2006/4/30

初夏の一日  雑感

今日はいい天気だった。
適度の風もあって、暑くもなく、寒くもなく…。
陽射しに初夏の気配があって、散歩には丁度良い陽気。午前中に散髪をした後、プラプラと散歩に出た。

近くにある少し大きな公園を目指したのだが、その近くにあるショッピングセンターに立ち寄り、その中のスポーツクラブに入会した。
家を出るときにはそのつもりはなかったんだけど、勢いだね(笑)。数日前にそのクラブの入会割引キャンペーンが新聞の折り込み広告にあったのがキッカケ。

早速ショッピングセンターで水着を購入し、プールに入る。
学生時代には遠泳の経験があって、10キロくらいは泳いでいたので、今日の目標は甘めに「1キロ」
…と思っていたら、200メートルで顎が出た(笑)。

まあ10年以上、まともにプールで泳いでないからねぇ。鈍っているとは思ってたけど、ここまでとは…。
結局、300メートルほど水中ウォーキングして(笑)、初日は終了。

取り敢えず、「目標500メートル」だね。
先は長いわ。

2006/4/30

V フォー・ヴェンデッタ  映画

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悪くない。
悪くないんだけど、う〜ん…。

エンターティメントとして良く出来ているし、退屈もしない。
題材(テロリズム)が題材だけに、これは凄いことだと思う。「V」の造形も、これで「カッコイイ」と思わせるところは大したものだ。キャラとしてもナカナカのものだと思う。
…なんだけどなぁ。

まあ結局、Vとヒロインの関係が今ひとつピンとこなかったのが原因かな。特にヒロインの逮捕後の「アレ」はどうも納得しがたい。
分からなくはないんだけど、「そこまですることか」というのが正直なところだ。

でもこの題材を取り上げたことは勇気ある選択であり、賞賛に値すると思う。
「マトリックス」が(特に続編を作ることによって)結構安易な「ヒーロー物」に接近してしまったのに比べると、評価してもいいんじゃないかな?
ラストの「民衆の蜂起」も、「お約束」と言えば「お約束」だが、それなりに抑制が効いたものになっているしね。

それにしてもナタリー・ポートマンがこんな風に成長するとは思わなかったなぁ。

2006/4/30

プロデューサーズ  映画

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最初はギャグのノリが何となくうわっ滑りをしてるような気がして、
「このノリで最後までは辛いなぁ…」
って感じだったが、マシュー・プロデリックが会社を辞める辺りから面白くなってきて、劇中劇(「春の日のヒトラー」)は抱腹絶倒。
十二分に楽しむことができた。
「上質なコメディ」とは言えないが、そこは「メル・ブルックス」。
「上質な悪ふざけ」と思えばいいんじゃないかな(笑)。

唯一思っていたのは、「何でブルックスが自分でやんないのかなぁ」ということだが、エンドロールの最後に本人が登場して納得。
こんなに爺さんになってちゃ、チョイと無理だわな(どうもチョイ役で本編にも出ていたのだが、あんまり歳を取っていて、その時は気付かなかった。笑)。

まあそれにしてもこれ、脚本・作詞・作曲、全部メル・ブルックスがやってるんだよね。
改めてその才人ぶりには感服させられた。

2006/4/30

独身生活…。  雑感

先週の木曜日から、僕の両親が上京していた。昨日、その両親を空港に見送るのに合わせて、妻と息子を妻の実家に帰らせることにした。
GW…とは言え、1,2日は出勤。メーカー勤務だとここら辺が一気に休み、というのもあるだろうが(義弟はそうらしい)、金融関係はそうもいかない。
で、3日に合流することにして、一足先に妻と息子だけかえしたわけだ。
(今年のGWは祖父の25回忌があるので、妻の実家による予定も組み辛いしね)

と言う訳でつかの間の「独身生活」と言う事になるのだが…、
いやぁ、暇だね(笑)。
最近、スッカリ息子と遊ぶクセをつけちゃったんで、何か時間を持て余してしまう。
仕方がないので、昨日は映画の梯子をしたのだが(コレばっかりだな)、これも余り乗り切れなかった。映画自体は悪くはなかったんだけどネェ。

ま、僕も「マイホーム・パパ」に染まっちゃったっちゅうことですかね。
どうせこの数年のことだろうから、それはそれでいいんだけど、さて今日は日曜日。
どうしますかね?


2006/4/29

グーグル  

「グーグル Google 既存のビジネスを破壊する」

著者:佐々木俊尚
出版:文春新書
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「ウェブ進化論」は最近読んだ中では知的刺激を与えてくれた本である。本書はそこで取り上げられた「グーグル」について、より具体的に解説してくれた一冊。併せて「グーグル」の持っている「危険性」に対する懸念を提示しているところが、「ウェブ進化論」との違いかな?
(但し、「ウェブ進化論」の作者・梅田氏もこの点を看過している訳ではない。彼のブログには以下のような記述がある。

「ただ「グーグルのここまでの達成」の意味は、現代の常識としてできるだけ多くの人がきちんと理解しておく必要があると思ったのだ。本書の感想の中に「グーグルを礼賛しすぎている」というのが散見されるが、少なくとも「グーグルのここまでの達成」については、いくら言葉を尽くして称賛しても足りないと僕は考えている。そのくらい大きなことをネットの世界にもたらした会社だと思う。

むろんこれからのことはわからない。でも「これからのことはわからない」からという理由で、両論併記で「グーグルの良さと問題点」を併記して書き手としてリスクをヘッジするという態度をとるには、その達成の程度が凄すぎる、というのが僕の判断だった。」

これをどう評価するかは意見の分かれるところだろうが、理解はできる)

結局のところ、「グーグル」(あるいは「グーグル」が象徴する理念)が何を意味しているのか?
それは見る角度によって様々であろうが、例えば「『情報』を『データ』化している」と言う見方もできるだろう。
「情報」と言うと何となく付加価値が感じられるが、「データ」と言うと「道具」「素材」的なイメージが強くなる。「情報」の付加価値は、その「内容」によってでは勿論であるが、「入手の困難さ」「収集ロードの過大さ」によっても構成される。
「グーグル」はその「技術力」と(ビジネスモデルの)「破壊力」によって、この「入手」「収集」のハードルを極端に低くして、付加価値があると思われる「情報」をどんどん「データ」化しているように思えるのだ。

このことは悪いことではないと思う。
大体、バブル頃から「情報」の価値というのはドンドン高くなってきた気がするが、中には胡散臭いものも結構あって、「情報化社会」というものが何となく「魑魅魍魎が跋扈する」みたいなイメージになってきていたと思う。
例えば「ブーム」なんてぇのがそうだよな。
確かに「いいもの」が流行るというのはあるだろうが、その一方で「仕掛けて流行らせる」みたいなことが当たり前のようになって、そのことがジャンルそのものを歪にしてしまうケースもあるん
じゃないだろうか。「ミュージックシーン」なるものにはその気配が強く感じられる。

勿論、「『情報』が『データ』化する」ことで、流行を仕掛けることがなくなるわけじゃない。インターネットを上手く使って流行を仕掛けることだって行われているだろう。
ただ一方でその『裏』を推測することだって出来るようになるわけだし、そうした「仕掛け」とは関係なく、自身に重要な「情報」を収集することもできるのだ。「ロングテール」の法則はそのような存在を市場経済の中で許容する意味を持っている。
まあ別の面から見ると、「中身が問われる」ということであって、「内容のあるものが存在し続けることができる」という意味ではいい面もあるが、ジャンルによっては支持がなくて潰れちゃう可能性もあるよね。
「支持がないものは意味がないもの」と考えるか、「支持がなくても、(例えば将来的には開花するとか)意味があるものもある」と考えるのか、こうなると哲学的な命題(あるいは政治的な命題)にもなっちゃうな。
個人的にはハイデガー的に「新たな理念は、既にその前の時代に内包されている(現在は既に現在を越えている)」と考えたいけど。

本書で指摘される「グーグル八分」に見られる「グーグル」の問題点は確かに懸念だと思う。特に「グーグル」が政治的圧力や商業的圧力に屈する(あるいは自身がそういった権力を使う)ことは留意しておく必要がある。
ただ、コレって何も「グーグル」に限ったことじゃないでしょ?そもそもマスコミなんか、モロにこういう性質を内在しているし、最近ではマイクロソフトにも言われていたことだ。
要は「そういう可能性がある」ということを認識した上で利用すればいい、ということじゃないかな。それを理由に忌避するには、あまりにも魅力的な理念を体現していると思うよ、「グーグル」は。
それに既に「グーグル」の理念を「マイクロソフト」「ヤフー」「Amazon」なんかは理解し、真正面からの対決を迫っている。その中で「グーグル」が相対化され、その理念が相対化の中で実現すれば(つまり複数の仕組を使うことで、一つの仕組が持つ「恣意性」を露わにしてしまい、「恣意性」による誘導が無効になるということ)、それでいいんじゃないかと思う。

で、結局問題は「中身」「内容」「意味」だということになるのではないか、と。
これって「巡り巡って」って感じだけどねぇ(笑)。ただ徹底した「相対化」を経験した上で問いかけることは、以前とは違う意味を持っている。そこには「真理」という重みはなく、「神」は存在しない。
(ITやグーグルを「単なる道具の問題」と片付けるのは浅薄に過ぎるだろう)

「だからと言って『絶望』することはない。自分にとって『意味』のあることを見つけることはできるのだから」

というのはあまりにも楽観主義過ぎるかな(笑)?

2006/4/27

エピソードで読む西洋哲学史  

著者:堀川哲
出版:PHP新書
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「哲学」は10代、20代の僕のアキレス腱だった。
「苦手」というよりは、「憧れ」みたいなものがあって、良く分かりもしないのに突っ込んじゃうという傾向があったのだ。まあ未だにこういう本を読んだりしているんだから、完全に克服したという訳でもないようだが(笑)。

本書は代表的な哲学思想のポイントを紹介する「入門書」だが、哲学者の生涯やエピソードの紹介も重視していて、読み物としての面白さもある。思想だけを見ていると、高邁に見える(ただ理解できているのかどうかは疑問。笑)ものが、哲学者自身の言動と重ね合わせることで、少し違う位相を見せてくれるのが面白い。
音楽や絵画などの芸術作品や、自然科学の分野の場合、「作品(成果)が全てであって、作者の人間性は付随的でしかない」という主張に納得感もあるのだが、「哲学」の場合はやっぱり「人間性」に目を瞑ることはできないだろうからね。

どの項目(哲学者)も面白かったんだけど、「流れ」として、「19世紀」を頂点として、混迷の「20世紀」(哲学者の大半が精神病者に見えてしまう。笑)から、「コンピューター」「DNA」という新しい技術・発見をベースとした新たな局面へ、という見取り図が透けてきて(というか作者の意図だが)、そこが個々の理解の助けにもなる。まだ評価は定まっていないだろうが、敢えて「サイバネティックス」や「利己的遺伝子」なんかまでを紹介しているあたりに、本書の目新しさはあり(ここら辺を哲学史の「入門書」ではあまり扱わないだろう)、「現代」を見据えた作者の意図も感じられるような気がする。

まあでも「ここまで断言してもいいのかなぁ」っていうのもあるけどね(笑)。
「歴史の終わり」に関する、

「西欧資本主義も完璧ではないかもしれない。しかし、もうこれ以上の社会制度は、少なくとも予想しうる未来ではないだろうと思われるようになった。
もうこれから先、世界に新しいものが現われることはない。歴史は終わったのである。」

辺りは思い切りの良さに驚きはするものの、「まあ、そうかな」とも思う。
でも例えば「フロイト」の項での、

「現代のまともな医者はフロイト的な治療を信用していないであろう。精神分析はインチキだと思っているであろう。」
「それにそもそも、私の経験からすれば、おかしいのは心理学者に多いのである。」

辺りはどう?「そうかもしんないけど…」とは思うけど、ちょっと…。
事実関係は分かりませんが(笑)。

でもこうやって哲学者の人生と思想をまとめて見ると、「哲学」というものが「時代」や「政治」や「人」に影響されたものだというのが良く分かる。と言うか、結局のところ「哲学」と言うのは、その時代や社会を把握するための「合理的体系」を考えるものであって、必然的に「相対的」であらざるをえない、と言うことなのかもしれない。(ここら辺、ハイデガーっぽいか?笑)

そういう意味では「大人の哲学」である「経験論」や「プラグマティズム」が個人的にはフィットするかな。
「哲学」としての快感には物足りないんだけどねぇ。

2006/4/25

町長選挙  

著者:奥田英朗
出版:文藝春秋
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「イン・ザ・プール」「空中ブランコ」に続く伊良部シリーズ第三弾。
「上手くて面白い」とは思っていたけど、まさか直木賞獲っちゃうとわねぇ。比較的幅の広い作風なのでそこら辺が評価されたか?実力はあると思うので、受賞そのものには異論はない。

このシリーズは妻も気に入っていて、本作は彼女の方が先に読んだんだけど、その感想が、
「こんなに露骨に実在の人物をモデルに使ってて、怒られないのかなぁ?」

確かに派手にモデルに使っている。収録作4作のうち、3作はモデルものだ。(4作目の「町長選挙」も何かのモデルがあるのかもしれないが、ちょっと分からない。内容的には「日本の縮図」と言ったところか?)

・ナベミツ:田辺満雄(「オーナー」)→ナベツネ:渡邊恒雄
・アンポンマン:安保貴明(「アンポンマン」)→ホリエモン:堀江貴文
・白木カオル(「カリスマ稼業」)→黒木瞳

分かり易過ぎて、モデルの特定はすぐできてしまう。
まあそれぞれの登場人物は基本的に「好人物」として扱われていて、読んでいて好感を覚えるようになっているから、それでいいのかもしれないけどね。(「オーナー」なんかは、最近の一リーグ騒動を扱っているが、読んでいるとかなり「ナベミツ」サイドに立った評価に好意的なのが良く分かる。ここら辺の感覚は「マトモ」だと思うのだが、一般的にはちょっと違うのかな?まあ実在の「ナベツネ」には色々問題あるからなぁ。本作みたいな幕引きしたら人気出るのにね)

こういうモデル扱いをする作者というのはかなり「へそ曲がり」なんじゃないかと思うのだが、そこら辺は間違ってないらしい(笑)。
ま、僕としては話が面白ければいいけどね。

シリーズの続編に期待しております。

2006/4/25

国境の南、太陽の西  

著者:村上春樹
出版:講談社
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村上春樹の作品は折に触れて読み返しているが、対象となる作品は限られている。
「風の歌を聴け」「1975年のピンボール」「羊をめぐる冒険」「ダンス・ダンス・ダンス」「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」再読したことのある長編は以上(いずれも4、5回は読み返しているが)。エッセイは「ジャズ・イン・ポートレイト」で、あと短編集は結構読み返すかな。
つまり長編に関しては「ダンス・ダンス・ダンス」以降の作品は読み返したことがなかった。どの作品も発売されて間をおかずに読んでいるし、それなりに楽しんでもいるのだが、改めて手に取るほどの感銘は受けなかったということだ。
ここら辺に現在の村上春樹に対する僕のスタンスの微妙さが表れているとも言える。

今回、本作を読み返す気になったのは、全くの気まぐれ(丁度、読みたい本が手元になかった、本棚を片付けていて、全集が積み上げてあった 等)だったが(なんせ13年ぶり)、読み終えて思ったのは、
「面白いじゃん、コレ」(笑)
いや、実際、何で初めて読んだとき、この作品にもっと惹かれなかったのか、今となっては不思議なくらいだ。

作品の構成としては、「社会的に成功した男が、かつての『運命の女性』と再会し、地位も家庭も捨てようとするが、女性が身を引いたことにより、社会的な破滅を回避する」物語で、まあ「男に都合の良い不倫物語」とも言える(笑)。
「その過程でもっと重要な『何か』を失っている」ということなんだけど、その『何か』は明示されていないため、見方によっては「身勝手な男やなぁ」ってな感じだ。実は半分くらいは僕もそう思う(笑)。

大体、村上春樹の小説の主人公たちは、「社会的成功者」とまでは言わなくても、「破綻者」ではない。少なくとも「貧乏で夕食のご飯にも事欠く」ということは全くない。ある意味、「アメリカ的豊かさ」に身をおきながら、「精神的な喪失感を抱えている(抱える)」というのが村上春樹的主人公であり、それは戦後日本文学の流れとは隔絶を感じさせるものだ。(そこには「貴族性」をも感じさせるものがあり、同時代作家でありながら、村上龍にはそれは感じられない。これはまあ、「良くも悪くも」だが)
ただ「現代日本」を考えるとき、批判的視線を内包するスタイルとして、村上春樹は確固たるモノを築き上げているというのも確かであろう。

…なんてこととは関係なく(笑)、僕は再読して本作がモノスゴク気に入った。
読んだのは全集で、巻末に作者自身による「解題」がついているんだけど(「全集」はコレがお得)、これもかなり面白かった(本作が「ねじまき鳥」から割愛したエピソードから成立している、とか)。その中で本作についてパーソナルな作品とのコメントがある。

「ごく客観的に言って、『国境の南、太陽の西』を僕の代表作と呼ぶことはかなりむずかしいだろう。(中略)この作品は一般的な見地から言えば、それほど柄の大きな作品ではない。どちらかというと、パーソナルな色彩の濃い作品である」

確かに初めて読んだとき、僕はこのことに違和感を覚えたんだと思う。そして今読み返してみると、そのことが僕の心を強く捉えているのかもしれない。

「僕がこの『国境の南、太陽の西』で書きたかったことは、まず人がダイレクトな過去の響きに対していったい何ができるかということであり(中略)、第二には人は現実と非現実とを、覚醒と非覚醒とを、どのようなかたちで共生させていけるのか(中略)ということだった。」

まあこれは10代や20代にはピンと来ない話かもなぁ。
そういうのがピンとくるだけの経験を重ね、過去を抱えてきたということかね、僕も。
僕の今までの人生に「島村さん」はいないけどね。(「イズミ」もいないと思う。…たぶん)

2006/4/22

成長と出費  雑感

少し前の息子の「1年6ヶ月健診」で、
・身長81cm
・体重10.7s
との測定値。
「平均」とのことだが、生まれた時が「3,216g」だから、
「大きくなったもんや」
と感慨しきり。
「身長は僕の二分の一弱なのに、体重は八分の一…」
…って、それは僕が太りすぎなんです(笑)。これからは「身長」より中身が詰まってくるのは確かだろうがネ。

などと思っておったら、思わぬところに影響が。
靴が小さくなっていたのだ!!

息子が履いていたのは「13cm」のスニーカータイプ。
最近チョット履かせるのが面倒だなと思っておったら、現在の実測値が「13.5cm」、従って靴のサイズとしては「14cm」から「14.5cm」が妥当だと、靴屋の店員さんから指摘され…。
何と、「1cm」も小さいサイズの靴を履かせ続けていたわけですワ。
すまんな、息子。

慌てて買った靴に履き替えて走り回る息子を見ながら、その成長に喜びを感じつつ、一方でこれが成長期に向けての、「買っても買っても、すぐにサイズが小さくなって、駄目になる」状態への序章なのだと思うと、ちょっとため息(笑)。
喜ばしいことなんだけどね、ホントに。



2006/4/22

危機の宰相  

著者:沢木耕太郎
出版:魁星出版
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アテネ・オリンピックの時だったと思うが、何か(JMMかな?)で村上龍が沢木耕太郎のマラソンか何かのレポートを批判しているのを読んだ。詳細は忘れてしまったが、レポートするに当たって、「物語」をそこに組み込んでしまう沢木耕太郎の視点を批判していたのだと思う。
たまたま僕は事前にそのレポートを読んでいて(確か「朝日新聞」だったような…)、結構感銘を受けていたので、村上龍の批判は新鮮に読めた。
正直言えばどちらにも理はあり、それはそれぞれの拠って立つスタイルによるもので、「評される人も評される人、評する人も評する人」(by勝海舟)って感じだったが、村上龍の指摘は沢木耕太郎のスタイルの根幹に触れるものでもあり、記憶に残っているのだ。
(ちなみにスポーツに関しては村上龍の指摘に僕の立場は近い。確かに「物語」によってスポーツを語ることは、その理解を早く深めることには役立つが、一方でスポーツの持つ、根源的な「パワー」のようなものを希釈してしまうような気がする)

本書は、沢木耕太郎の抜群の構成力で、「所得倍増」に関するドラマを物語った作品だ。実際に大枠が書かれたのは1977年で、従って30年近く経ってから陽の目を見たことになるのだが(正確には本書の前に「作品集」収録の際に完成している)、内容が全く古びていないことが作品の質の高さの証明にもなっている。
「物語」の核は「ルーザー(敗者)」。
取り上げられた3人の人物(「池田勇人」「田村敏雄」「下村治」)に共通する資質として「ルーザー」という視点を設定し、そこから3人の織り成す人間模様、そして戦前から東京オリンピックまでの時代の流れを、硬質な文章で、しかしドラマチックに物語っている。
(「解説」ではこれを「異邦人」と言っているが(そして構図としてはその方が正確だと思うが)、それを「ルーザー」とするのが沢木耕太郎。確かにこの方がズッとドラマチックだ)

正直言って、僕にとって「池田勇人」は影の薄い政治家だった。
多分それは一般的な評価で、例えば直前に読んだ「昭和史<戦後篇>」でも、岩波新書の「戦後史」でも、高度成長期の首相として触れられながらも、終戦直後を支えた吉田茂、大衆運動と正面衝突した岸信介、良くも悪くも新しい政治家像を提示した田中角栄なんかに比べて、あまり人間像が語られていない。
しかしながら本書を読むと、その印象とはガラリと変わり、「語られるべき政治家」としての「池田勇人」が現れてくる。このこと自体が本書の感動でもある。
(ただし「偉大な政治家」ではない。そのことは沢木耕太郎自身も規定していると思う。「池田」「田村」「下村」、この3人が合わさって、初めて「偉大な」と言いえるのだ)

さて、村上龍的に指摘するならば、こんな風に「時代」を物語ることは良いことなのか?

難しいところだ。
沢木耕太郎自身、本書と「テロルの決算」で「時代」を物語りながら、以降はその途を封印し、別の路を歩んでいる。
例えば本書における「物語」の完成度の高さは、その一方で「高度成長」の歪の部分のインパクトを弱める役目を果たしている。作品を書いた時点ですら作者自身はそのことに自覚的であり、その点は作品でも言及されているのだが、それでもなお、「所得倍増」の物語は、そのドラマチックさとロマンティシズムがあまりにも魅惑的であるが故に、「歪み」から読者の眼を引き離してしまうのだ。

ただ一方で、この「物語」によって、初めて僕が「池田勇人」とその周辺の人物たちの「生き方」に刺激され、「所得倍増」が日本の現代史において持つ新たな意味合いに気付かされたのも、また事実。
「高度成長」の意味を考える上において、またそれ以降の日本現代史の迷走振りを解き明かす上においても、本書の視点は軽くないものがあると思う。

ま、結局は読む者が決めるしかないっちゅうことですかいのぅ。全くの「逃げ」ではあるが(笑)。

何はともあれ、読了後、「テロルの決算」を再読したくなった。
沢木耕太郎の作品集、場所を取るので(笑)途中で買うの止めたんだけど、やっぱり全部揃えておいたほうがいいかなぁ。



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