2006/1/10

世にも美しい日本語入門  

著者:安野光雅・藤原正彦
出版:ちくまプリマー新書
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日曜日に妻と息子を空港に迎えに行った際、時間があったので入った本屋で見つけた本。
歳が明けてから読んだ本の作者二人の対談、ということで、深く考えもせずに購入してしまった。

作者二人の関係は、「安野光雅が小学校の教員をしていたときの生徒が藤原正彦」というものらしいが、本書については題材的に藤原正彦がリードをし、安野光雅が補完・付加するような形で展開している。主な骨子は「国家と品格」とかなりの部分で被るので、あまり目新しいものはなかった。

それでも二人が「古典」に対して造詣が深いのには感銘を受けた。
彼ら自身は対談の中で、明治・大正・昭和初期の人々に比して自身の教養のなさを嘆いているが、いやいや、僕にとっては十分、恐れ多い。

少し前、会社のかつての上司(当時は役員であった)と宴席を一緒にした際、上司が出ている経営者向けの勉強会の話になった。会では経営者の最低限の教養の土台として百冊程度の古典の読書を義務付けているらしいが、そのリストで僕が読んでいたのは20冊程度だったのを覚えている。(同席していた同僚は10冊弱だったので、決して僕の読書量が少ない、というわけではなかったようだが)
その20冊も読んだのは大学1,2年まで。以降の僕の読書生活は「古典」とは無縁だったことになる(笑)。

まあこれに関しては思うところもあるし、意図的だった面もあるのだが、一面、僕の読書体験の中で「古典」が軽視されていることは否めない(「何が古典か」という命題はあるが、どのような切り口でも読んでないのは間違いない)。別に経営者になるつもりはないのだが、社会人としての教養と言う側面からも「古典」と向き合う必要があるのでは、とは常々考えている。ま、20歳代で「古典」を読みふけっていると言うのもどうかとは思うが、今の年齢くらいだと、それなりにサマになる気もするしね。(ロシア文学はキツイけど)

と言う訳で、本書を読んで改めて「古典」読書の重要性に目覚めたわけであるが…ナカナカ読めないんだよね、これが。
取りあえずは買って本棚に並べますか…ということで、Amazonに注文しました。
いつ目を通すかは、ま、風次第ということで。



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