2006/6/12

新唐詩選  

著者:吉川幸次郎、三好達治
出版:岩波新書
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僕が勤めている会社では、今が人事異動の季節。
送別の辞などで、少し格好をつけてやろうかと思って、本書を手に取った。何か、漢詩か何かを引用して、ピシッと決めるのも悪くないだろうからね。(そういう歳にもなってきたし)

本書は「名著」と言われていて、多分中学か高校時代に一度は読んだ筈だ。そのときは「まあ何とも面白くない…」と思った記憶が微かにある。多分、「年寄り臭い」とも感じたろう(笑)。

今回読んでみて、結構楽しめたのが意外だった。特に吉川幸次郎の方は解説も丁寧で、感興深く、個々の詩を楽しむことが出来た。(それに比べると三好達治のほうは、ちょっと不親切。構成も何だか「ご高説賜る」みたいな感じで、詩そのものの楽しみを少し削いでいるような気さえした)

ま、それでも作品が書かれた当時(初版は1952年)の中国に期待する、みたいな部分がある(「杜甫」の最後の部分)のには微苦笑を禁じえなかったが…。

ちなみに送別の辞をココから選ぶことは出来なかった。
唐詩には「世に入れられなくて」みたいな雰囲気がある詩が多くて、さすがにこれは前途洋洋たる(中には違う者もいるのかもしれぬが、表面上は)人々を送るのに相応しいとは思えないからネ。

2006/6/12

心の棚  雑感

今日は人事考課を部下に伝達する仕事があった。管理職としては最も重要な仕事の一つである。

本人が思っているよりも評価が上だった者もあれば、自己評価より考課結果が低くてガックリ来るもの、他人の評価が自分より上で食ってかかる者…まあ色々だ。

「心に棚を持て!」

名作(笑)「炎の転校生」の台詞で、「自分のことは棚に上げて」のギャグに過ぎない。でも今日の僕はそんな台詞を何度も心の中で呟いていた。
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自分が他人様に偉そうなことを言えた存在でないことは、自分が一番分かっている。
それでも言わなきゃいけないこともあるのだヨ。

2006/6/10

大遺言書  

語り:森繁久弥 文:久世光彦
出版:新潮文庫
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この作品は少し前から「面白そうだなぁ」と思っていたのだが、本作以降も連載は続いているし(結局、全部で4冊になった)、
「まあ森繁が死んだときにマトメて読むほうがいいかな」
と、買わずにいるうちに、久世光彦のほうが死んじゃった。
さすがにコレはビックリ。
「これで公に、個人的に森繁久弥の『死』を悼む資格がある人はいなくなっちゃったかなぁ」
と思ったけど、もしかしたら「妖怪」森繁久弥にはその方が相応しいかも、などと不謹慎なことを考えてしまう。
でも「名優・森繁久弥」を知らない僕にとっては(「夫婦善哉」も「庄造とねこと三人のをんな」も残念ながら観てない)、森繁は「森繁久弥」を演じ続けているようで、何だかその「死」すら演じられるのではとすら思ってしまうのだ。

本書には印象的なエピソードがワンサカ出て来る。どれも面白く、でも少し哀切な気配がするものが多いのは、久世光彦の筆のせいかもしれない。
そんな中、別に哀切じゃないけど、小ネタですけど、個人的には印象的だったエピソード。

森繁が可愛がった脚本家・向田邦子は悪筆で有名で、印刷所でも読めなくて、ドコへ持ち込んでも断られたらしい。
ところが「青山に奇妙な印刷屋があった。この希代の悪筆をスラスラ読んでしまう異能の親父がいたのである。(中略)その家にませた小学生がいた。向田さんが書いた『時間ですよ』の刷り損じの本なんかを読んで育った。それが、いま人気の三谷幸喜である。」

「門前の小僧」、と言うわけ。

2006/6/7

夏服を着た女たち  

著者:アーウィン・ショー 訳:常盤新平
出版:講談社文芸文庫
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「都会的」「洗練」ということになると、アーウィン・ショーの短編を思い出す。
華やかだが影もあるニューヨーク、センチメンタルだが抑制の効いた振る舞いをする登場人物、ユーモアに溢れながら含蓄もある会話、そして何といっても鮮やかな印象を残して街を闊歩する女たち…
読み返すと、自分が如何にこの短編たちに魅了され、影響されてきたかがわかる。
まあ、その割りに僕自身は「洗練」とは程遠いのではあるが(笑)。(「憧れ」ってぇのはそういうものかな?)

今回読んで思ったのは、確かに女性が印象的な作品が多いのだが、一貫して視線は「男目線」なんだな、と言うこと。そしてその男たちには比較的共通する部分が多く、それが作者自身の投影だと推測されることから、ショーの短編と言うのは極めて「個人的」な意味合いが強いと言えるのかもしれない。
ただそれが日本の「私小説」みたいな方向には行かないんだよな。文体自身がシャープで、ストーリーそのものはセンチメンタルなんだけど、決してジメジメした感じにならないところが素晴しい。(ただこれは短編だからバランスが取れているのかもしれない。ベストセラーになったショーの長編もいくつか読んだけど、これはちょっと感傷的過ぎる感じがした)

僕自身が「理想的な女性」を想定するとき、間違いなくショーの描く女性像が影響している。ただそれはあくまでも「男目線」の女性像であり、そういう意味ではかなり「時代遅れ」でもあるのかもしれない。

「キャロルはつと身体を寄せて、私の頬にキスをすると、若々しい、繊細な、美しい足どりで通りを横切っていった。素敵なスーツにやわらかな毛皮のコートを着て、生き生きとした金髪を輝かせながら。まるでこの街の征服に出かけるかのようだった。」

薬師丸ひろ子の「Wの悲劇」の盗作騒ぎのモトねたになった「愁いを含んで、ほのかに甘く」のラスト。
好きなんだよね、こういうのが(笑)。

ところで、結婚する前、僕は「自分が好きな本」としてこの作品集を妻に貸したことがある。妻からは「まあまあ面白かった」という感想をもらったけど、よく考えると、これを結婚「前」に見せるなんて、結構度胸のあるなと今回思った(笑)。
何たって、表題作は結婚生活の破綻の予感を描いた作品だからね!
平然とそれを読んで感想を言った妻の方が度胸があるのかもしれないが。

2006/6/6

「性愛」格差論  

「『性愛』格差論 萌えとモテの間で」

著者:斎藤環+酒井順子
出版:中公新書ラクレ
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酒井順子についてはベストセラー「負け犬の遠吠え」まで全然知らなかったのだが、妻は以前からファンで、従って新作は妻の方から読むことになっている。その妻の感想。

「アタマに付いている斎藤環の『ゴタク』が余分。対談の方は面白いのに」

まあそうかな(笑)。「近頃問題になっている『経済格差』を揺るがすものとして『性愛』を規定することができる」(勝手な要約)ったって、その指摘に有効性があるわけでもナシ、「何言ってんだか」ってトコ(「愛の流刑地」あたりはそこら辺を意図的にやったのかも。底が浅い気もするけど。笑)。
まあ、大体「性愛」に「反社会性」があるなんていうのは、「文学」における基本中の基本みたいなもんだからなぁ。

対談で取り上げられているのは「負け犬」「おたく」「ヤンキー」「腐女子」。深い考察がされるわけでも、新しい情報が提供されるわけでもないけど、それなりに楽しんで読めた。個人的には「『ヤンキー』の最も洗練された形が『キムタク』」に笑ったね。

「基本文献」として取り上げられているのが「負け犬の遠吠え」(酒井順子)、「電車男」(中野独人)、「電波男」(本田透)、「Deep Love」(Yoshi)、「愛がなくても喰ってゆけます。」(よしながふみ)。
読んだことがあるのが、「負け犬の遠吠え」「電車男」「愛がなくても〜」で、一番評価しているのが「愛がなくても喰ってゆけます。」という辺りが、「サブカル」と「おたく」の間を歩んできた(笑)僕を象徴しているかな。

2006/6/5

柳生武芸帳<上・下>  

著者:五味康祐
出版:文春文庫
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中学・高校時代、この「柳生武芸帳」と「眠狂四郎」シリーズは、それまで「時代小説と言えば吉川英治の『宮本武蔵』」と思っていた僕の目を開かせてくれ、豊穣な現代時代小説に導いてくれた。
「眠狂四郎」はその後、何度も読み返す機会があったのだが、「柳生武芸帳」は大学生のときに読み返して以来、手に取ることはなかった。最近、本屋に行った時に文春文庫で再刊されているのを見て、フと読み返してみる気持ちになった。

今まで再読の機会を持たなかったのは「長編」ということもあるが(文春文庫では上下巻で1,300ページを超える)、「タルイな」と言う気持ちがあったのも否めない(笑)。
長い上に、登場人物はドッサリ現れて、キャラの書き分けもちょっと曖昧なところがあったりする(夕姫と静姫とか)。シーンはアッチャコッチャと飛びまくり、勿論ストーリーも錯綜して、大筋の方向性すら見失いがちで、その上、「未完」。
まあ「大菩薩峠」ほどじゃないにせよ、ちょっと「気軽に」という気分にはなりにくい。

でも今回20年ぶりくらいに読み返して、やっぱりその面白さには魅了された。ストーリーが分かりにくいのは相変わらずだが(作者自身、把握していたのかどうか、怪しいものだと思う。笑)、チャンバラ・シーンを中心として、シーンの鮮やかさ、文体のキレの素晴しさは、以前読んだとき以上に感じられた。(ここら辺は「ハードボイルド小説」的だね)
加えて、今回は「柳生宗矩」の兵法の大きさみたいなものも、以前よりも素直に納得できたような気がする(内容は良くわからんところもあるけど。笑)

構図としては、始めた当初の「伝奇小説」色の強い展開で行けば多分ストーリーもシンプルで完結も出来たんだろうけど、途中から歴史上の人物や史実を織り込み始めて、そのことが物語を複雑化し、面倒にしちゃった…と。
でもその複雑化した辺りから面白くなってるのも確かなんだよね。後半、宮本武蔵が出てきた辺りの「ノリ」は以前も今回も「巻を置くにあたわず」って感じだった。
終盤、どうやら「朝鮮」も絡んだ陰謀の大きさを暗示する辺りで「未完」になっているのは、やはり残念。でもだからこそ「未完」なのかもしれないな(笑)。

昔感動した本を再読してガッカリなんてぇのはよくある話だが、そうじゃなくて安心した。

2006/6/4

山の上の異世界  雑感

今日は「東京セサミプレイズ」に行って来た。
前から決めていたわけではなく、「どっか出掛けるか」くらいの漠然としたノリで家族で車に乗り込んだ後、何となくの妻の提案で急遽向かうことになったのだ。
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この施設、「あきる野市」にあり、東京サマーランドの関連施設として開園している。隣が何と「ムツゴロウ動物王国」で(笑)、まあ山の中の施設だ。下にある駐車場から、50メートルはあると思われる「エスカレーター」でBig Birdの口の中を抜けたところに異世界が広がる。

とは言え、施設としてはど〜かなぁ。ディズニーランドと比較するのは可哀相だけど、トーマスランド(富士急ランド)と比べても、微妙なところだね(笑)。「乗り物」とかアンマリないし、キャラとの出会いも少ないし…。
ただこれは「キャラクターのテーマランド」としては、と言うことであって、息子にとってはナカナカであったのではと思う。

遊具等を考えると、ここは「セサミストリートの何か」と言うよりは、「アスレチックランド」と考えた方が実態に即しているのだ。
デッカイすべり台とか、よじ登る編み縄の山とか、ボールルームとかがあって、それらにテキトーにセサミのキャラの名前が付いていると言う…(笑)。
息子がもう1,2歳上だったら、間違いなく終日遊び倒すようなところだ。

と言う訳で、まあ僕ら家族もそれなりに楽しみはしたのだが、こういうテーマパークだから間違えてカップルなんかも来ちゃうんだろうナァ。

「あたし、セサミって昔、大好きだったのよね。エルモとかさぁ」
「じゃあ、今度の日曜にでも二人で行ってみるか」

…などと言って来たカップルは悲惨である。この手のレジャー施設にありがちではあるが、レストランの食事も目も(舌も)当てられんしね。

ま、余計な心配か(笑)。

2006/6/1

飲み会続き・・・  雑感

ハァ…、もう「6月」ですな。
今週に入って、連日の飲み会。特別な理由があるわけではないのだが、偶然立て続けに予定が入っている。
20代の頃ならあまり気にもならなかったんだけど、さすがにこの歳だとキツイね、これは。
二次会はできるだけ失礼させてもらっています。

今週末はゴルフもあるんだよナァ…。
ゆっくり休みたいんだけど…。



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