2006/1/13

忘れられた日本人  

著者:宮本常一
出版:岩波文庫
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「古典を読む」シリーズ第一弾(笑)はコレ。
いや、本当は山田風太郎と安野光雅が「無人島に持って行く一冊」に選んだという「即興詩人」(森鷗外)にするつもりで、購入までしたのだが、一ページ目からの文語体に根性なくして、こっちに鞍替えしたのだ(しかし上下二巻、文語体に付き合うにはかなりの覚悟がいるよ。名文なのは良くわかるけどね)。

本書が世評に高いのは知っていたが、「民俗学は何か貧乏臭くてダルイ」ってな感じの偏見に囚われていて(笑)、今まで読んだことがなかった。今回は安野&藤原コンビのお奨めに従って読んでみたのだが、いや読んでビックリ。
無茶苦茶面白かった。

最近、村上龍が「昔が良かったなんて嘘だ。今の方がズッとイイ」といった発言をしばしばしているが、僕も全くの同感。直線的な「進歩」などというものは更々信じていないが、それでも自分の10歳のときと今を比べても、今の方がイイに決まっている。ましてや戦後直後などに戻りたいなどと言う気持ちは全くない。
それでもやはり「変化」(「進歩」ではなく)を享受する中で捨ててきたものはある。その選択そのものは後悔しても仕方がないことだが、捨てたものを忘れ去ってしまうのは、それは違うだろうという気がするのだ。何らかの契機に、捨て去ったものたちを哀惜の念を以って振り返ることには、大きな意味があると思うし、「選択」したものの責務でもある。
そんなことを考えながら、この驚きと楽しみに満ちた本を読んでいた。

個人的には作者の宮本常一が山口県大島の出身と言うのが面白かった。ここは義父の出身地でもあるのだ。そこに生活していた古老の話や、伊予・土佐の農村の話なんかが語られているから、例えば話し言葉(方言)にも何となく馴染みがあり、懐かしくも面白がれたというのもある。
勿論、そこで描かれている「生活」に、僕の「記憶」が被ることはない。それはまさに「忘れられた」風景であり、人情であり、人間のあり方だ。
それでも土地の感覚を通じて、この本は少しだけ僕には近しいものだった。

ま、「古典」と言っても本作の出版は1961年。「即興詩人」なんかに比べれば、随分と最近の作品だ。
それでも確かにこの本には「古典」の風格があると思う。時を置いて、また読んでみたいと言う意味でも。

(「聞き書き」と言えば伊丹十三だが、本作を読んで、伊丹十三はこの本の影響を受けているな、と感じた。博覧強記の伊丹十三、本作を知らないわけはない。
勿論、題材を選び、取捨選択しながら文章に落とすのは作者自身なのだから、そのことが伊丹十三作品の価値を落とすわけではないけどね)

そうそう、アップした写真は通常の岩波文庫のだけど、今回僕が読んだのは「ワイド版」。Amazonに書影がなかったから、已む無く通常版をアップした。
でもワイド版、いいね。字が大きいもん(笑)。
最近、小さい字がチョット辛くなってきてて…。



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