2006/2/28

抜歯ですワ…。  雑感

チョット前から通っていた歯の治療、結局「抜歯」ということになった。

15年以上前に治療した歯の内部に虫歯が出来、膿が出てきて腫れた…というところだったのだが、腫れが引くにつれて、歯の根の先にヒビが入っている可能性が。
今日の治療の際、レントゲンでそのことが確認でき、急遽抜くことになったのだ。

「…ああ、これは駄目ですね。抜かないとマズイです。」
「え、抜歯ですか?」
「そうです。(と、状況&治療の説明)…ま、どういう治療にせよ、抜くことは避けられませんね」
「…なるほど。…で、いつ頃…?」
「今日やりましょう」
「え?」
「あ、接待とかの予定があるなら、明日でもいいですよ。でも抜かないと状態は良くならないから、早めにやりましょう」
「…じゃ、今日お願いします」

で、麻酔を打って、抜歯…と。
先生の腕がいいのか、治療技術が進歩しているのか、ほとんど痛みは感じずに抜歯できたけどねぇ。ま、でも麻酔が切れたら疼く気配は既にある。

あとこの抜けた後をどうするか?

入れ歯orブリッジorインプラント

「インプラント」がいいのは分かっているんだけど、何でも「60万円」らしい(当然保険外)からねぇ。
まあ額はいいんだけど、何かこういうので払うのが何となく…。他に虫歯もあるようだしなぁ…。

ま、いずれにせよ、実際に着手するには2ヶ月くらい掛かるらしいので、ちょっと考えてみるかぁ。
ヤレヤレ…

2006/2/26

雨の日の遊び場所  雑感

今日は終日、雨。
最近、雨だと息子をどこに連れて行くのかに苦労する。かなり走り回るようになっているし、手近なモノにすぐに手を出すから、少し前には良く連れて行っていた、デパートやショッピングモールはしんどくなって来ているのだ。
「だったら家で」とも思うのだが、終日家にいると今ひとつ運動不足で機嫌&寝つきが悪いし、第一、妻の気晴らしにもならない(笑)。
で、今日はフと思いついて、両国にある「江戸東京博物館」に連れて行った。
これが大正解。
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「93年 開館」らしいから、バブルにドップリの箱モノ施設だが、僕は昔からココが気に入っている。どデカイ建物内に、江戸時代の長屋や歌舞伎舞台、明治時代の街並みなんかを復元している…という、まあバブルじゃなかったら到底やらない内容だと思うのだが(笑)、これがいい方に転がっているのだ。
深川にも似た博物館があるんだけど、両方とも楽しい施設だ。ガラス越しに陳列棚に収まった名品・珍品を眺めるのも悪くはないが、こういう体験型(と言うか、自分がその中に入っちゃうというスタイル)の施設と言うのは、ちょっと突き抜けたトコロがあって、評価していいと思う。
経営的にはどうか知らんがね(笑)。
(ま、本当は「本物」を使って欲しいけどね。そういう意味では小金井にある別館の「江戸東京たてもの館」は一見二見の価値アリ)

で、まあ館内は広く、色々歩き回るスペースがあるので、息子も心置きなく、歩き、走り回っていた。雨にもかかわらず、人出は多かったが、まあ施設自体がデカイから、そこんとこは余り気にならない。
催し物で「新内」の披露があったんだけど、三味線の音色を聞きながら、走り疲れて眠りだした息子を抱える、というのも、何やら風情がある感じでイイ経験。
(ちょっと出てくるのが遅いけど)館内の和食レストランも結構イイ味であった。売店で「言問団子」と長命寺の「桜餅」が売られてるのもGoodである。(僕らは「言問団子」を買って食べた)
海外から来た絵画なんかを見るのも悪くないけど、こういう施設を定期的に訪れて、何がしかの歴史の空気を感じるのも文化なんじゃないかね、などと思ったりもする。

で、本日息子が感化された文化的お土産はコレです。(おっきい方を買いました。1,050円ナリ)
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何かチョット手塚風なのがアレですな(笑)。

2006/2/25

息子の初めてのマイカーは・・・  雑感

コストコで購入した一人乗りのスポーツカー・タイプ。
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購入資金5,000円弱だが、本人大満足で、費用対効果はバッチリ(笑)。
(ただこの「Radio Flyer」の玩具、普通に買うと1万円以上するんだよね。「コストコ」恐るべし!)

僕の初めてのマイカーは「トレノ」だったなぁ。(写真と違って、色は「白」)
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今やアジア的に有名になってしまった例の「パンダ・トレノ」の後のタイプだったけど、結構気に入って乗り回していた。
ま、最後は事故で全損だったんだけどね(駐車してるトラックの後ろに突っ込む事故で、僕の怪我も入院ほどではなし。トレノは全損だったけど、トラックの修理代は3万円だった。笑)。

願わくば、息子のカーライフが事故と無縁でありますように…

って、自分の資金で購入したんじゃないから、「マイカー」とは言えないか(笑)。

2006/2/23

漱石の思い出  

著者:夏目鏡子述、松岡譲筆録
出版:文春文庫
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「向田邦子の恋文」に続き、小説家の遺族による「思い出話」だが、「恋文」が礼賛の言葉で溢れているのに比べて、こっちは有名な「偶像破壊」の書(笑)。おかげで気楽に読めた、というのもある。

ただ本書で描かれている「漱石像」は、その後の遺族・門下生の証言や、英国留学時代のエピソードなどで補強され、今ではだいたい「事実」と捉えられているんじゃないかな。むしろこんな精神状態の中から、あれだけの作品を生み出したことの方に驚いてしまう。
端正な「偶像」は破壊されたかもしれないが、その下にはより驚くべき「漱石像」が登場した、というわけだ。

夫人から見る夫としての「漱石」は、作品の精神性の高さや、歴史における漱石の特異なポジションなどを剥ぎ取られ、まああられもなくみっともない姿だ。つまるところ、妻から見た夫などというものはこんなもんなのかもしれない(溜息)。
しかしながら鏡子夫人の口調には漱石に対する愛情と尊敬の念(そしてそれは文豪・漱石ではなく、人間・漱石に向けられている)が感じられ、深刻な状況を話す時にもユーモラスな雰囲気がにじみ出てきていて、作品としての印象は明るいものになっている。
「色々あったけど、いい夫婦だったんだな」
読み終えて、そんな風に思えるところが、なかなか気持ちのいい本だ。
鏡子夫人については「悪妻」の評があり、本人談を見ても、「全くの誤解」とは言い切れないようだが(笑)、ここに描かれる漱石とはやっぱりこの女性でないと添い遂げることはできなかったであろう。なかなか興味深い女性だ。
(漱石が精神病を病んでいると分かり、「絶対に離縁しない」と決意を母に語る下りは感動的。ちょっと立派過ぎる感じもするけど。笑)

本書はどこも面白いエピソードに満ちているが、圧巻はやはり「修善寺の大患」。ここの緊迫感に満ちた章は、比較的ユーモラスな雰囲気のある本作の中で最もドラマチックなところ。帰京しようとする医者を引き止める当たりの迫力(しかもそのことが漱石を救うのだが)はちょっと見物だ。危機の中で「漱石」と「鏡子」の関係が浮き出てくる印象深いエピソードとなっている。
(ここら辺を漫画化した「「坊ちゃん」の時代第五部 不機嫌亭漱石」には、その凄惨な血みどろの状況が描き出されている)

まあでも娘たちにとっては「漱石」は「恐ろしく怖い父」であったようで、そちらから見ると「困った親父」ということだったらしい。
本書で鏡子夫人は「困ったオヤジ」である漱石を暴露しているわけだが、(赤裸々に語られているにも関わらず)そこには「漱石」に対する否定的な視線がほとんどない。従って本書を読んだ方も漱石に対する尊敬の念を損ねるようなことにはならない(発表されたときは「漱石」を知る人も存命で、色々あったようだが)。
ここら辺が「夫婦の機微」というものなのかもしれないナ。まだ良く分かんないけどねぇ(笑)。

2006/2/22

眠る盃、向田邦子の恋文  

「眠る盃」
著者:向田邦子
出版:講談社文庫
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「向田邦子の恋文」
著者:向田和子
出版:新潮文庫
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「父の詫び状」を読んで、気分になったので、続けて読んでみた。

「眠る盃」は「父の詫び状」に続くエッセイ。ただ作品としてのまとまりは、発表誌がまとまっていた「父の詫び状」にくらべ、寄せ集めの感が強い本作の場合、非常に散漫な印象だ。ただそれでも「父の詫び状」の後日談や、別エピソードが収められているので、続編的な楽しみ方はできる。
文章はやっぱり上手いから、読んでいて気持ちがいいしね。
(一番感銘を受けたのは、戦時中の父の別エピソードである「字のない葉書」。疎開していた妹を迎える父の姿には目頭が熱くなる。いや、マジで)

「向田邦子の恋文」はちょっと困った作品。
おそらくは向田邦子のコアの部分に影響を与えていると思われる「N氏との関係」(N氏の自殺をも含め)に興味があって読んでみたのだが、まあその野次馬根性は満たされる。スキャンダラスにならないように抑えられた筆致(遺族の作品だから当然ではあるが)も、好感が持てて良い。
ただ妹の描く「向田邦子」の姿が立派過ぎて困ってしまうのだ。
向田邦子自身は、エッセイの中で自分のことを「遊び人」風に書くことが多い。そこには「偽悪的」な気配も十分に感じられるようになっているのだが、そのことを考慮に入れても、本書に描かれている「向田邦子」は立派な人物に過ぎる。いや、本当にそういう人物だったのかもしれないが、それにしてもなぁ、という困った感じをどうしても覚えてしまうのだ。
父に関しても、向田邦子が実家を出かけるキッカケとなった口論は、実家から娘を出させるために「仕掛け」たものであり、向田邦子もそのことを十分に認識した上で、それに「乗った」と解き明かされているのだが、これもちょっと困ってしまう。
事実がどうなのか、ソレは分からない。あるいはこの遺族に映った姿こそ、生の向田邦子の姿なのかもしれない。それでもなお、僕の中には向田邦子自身が描く彼女自身の姿、父の姿があり、作品を通じて手に入れたそれを大事にしたいという思いを否定できずにいるのだ。
(まあ実態としては、その間くらいなのかなぁとも思うが)

本作で最も深く心に残るのは「写真」だ。表紙と、中に何葉か収められている写真で、向田邦子は時に意思的な瞳を見据え、時に硬質な色気を漂わせてくれる。
それは向田邦子自身のエッセイとも、遺族が描く彼女の姿とも少し違う女性の姿だ。
本書の価値はこの写真にあるんじゃないかな、というのが、結局のところの感想である。

2006/2/19

娘に語るお父さんの歴史  

著者:重松清
出版:ちくまプリマー新書
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今日は家族でイクスペアリに行ってきた。
特段何か用事があるわけではないのだが、最近行ってなかったので、ちょっとした気分転換でドライブがてら出かけることにしたのだ。

ヴァレンタインデーを過ぎていたので、ディズニーリゾートの人出もそれほどではなく、イクスペアリの駐車場にも難なく止めることができた。若干気温は低めだったが、時折日差しが差したりして、思っているよりは過ごしやすい日和だ。
「思ったほどではない」とは言え、そこはディズニーリゾートの一角の商業施設、それなりではある。場所柄、家族連れが多いのは当然だろう。
「平均年齢を計算したら、僕よりズッと低いんだろうなぁ」
などと思いながら、ブラつく。
確か「東京ディズニーランド」が出来てから20年以上が経つ。大学生の僕にとっては「目新しいデートスポット」であったが、ここに集っている大半の人にとっては、「当たり前にあるもの」なんだろう。
息子にとっては尚更だ。(10年もしたらなくなってたりして。笑)
歳を取った訳だ。

本書を見たとき、
「う〜ん、遂にこういう本が出てしまうのか」
と感慨深かった。
本書の主人公は「昭和38年生まれ」、まあ同世代だ。
その主人公が娘のために自分が生まれ育った時代のことを語る…こりゃ、やっぱり感慨深いだろう(笑)。
(少し前に観た「ALWAYS」は昭和33年が舞台だから、「少し上の世代」と思えたが、こっちはそうはいかない)

内容は「小説仕立て」ではあるが、新書らしく、昭和30年代から40年代の世相を偏らずにまとめてある。僕個人の経験と比較すれば、重なるところもあれば、違うところもあるという、まあこんなものだろう。(個人史としては、中学以降、男子校に入り、寮生活をしたことで、同世代の「最大公約数」からは少しズレた感があるのだが、ここでは小学生時代がメインなので、違和感はさほどない)
僕の自転車にも、「速度計」と「風速計」が付いてたしね(笑)。

ただ結論はどうかなぁ。少し「綺麗事」過ぎないか?
あ、でも「娘に語る」だからなぁ。やっぱりこれくらいポジティブな方がいいのか?
まあ先制攻撃しまくる「ウルトラマン」より、ヤッパリ専守防衛の「ウルトラマン」の方がしっくり来るしね。
僕が「息子に語る」としたら、こんな歯が浮くような展開は勘弁して欲しいが、「娘」なら別かも知れん(想像だが)。
良しとしますか(笑)。

(僕が「重松清」の著作を読むのはコレが初めて。かなり幅広い活躍をしている作家だと言うのは知っていたが、これ以上間口を広げるのもどうかなと思って、避けてきたのだ。
しかしこの本じゃ実力は分からんなぁ。読みやすい文章だったから、達者な小説家だとは感じるんだが。
やっぱ、何か読んでみるかな…)

2006/2/18

硝子戸の中  

著者:夏目漱石
出版:岩波文庫
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…と言う訳で、早速「夏目漱石」(笑)。
夏目房之介が一番好きな作品として挙げていて、僕は読んだことがなかったので、買ってみた。ま、随筆だし、薄い(岩波文庫で140ページ足らず)からね。

「硝子戸の中」というのは、この頃、病気がちで家にいることの多い漱石が、家に居ながら色々なことに思いをめぐらせ、執筆するというスタンスからついた題名。
そこに正岡子規の晩年を重ねるのは無理のある想像ではないだろう。そんな記述は一つもないが、この題名を考えたとき、根津の小さな部屋に伏せながら、広大な世間に対峙した子規のことが思い浮かばなかったはずはない。

しかしまあ、漱石と言うのは徹底して「小説家」なんだなぁ、というのが読後の感想。
確かに本書は「随筆」ではあるのだが、取り上げられた題材やその記述はどうしてもドラマチックになってしまう。いや、大したことのない話でも、漱石の筆に掛かると、「短編小説」のような出来栄えになってしまうのだ。
鏡子夫人の「漱石の思い出」で後日談が暴露されているらしい自殺願望の女性の話なんか、後日談を考えれば「笑い話」なのだが、本書の中における「完成度の高さ」は、そうした「事実」そのものを度外視させるくらいのモノになっている。
ラストの締めなんか、なかなか書けるもんじゃないよ。
(もっともその完成度の高さゆえに、随筆としては今ひとつ「近寄りがたい」感じもするのではあるが)

ところで、過去僕が夏目漱石を読むときは「新潮文庫」を選んでいた。最初に買ったのが新潮文庫だったからなのだが(確か「三四郎」。「坊ちゃん」は家にあった選集でよんでいた)、紐のしおり(?)が付いているのと、表紙が渋くて気に入っていたのだ。
ところが久しぶりに手にとってみると、表紙に「絵」が入るようになってるんだなぁ。
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まあ悪くない「絵」ではあるんだけど、ちょっと気分じゃない。
で、今回は「岩波文庫」を買った次第。活版が少し薄くて気になるんだけど、新しく付いた表紙はコッチの方がズッといいからね。
格好で本を選ぶわけじゃないが、存外これは重要な視点です(笑)。

2006/2/17

孫が読む漱石  

著者:夏目房之介
出版:実業之日本社
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「夏目漱石」のことはいつも気になっており、いつかは著作をもう一度読み直したいと思っている。
本書に関しては、少し前の「漱石の孫」が面白かったので、購入した次第。
「血縁関係から見ると、漱石の作品ってどんな感じなんかなぁ」という野次馬根性だ。

ところがのっけから長い「漱石死後の夏目家の状況」「漱石に対する作者のスタンス」等について述べる「プロローグ(吾輩は孫である)」が始まり、「オイオイ」って感じだった。
「君(房之介)のことはいいから、早く漱石(とその作品)のことを話してよ」
という訳だ。
でも良く考えてみると、本書の想定される読者は大半が「漱石ファン」「日本文学ファン」(という括りがいいのかワカランが)だろうから、こういう「前提の説明」は必要なのかもネ。正直言って僕は「夏目房之介」に関しては、「漱石の孫」よりも「マンガ評論家」として自分の中で重きを置いているのでこういうのは「蛇足」に思えたんだけど、多分そういう人は(本書の読者としては)少数派だろう。

ただ実際に読み始めると、この「序章」が意外に効いた。
各作品の批評はかなり本格的で、「なかなかシッカリしてるなぁ」と思わせるのだが、それでも時々漱石のプライベートな面からのアプローチがあって、そこら辺は純粋に「批評」という観点からは「ゆるい」感じもする。
しかしその点を「漱石の孫」に言われると、「まあそうかもな」と思わざるを得ないのだ(笑)。基本の「批評」がちゃんとしているだけに、時々見えるこの「ゆるみ」はナカナカ面白く読むことができた。(挿入されている作者のマンガも同様に「ゆるみ」として楽しい)

本書の価値はやっぱり「漱石の孫が書いた漱石作品批評」と言う所にあるのだろう。その意味では「際物」と整理してもおかしくはない。
でもそこで展開されている批評は(「ゆるみ」の部分も含めて)第三者の批判に耐えうる内容になっていると思う。その点が単なる一族の「思い出」ものとは一線を画しているし、「マンガ批評」の地平を切り開いてきた(大げさ?)夏目房之介の「批評作品」の一つとして成立していると思う。(「明治の知識人の悩みは戦後大衆文化の中で一般化している」という大衆文化との絡みでの位置づけなんか、「マンガ」(特に「少女マンガ」)との比較を通じてかなり説得力があるものとなっている)

いや正直言うと、もっと気楽なモンかと思ってたんだけど、読み始めると意外に重くて、慌てて途中から襟を正したんだけどさ(笑)。

(ついでながら、作者の父、漱石の長男「夏目純一」は面白そうな人物だ。「高等遊民」で一生を終えたらしいこの人物の生涯は、「漱石の息子」という立場からの照射で見ると興味深いんじゃないかと思う。
どうも作者自身そんな風に考えている節があるが(日記を探したりしている)、是非とも何らかの形で作品にして欲しいものだ)

2006/2/16

日本の戦争力  

著者:小川和久(聞き手 坂本衛)
出版:アスコム
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「日本の軍事費(防衛費)はアメリカに次ぐ2番手群に位置していて、既に軍事大国になっている」
という意見をよく耳にする。
まあ「予算」という数字の話だから大筋では間違いのないところなのだろうが、僕が持っている自衛隊のイメージとはどうしても一致しない。大体、現代において空母も持っていないような「軍事力」で「軍事大国」なんて言えるのか、と常々疑問に思ってきた。
本書を書店で見て購入したのは、そうした疑問への答えが載っていることを期待してであった。

期待はあっさり満たされる。
「自衛隊員の給料は世界的にトップクラスで、防衛費の40%以上は人件費。また自衛隊の「戦力」はアメリカ軍とのセットで効力を発揮する特殊なものとなっており(対潜水艦能力と防空戦闘能力が世界トップレベルで、それ以外は「幼稚園」レベル)、トータルでの軍事力としては「海外で戦う能力はなく、専守防衛以上のことは出来ない」。
かなり具体的にそのことが述べられており、納得感がある。まあ僕は兵器や軍隊のことはあんまり良くわからないから誤魔化されているのかもしれないが(笑)、実感としてはそんなトコじゃないかなぁ。
空母を持っていないには、「いない」なりの事情があるわけである。

作者(小川和久氏)については湾岸戦争辺りからテレビでよく見かけるようになり、割と発言が合理的なので、「軍事オタクにしてはマトモやなぁ」と思っていた(失礼!)。
本書についても、やや政府寄りなところは気になるが、合理的・論理的な話し振りは信頼感の持てるものとなっている。まあ「軍事」を(特に日本で)取り上げる場合、ある程度政府寄りになるのは当然のことだし、その中で提言をしていこうという姿勢は、むしろ実際的で評価できることなのかもしれない。
当然、作者は「改憲論者」なのだが、その「改憲」を主張する根拠についても、違和感なく読むことが出来た。

ちょっと「嫌だなぁ」と思ったのは、在日米軍のアメリカ戦略における重要性を説得力をもって示されてしまったこと。
要は在日米軍なくしてはアメリカの覇権はありえない、その在日米軍を支える日本の存在意義は同盟国の中でも飛びぬけている、従ってその点を日本も認識して、堂々とアメリカに対峙すべきだ、ということなんだけど、それは「湾岸戦争」でも「イラク戦争」でもあるいは継続する「テロとの戦争」においても、日本は米軍を支える機能を以って、戦争に参加していた(いる)ということを意味してるんだよネ。
作者の論が具体的かつ説得力に富むだけに、何だか考えさせられてしまった。

そういや、最近、社民党が「自衛隊は違憲である」という主張に切り替えたというニュースを見た。「遅きに失した」という感じだね。
社会党は自社連立の時点で「理念」を捨てたのだと思う。あるいは元々「理念」なんか大してなくて、そのことを正直に表明しただけかもしれないけど、その時点で存在価値を失っていたのだ。
今更それを持ち出してこられても…。

「平和主義」と言うのであれば、本書で作者が述べている「平和主義実現のための改憲」のほうがよっぽど「理想」を語っているように思える。そしてそこには具体性・実現性の裏づけが為されているだけに、「大人の主張」にもなっている。
リアリストはロマンチストに通じるっちゅうことかね(笑)。

2006/2/15

父の詫び状  

著者:向田邦子
出版:文春文庫
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この本を最初に読んだのは、大学時代だったと思う。文章が凄く上手いと思ったのと、話の運びが絶妙で、エッセイでありながら短編小説的な切れがあるなと言うのが、以来本書及び「向田邦子」作品に対する印象となった。山本夏彦の「向田邦子は突然あらわれてほとんど名人である」という評を実感できた。
今回改めて本書を読む気になったのは、帰宅途中に本屋に寄った際、「新装版」として文庫が書棚に並んでいるのを見て突然にだった(写真は「新装版」の前のもの)。多分、少し前に読んだ「文人暴食」の余韻が残っていたのだと思う。

改めて読んで、文章の上手さもキレも、印象の通り。むしろ今回読んで、その作品の持つ深みのようなものをより実感できたように思う。かつて読んだときには決してなかったことだが、読んでいて、フと熱いものが込み上げることさえ何度かあった。(「病院で別れ際の母のお辞儀」「東京大空襲の後のご馳走」「障害者の日本刺繍の職人」「母子家庭の少年が母を亡くした通夜の席で友人の少年に見せた笑顔」…)

本書が取り扱うテーマの半分以上が「家族」のこと、その中でも数年前に死亡した「暴君」であった父親のことがメインとなっている。
10代、20代の時、僕は「家族」に対して複雑な感情を持っていたから(と言うか、多くの10代、20代はそうだろうが)、「上手い」と思いながらも、そのテーマに深く感じ入ることはなかったのだろう(だから正直言ってかつての僕は向田邦子ドラマが苦手であった)。
結婚し、子供も生まれた今、かつてとは違う視線から僕はこの本を読むことができるようになった訳だ。

そして「家族」を描きながらも、そこには「死」の気配が強く漂っている。そのことが本書を強い哀切感に彩られたものにしていると思う。(あとがきによると、書いた時期も影響しているのかもしれない)
加えて、これは作者の意図とは関係ないのだが、いくつかのエッセイで飛行機のことが取り上げられ、墜落への恐怖が揶揄とともに描かれることにより、作者の最期を通じて、そのことが本書に不思議な色合いを帯びさせてもいる。
(ここら辺のことは本書の解説で沢木耕太郎氏がもっと上手くまとめている。この「解説」はなかなかの出来だ)
「家族」に対する視線、「死」(あるいは「別れ」)との近しい距離感、そうしたものが今回読んだとき、かつてとは違う「重み」をもって僕に迫ってきたのだ。
…まあでもこれは「歳をとった」ということだな(笑)。

昨日、ここ数日腫れてきた歯茎の具合を見てもらうために歯医者に行った。
腫れは15年位前に治療した虫歯の後が膿んだためであったが、併せて診てもらったところによると、「虫歯5本」「歯周病になりかけ」「奥歯の根に同様の膿の可能性」…と散々なものだった。
「40歳ですか。まあそういう歳になってきたということですよ」
若い歯科医は晴れやかな笑顔でそう言った。
口をあけて彼を見上げる僕の表情はひどく哀切感に満ちたものだったに違いない。



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