、長らく本棚の肥やしになっていたのだが、いやはやもっと早く読めばよかった。
ジャンルとしては「本格推理小説」になるのだが、作者の視線はそのジャンルに対して批判的なものがある。「6人の登場人物の推理合戦」が見物なのだが、それを反映して、どの推理もシニカルに取り扱われている。
「正解」となる推理も、「探偵役」の天才性をベースとしていないところにも、その姿勢を窺うことができる。
まあしかし「本格推理」は「本格推理」。これ以上、中身に触れるのはルール違反だろう。
「いい時間つぶしになる」
それだけは確かだね。
出版:創元推理文庫

1929年の作品だから、最早「古典」と言っていい作品だろうが、全く古びれず非常に楽しく読むことができた。随分昔に、誰かの推薦を雑誌か何かで読んで買ったものの、長らく本棚の肥やしになっていたのだが、いやはやもっと早く読めばよかった。
ジャンルとしては「本格推理小説」になるのだが、作者の視線はそのジャンルに対して批判的なものがある。「6人の登場人物の推理合戦」が見物なのだが、それを反映して、どの推理もシニカルに取り扱われている。
「正解」となる推理も、「探偵役」の天才性をベースとしていないところにも、その姿勢を窺うことができる。
まあしかし「本格推理」は「本格推理」。これ以上、中身に触れるのはルール違反だろう。
「いい時間つぶしになる」
それだけは確かだね。
2006/9/15
新編 東洋的な見方 本
著者:鈴木大拙、上田閑照:編
出版:岩波文庫

坊さんの説教と言うのはナカナカ味のあるものだ。
実家の施主さんはあまり口が立つ方ではなく、法事の席などでは、下手をすると多弁なウチの親父が場を仕切ってしまい、親父の説教ばかり聞かされる雰囲気にもなっちゃうんだが(笑)、そんな時でも口少なく語る施主さんの話は味わい深いものを感じさせられる。
本書もそういう意味では「坊主の話」。ちょっと分かりづらいところもあるのだが(「論理的に」というよりも「感覚的に」)、それはそれで何となく「いい話」を聞いた気分になるところが人徳ってもんでしょうか?西洋的な素養も著者は十分に持っているので、所謂「禅話」の「ワケワカンナイ」に収まってないところも面白く読めた。
「西洋では物が二つに分かれてからを基礎として考え進む。東洋はその反対で二つに分かれぬ先から踏み出す」
として、西洋の「二元論」・「二分性」に対して、東洋の持つ「不二性」が強く主張されている。
ただその主張は単なる「西洋と東洋の対比」ではなく、増してや「東洋の優位性の主張」では全くない。著者は日本人の情緒に流れてしまう思想性に強い批判を加えており、単純な伝統主義・復古主義に組するものではない。
むしろそこで示されているのは、西洋の「二分性」(「科学的思考」「論理的思考」)を徹底し、<その後に>「不二性」を体得する(「無分別の分別」)という、新しいあり方・思想性を求める態度のように思う(難しいことだが)。
つまり本書は単なる「禅の紹介」ではなく、「意欲的な新しい思想的な取り組み」を提示していると言えよう。
まあでも、もともと「言葉では言い現しがたいもの」「言葉以前のもの」に取り組んだ著作だからね。それを理解するのは簡単じゃないし、理解すれば良いと言うものでもないし、言葉で評せるものでもないだろう。
「ちょっとハイカラなところもある坊さんの話」
ってなとこで楽しめば、とりあえずは良いんじゃないかね。
出版:岩波文庫

坊さんの説教と言うのはナカナカ味のあるものだ。
実家の施主さんはあまり口が立つ方ではなく、法事の席などでは、下手をすると多弁なウチの親父が場を仕切ってしまい、親父の説教ばかり聞かされる雰囲気にもなっちゃうんだが(笑)、そんな時でも口少なく語る施主さんの話は味わい深いものを感じさせられる。
本書もそういう意味では「坊主の話」。ちょっと分かりづらいところもあるのだが(「論理的に」というよりも「感覚的に」)、それはそれで何となく「いい話」を聞いた気分になるところが人徳ってもんでしょうか?西洋的な素養も著者は十分に持っているので、所謂「禅話」の「ワケワカンナイ」に収まってないところも面白く読めた。
「西洋では物が二つに分かれてからを基礎として考え進む。東洋はその反対で二つに分かれぬ先から踏み出す」
として、西洋の「二元論」・「二分性」に対して、東洋の持つ「不二性」が強く主張されている。
ただその主張は単なる「西洋と東洋の対比」ではなく、増してや「東洋の優位性の主張」では全くない。著者は日本人の情緒に流れてしまう思想性に強い批判を加えており、単純な伝統主義・復古主義に組するものではない。
むしろそこで示されているのは、西洋の「二分性」(「科学的思考」「論理的思考」)を徹底し、<その後に>「不二性」を体得する(「無分別の分別」)という、新しいあり方・思想性を求める態度のように思う(難しいことだが)。
つまり本書は単なる「禅の紹介」ではなく、「意欲的な新しい思想的な取り組み」を提示していると言えよう。
まあでも、もともと「言葉では言い現しがたいもの」「言葉以前のもの」に取り組んだ著作だからね。それを理解するのは簡単じゃないし、理解すれば良いと言うものでもないし、言葉で評せるものでもないだろう。
「ちょっとハイカラなところもある坊さんの話」
ってなとこで楽しめば、とりあえずは良いんじゃないかね。
2006/9/11
小沢主義 本
「小沢主義 志を持て、日本人」
著者:小沢一郎
出版:集英社インターナショナル

安倍晋三の「美しい国へ」を読んだので、相対する御大の新作も読んでみようと、購入。
昔、感銘を受けた「日本改造計画」の続編かと思ったら、それは別に執筆中で(参院選前あたりを狙ってるのかな)、本書は「政治理念」のようなものを述べたもの。まあ安倍さんの著作でも政策の部分は大したことなかったけど、そういう意味では同列で比較するには無理があるかな?
内容としては、さすがに「選挙」に関しての発言には重みがあるが、「リーダー論」「外交論」「教育論」あたりはさして目新しい意見もなく、「ああそうだよな」ってな感じ。
まあ「政治家」だから、ビックリするようなことを連発されても困るが、もうちょっと深いものを見せてほしかったかなという印象がある。その分、「ちょいと危ないかな」と思いつつも、安倍氏の著作のほうがインパクトはあった。
「選挙のプロ」は実感できるけど、それだけじゃまずいでしょ。もっとも民主党若手議員に足りないのはそういうとこだから、案外小沢さんの狙いはそこら辺にあるのかもしれないけど(笑)。
でもソツなくこういうのを仕上げるトコが「年季」かな。安定感は確かにあるわ。
「国連軍」なんかのとこで、チャンと理想家肌のトコも披露しているから、「名刺代わり」としちゃ十分かも。
ま、国会論戦に期待、というとこですかいね。
著者:小沢一郎
出版:集英社インターナショナル

安倍晋三の「美しい国へ」を読んだので、相対する御大の新作も読んでみようと、購入。
昔、感銘を受けた「日本改造計画」の続編かと思ったら、それは別に執筆中で(参院選前あたりを狙ってるのかな)、本書は「政治理念」のようなものを述べたもの。まあ安倍さんの著作でも政策の部分は大したことなかったけど、そういう意味では同列で比較するには無理があるかな?
内容としては、さすがに「選挙」に関しての発言には重みがあるが、「リーダー論」「外交論」「教育論」あたりはさして目新しい意見もなく、「ああそうだよな」ってな感じ。
まあ「政治家」だから、ビックリするようなことを連発されても困るが、もうちょっと深いものを見せてほしかったかなという印象がある。その分、「ちょいと危ないかな」と思いつつも、安倍氏の著作のほうがインパクトはあった。
「選挙のプロ」は実感できるけど、それだけじゃまずいでしょ。もっとも民主党若手議員に足りないのはそういうとこだから、案外小沢さんの狙いはそこら辺にあるのかもしれないけど(笑)。
でもソツなくこういうのを仕上げるトコが「年季」かな。安定感は確かにあるわ。
「国連軍」なんかのとこで、チャンと理想家肌のトコも披露しているから、「名刺代わり」としちゃ十分かも。
ま、国会論戦に期待、というとこですかいね。
2006/9/10
わたしは甘えているのでしょうか?<27歳OL> 本
著者:村上龍
出版:青春出版社

ちょっとつわりが長引いている妻が気楽に読める物を、と思って購入した本。
結局妻のほうはコレさえも読む暇がなく、寝しなにパラパラ読んでいた僕が先に読み終えてしまった。
ま、その程度の本です(笑)
僕は村上龍のエッセイも好きなんだけど、その理由は「正直さ」にある。村上龍はその時その時の自分の考えを、正直に、誠実に記しており、おかげで以前と意見が食い違ってたりするケースも結構ある。
そのことを隠さないのが、この作者のいいところだ。
で、本書でもそういうところが随所に見られる。一番よく窺えるのは、質問によっては投げやりに答えたりしてるのがチョクチョク見られるトコ(笑)。
この手の質問にしちゃぁ、真面目に答えているほうだと思うけど、ま、自ずと限度はあるわな。
まあ退屈で、読む本がないときなんかには暇つぶしにはなる本です。
言ってる事はかなりマトモだと思いますしね。
出版:青春出版社

ちょっとつわりが長引いている妻が気楽に読める物を、と思って購入した本。
結局妻のほうはコレさえも読む暇がなく、寝しなにパラパラ読んでいた僕が先に読み終えてしまった。
ま、その程度の本です(笑)
僕は村上龍のエッセイも好きなんだけど、その理由は「正直さ」にある。村上龍はその時その時の自分の考えを、正直に、誠実に記しており、おかげで以前と意見が食い違ってたりするケースも結構ある。
そのことを隠さないのが、この作者のいいところだ。
で、本書でもそういうところが随所に見られる。一番よく窺えるのは、質問によっては投げやりに答えたりしてるのがチョクチョク見られるトコ(笑)。
この手の質問にしちゃぁ、真面目に答えているほうだと思うけど、ま、自ずと限度はあるわな。
まあ退屈で、読む本がないときなんかには暇つぶしにはなる本です。
言ってる事はかなりマトモだと思いますしね。
2006/9/10
筋肉痛 雑感
金曜日、プレイしたゴルフの筋肉痛が、今日の午後になって襲ってきた。
・・・確実に老いておりますな。
・・・確実に老いておりますな。