2006/1/17

新訳 茶の本  

「新訳 茶の本  ビギナーズ 日本の思想」

著者:岡倉天心 訳者:大久保喬樹
出版:角川ソフィア文庫
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「これを批判するのは簡単だけどなぁ」というのが一読した感想。

(序章と終章が収められている)「東洋の思想」は、都合の良い「日本中心主義」が「日本ファシズム」への繋がりを想起させるし、「茶の本」にしてもどこまで歴史的な正確性が反映されているのか疑問だ。個々の事象や思想、人物像などを自身の思索に沿った形で並べているのも、あまりにもお手軽な感じ。

こうした批判は真っ当だと思うし、「日本ファシズム」に繋がる思想的背景を構成している点は僕としても強い反発を感じる。思想・哲学としては、右翼の自分本位な戯言を想起させられて薄っぺらな感じすら覚えるくらいだ。(ま、オリジナルはコッチなんだろうけど)

ただ「文学」として捉えると、非常に美しい。特に「茶の本」で提起されている「茶室」のイメージや「花」のあり方などは、その詩的な世界観で思想性を越えて僕の心を捉える。
この本を読んでも「茶道」の作法を会得することは出来ないが、その世界観の一端は詩的イメージとともに手にすることが出来るのではないだろうか(ま、美しい誤解かもしれないが。笑)。
そういう観点からは優れた作品だと思う。

まあ学問としては歴史的事象や思想の系譜は厳格に分析する必要があるが、その一方で日常生活を送る中で、自分を取り巻く「世界」に対して一定の意味づけを行うための個人的「哲学」においては厳格さは時として足枷となってしまう。厳格さを犠牲にしてまでも総体としての構造を優先すべき側面が個人的「哲学」にはあるのではないかと思う。

結局のところ、この作品はそうした個人的「哲学」の表明として捉えるべきなのかもしれない。そう考えると、このような詩的なイメージに満ちた個人的思索を僕は凄く羨ましいと思う。(「日本人」がこういう崇高な思想に支えられていたとはとても思えない。そういう意味でもここに記されているのは「理想」を語る岡倉天心の「個人的思索」でしかないのではないか)
今日のテレビ・新聞を賑わせたライブドアの堀江社長やヒューザーの小嶋社長、宮崎勤なんかのことを考えると、こういう「哲学」の必要性もあるのかなぁ、なんて思ったりもするし。

「日本中心主義」には鼻白んじゃうけどね(笑)。



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