2006/8/25

人間 この未知なるもの  

著者:アレキシス・カレル、渡部昇一・訳
出版:三笠書房 知的生きかた文庫)
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またもやビジネス雑誌読書特集から選んだ一冊(笑)。
読み始めて驚いたんだけど、1935年に刊行された本なんだよね。この刊行された時代背景を頭に入れておかないと、ちょっと問題の多い本かもしれない。

本書の意図は、「『人間』を器官や機能、環境、心理、精神といった風にバラバラに捉えるのではなく(従来の医学・科学は、むしろこのように区分して分析することで発展してきたのだが)、医学的・科学的な成果をベースにしてトータルで捉えることによって、『人間』のあるべき姿を考える。更にそうした『人間』のあるべき姿を基本として、未来の人間社会のあるべき姿を考える」というもので、意欲的でロマンもあり、現代に通じる問題意識もかなり提示されていると思う。
「スペシャリストよりも、ゼネラリストの存在が求められる」「悪平等が社会のバランスや活力を失わせる」等々の主張も、(多少の留保はつけながらも)共感できるものがある。(透視やテレパシー、奇蹟などの神秘主義への共感も、それが作品のロマンティシズムを生んでいることを考えれば、まあ「苦笑」の範囲)

ただまあ、「それらを如何に実現させていくべきか」この点での考え方が、ちょっと違和感があるんだよね。正直言って短絡的過ぎるんじゃないかね。

結局作者の言わんとする方策は、「エリートを選別し、彼らが社会を先導する体制とすべき」というもの(イメージね。実際の主張はそれほど単純ではないし、「エリート」の定義も、特権階級的なものじゃない)。「エリート主義」そのものは非難されるべきものでもないと思うが、これが「選民思想」や「社会的弱者への偏見」「人種差別的思想」「優生学」と繋がると、ちょっとついていけない感じがする。
「犯罪行為で有罪となった精神異常者(は)〜適当な毒ガスの設備をそなえた小さな安楽死用の機関で処置すべきである」なぁんて論述は「アウシュビッツ」一歩手前って感じだし、「優生学」と「選民思想」の結合はナチズムへの親近感に繋がっているんじゃないか。作品の中のムッソリーニへの好意的な高評価や、ヴィシー政権下で研究所を開設した経歴なんかは、その裏づけかもしれない。

時代的に「民主主義」への限界が強く認識され、その超克が求められたことがこの背景にあるんだろう。ただ歴史は「民主主義は最善の策ではない。しかし現実に処した次善の策である」(吉田茂)という言葉を未だ否定できずにいるのが、現代から見た「現実」だと思う。

そういう意味で、
「参考になり、評価できる主張が多く含まれているが、留保ナシには評価しづらい作品」
というのが正直な僕の感想。

これ、経営者としては評価の高い伊藤忠会長の丹羽会長が推薦してた本だと思うんだけど、「どうかなぁ」と思うよ、これを薦めるのは(笑)。





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