2006/1/30

「秘めごと」礼賛  

著者:坂崎重蔵
出版:文春新書
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書店で頭の部分をパラパラ読んだら、谷崎・荷風・乱歩が取り上げられていて、その退廃的趣味の部分にスポットを当ててるような感じだったので、買ってみた。
ところがギッチョンチョン。乱歩以降は、文人たちの不倫・恋愛話に終始する内容であった。まあ「秘めごと」と言うと一般的にはそっちのイメージが大きいんだろうから「看板に偽りあり」とは言わないけど、ちょっと思惑外れではある。

でもそういう点を外せば、斉藤茂吉、吉行淳之介、依田学海、川田順(「老いらくの恋」の始め)、徳田秋声、武田泰淳・百合子、伊藤聖、向田邦子等々の「秘めごと」がまとめられており、野次馬根性は満たしてくれる。もっとも(作者も言ってる通り)これらのことは公表されているから知れていることであり、その意味では純粋な「秘めごと」とは言えないわけではあるが・・・。
(向田邦子は違うかな。彼女の場合、死去は不慮の事故によるものであり、相手はその時点で既に死去していたため、「秘めごと」は「秘めごと」として消え去る可能性が高かった。遺品を整理していた妹が公表したから表沙汰になったわけである)

まあどうですかね。僕から見ると「みんなエネルギーあるなぁ」と感心するばかりなのだが(笑)。
ただ「変装して街を徘徊する」という谷崎・荷風・乱歩の線には面白味を感じるので(女装までは食指が動かないが)、僕の中にも「秘めごと」に対する興味がないわけではなさそうだ。こっちの方をもう少し詳らかにしてくれたらなぁという気持ちが未だにしている。(ただ谷崎・乱歩あたりは作品の割には常識人だったらしいから、突っ込んでも面白味はないかもしれない。いずれにせよ、文人にとっては作品が全てではあるのだろう)
勿論、やるかどうかは別問題(笑)。

2006/1/30

Good Day, Bad Day  雑感

昨日は横浜(みなとみらい)に買い物に行った。
増え続けるトーマスのガチャポンを入れていた箱が一杯になってしまったので、収納用の入れ物を物色に行ったのだ。まあ横浜まで遠征する必要はなかったのだが、先々週末は息子の風邪(+脱水症状)、先週末は積雪のために遠出ができなかったので、その埋め合わせのつもりもあった。

往きも帰りもさしたる渋滞には捉まらず、買い物もまあまあ納得のいくものを見つけることができたので、上々の横浜行きだった。買い物の後、赤レンガ倉庫の広場を散歩したのだが、何故か逃げ出していたウサギを追いかけ、息子も楽しそうだったし。

暗雲垂れ込め始めたのは帰りの車中。
ここ数日、頭痛を訴えることがあった妻が、「歯痛」に襲われたのだ。結局、休日の夜間も開いている近所の歯医者に行くことにして、携帯で予約をしたのだが、今度は僕が「腹痛」に。家に帰って、僕がトイレ通いをする間に息子に夕食を取らせ、その後僕が息子を風呂に入れている間に、妻は歯医者に向かった。
一番懸念していたのは、風呂上りに妻がいないことに気づいた息子が騒ぎ出すことだったが、この点は杞憂。風呂上り、ちょっと探す素振りを見せたが、特段泣くでもなく、後は機嫌よく玩具で遊び、時々僕がトイレに消えても平気な感じで、助かった。
帰宅後、妻の報告によると、かなりの炎症を起こしていたらしく、「頭痛」もその影響の公算が大きいとのこと。僕の「腹痛」は相変わらずだったが、最大のヤマは越えた感じだったので、ホッと一息、息子を寝かしつけようとしたら、今度は息子が「嘔吐」。
一旦寝かけたのが、咳で目を覚まし、そのとき妻が傍にいないことから泣き出したのだが、その際にむせ込んだ勢いで吐いてしまったのだ。
息子を抱えていた僕は嘔吐にまみれ、風呂に入っていた妻が慌てて出てきて交替したのだが、また咳き込んで、今度は妻が…。
結局、寝かしつけるまでにもう一度吐いて(これも咳き込んだ拍子に、飲んだばかりの母乳が出たもの)、服を着替えたり、シーツを替えたり、畳を拭いたりの大騒ぎだった。
風邪の調子は随分とよくなってきてたんだけど、咳が残ってたのが拙かった。まあ吐いた後も調子が悪い様子は全くなかったので、大事はないとは思うのだが・・・。
息子が寝入ってくれたのは、12時くらい。その後、僕はまたビッグウェイブに見舞われ、30分ほどトイレに籠もることとなった。

いやはや何ともアップ・ダウンの激しい一日であった。

(今日帰ったら、一日何事もなく、機嫌よく過ごしたとのコト。ま、安心、安心)

2006/1/28

「あんぱん」と「ゴー」  雑感

さて、トットコトーと歩き出した息子であるが、次の成長段階の楽しみは、やはり「言葉」であろう。
すでに「ワンワン」(犬)、「ブー」(車)あたりは結構前から連発している。きっちり単語になってるのは「ゾウ(象)」かな。「あれ」「これ」あたりも、用法は若干不正確ながらも、利用頻度の高い言葉だ。

これらに加えて、ここ一週間くらいで明らかに発言頻度が高くなったのが、「あんぱん」と「ゴー」。
ま、「あんぱん」は言わずと知れた「アンパンマン」である。我が家ではテレビも見せていないし、「アンパンマン」の絵本なんかも買っていないのだが、いつの間にやら息子の脳裏に滑り込んできたらしい。
恐るべき、アンパンマン。(と言うか、色んなところにポスターなんかがあって、色が派手なので息子が指差していたのに、「アンパンマンだよ」と答えていたのが原因だろう。しかし「知らない」っていうのも、ネェ)

「ゴー」の方は、機関車トーマスの仲間「ゴードン」のこと。
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「トーマス」や「パーシー」あたりから入るなら分かるのだが、何故オジン臭い「ゴードン」から入るのか?
絵本なんかを読んでいると、どうも息子は「トップハム・ハット卿」も気に入っているらしいので、この手の渋いキャラが息子の興味を惹くのかもしれない。
ま、それはそれでド・メジャー行くよりはオイシイかなぁ、などと親バカ振りをまたもや発揮している今日この頃です。
(あ、でも「アンパンマン」ではジャムおじさんには興味なしだなぁ。う〜ん、どこら辺に基準があるんやろ?)

2006/1/27

週刊誌風雲録  

著者:高橋呉郎
出版:文春新書
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週刊誌をあまり読むほうではないと思う。
定期的に購入している雑誌はないし、買うのは通勤途中で手持ちの本を読み終えちゃったときくらいかな。その場合は新聞広告か、車内の吊り広告で記憶に残っているものを買っている。「買うならこの週刊誌」ということも全くない。

だから本書を購入したのも「週刊誌」に興味があって、というわけではない。ただ一つのジャンルが勃興するときと言うのは猥雑なエネルギーに満ち溢れていて、濃厚な人間関係が展開されるということがあるので(そのスケールの大きいのが「戦国」や「幕末」かもしんない)、そういう意味じゃ面白そうかな、と思って購入しただけだ。
それに「風雲録」って、何か面白そうジャン(笑)。

本書で取り上げられているのは昭和32年から昭和36年の、わずか5年程度。エピローグには「ロス疑惑」に触れている部分もあるから50年代にも言及はあるんだけど、あくまでも主眼はこの30年代の5年間であり、従って僕が生まれる前の話、ということになる(笑)。
その間に発刊される複数の週刊誌(「週間朝日」「週間新潮」「アサヒ芸能」「週間明星」「週間文春」「週間現代」「女性自身」「週間平凡」)が取り上げられていて、それぞれ興味深いが、本書の低音部を成しているのは「草柳大蔵」と「梶山季之」という二人の大物ライター。基本的に彼らからの距離感からそれぞれの週刊誌のスタイルが測られていると言ってもいいと思う。
(文章のスタイルは、時折主観(と言うより自分の経験談)を交えながらも、極力事実に即した記述を心がけるというもので、読みやすいものだった。「記事を書くのにどういうスタイルを取るか」というのも本書の視点の一つだから、その意味でもここら辺には作者の主張があるのだろう)

まあ「かなり面白い時代だったんだなぁ」(なんせ「150万部」売れる雑誌もあったようだから)とは思うが、一方で現在においては「このジャンルは滅びつつあるのだな」とも感じさせられる。「スクープ第一主義」は短期的には雑誌の隆盛に寄与したが、長期的にはその衰退を招いたと言えるんじゃないだろうか。
それがジャンルとしての寿命だ、と言うことなのかもしれないが…。

2006/1/26

氷川清話  

著者:勝海舟  編者:江藤淳、松浦玲
出版:講談社学術文庫
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「武士道」と「シャーロック・ホームズの冒険」を読んで、「明治時代の口語体はどんな感じだったのかな?」とフと思い、この本のことを思い出して、本屋で立ち読みした。
そしたら面白いの、何の。
即決で購入して、楽しく読ませてもらった。
(ちなみに口語体は、殆ど違和感なく読める。中で海舟が書いた文章(勿論、文語体)が出てくるところがあるんだけど、これはかなり難解だったから、「話し言葉」の面では現代と大きく変わらなくても、「書き言葉」は(ハングル語ほどじゃなくても)決定的に変革したということだろう。「言文一致運動」の「大きさ」を痛感した)

僕は子母澤寛の海舟の小説(「父子鷹」等)も読んでるし、司馬遼太郎の幕末小説でも海舟は外せない登場人物の一人だから、出てくるエピソードは結構知っているものが多かったが、それでも海舟の語り口で読む幕末・明治の姿はかなり面白かった。
時事的なことにも臆せず言いたい放題という感じも、なかなかキャラ的にあっていて楽しい。「人生訓」みたいなものも多くて、内容はそんな突飛なモンでもないんだけど(「要するに、処世の秘訣は誠の一字だ」、とかね)、海舟みたいな経歴の人に言われちゃうと、反発の仕様がないわな(笑)。

本書は流布されてきた吉本襄・編の「氷川清話」を徹底的に洗い直し(かなり吉本版「氷川清話」はリライトされた部分があるらしい)、海舟の談話に近い形に戻したもの。頻繁に時局に苦言を呈しているあたりは、その過程で復元されたものらしい。
その努力と労力には頭が下がる思いだが、前書きや解説でちょっとそこらへんを自慢しすぎかな(笑)。「吉本襄がトンでもないヤツだ」というのは分かるけど、ここまで言わなくてもって感じがするしね。
ま、ただ本書以降、「氷川清話」についてはこの形が「定番」となるのは間違いないだろう。

2006/1/24

シャーロック・ホームズの冒険  

著者:アーサー・コナン・ドイル  訳者:日暮雅通
出版:光文社文庫
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ホームズを初めて読んだのは小学3,4年の頃、多分ポプラ社の児童向けシリーズでだった。その後、中学生のときに大人向け(っちゅうのもオカシイけど)の訳書で一通り読み直し、大学時代にも読んだ覚えがある。
児童シリーズでは乱歩、ルパンも同時期に読んだが、当時の僕の評価では「ホームズ」が一番低かった。(と言うか、他の2シリーズが無茶苦茶好きだったからねぇ)

数年前にホームズ、ルパン、乱歩を読み直す機会があったのだが、その時の評価は小学生時代とは全く変わっていた。シリーズとしては「ホームズ」が一番で、乱歩に関しては「作品によってバラつきがある」、ルパンは「ロマン小説風で冗長すぎる」ってな感じだ。
個人的にはルパンに「冒険小説」として高いイメージを持っていたので、ちょっと意外な感じだった。(キャラとしては未だにルパンが一番だけど)

今回の作品は新訳による文庫全集の第一弾。ちょうど読み直したい気分だったので、揃えてみるつもりで購入したものだ。訳が新しいというのもあるけど、「ルパン」や最近読んだ「武士道」(矢内原氏訳)なんかに比べると、文章がかなりシャープな感じがする。まあ「探偵」というのは存在そのものが「近代的」だから、この簡潔な文章はそういう点を反映している面もあるんだろう。
もっとも話によってはバックボーンがゴシックロマン風のものもあって、これは鼻白むところもある。短編だからそこら辺があまり表に出ないんだけど、これが長編になるとダルくなるはずなんだよね、僕の記憶じゃ。
(推理のネタは結構素朴な感じ。ただ僕自身は本格推理小説でも、推理の内容・厳密さよりも、読み物としての出来を評価するので、そういう点は今読んでも気にならない。まあ推理については、小学校の頃から「ちょっと乱暴じゃねぇの」と思ってたからね。笑)

ま、次の作品は「4月刊行」ということだから、ボチボチ読んでいきましょう。

2006/1/23

哀れ、塀の中。  雑感

逮捕されちゃいましたね、ホリエモン。

まあ私的にも公的にもライブドアとも堀江氏とも接点はないんだけだ、ちょっと感慨はあるかな。ここ数年、色んな意味で楽しませてくれた人ではあるからねぇ(笑)。

今後の懸念としては、「他のIT関連企業への波及」「株価への影響」「小泉政権への影響」といったところだけど、小泉政権はともかく、他の二つはそれほど大きくはないんじゃないかと思う。まあ似たようなことをやってた企業はあるんだろうけど、ライブドアほど徹底的なのは少ないだろう。考えてみれば、ソフトバンクや楽天に比べて、ライブドアの「本業」のイメージって薄いモンね。
「これが新しい企業の姿かな」と思わせておいて、結局は「本業が虚業だった」ということかいね。(フジテレビを狙ったのも、政治家を目指したのも、所詮は「実業」を求めたのか…なんてマトメると侘しくなっちゃうなぁ)
「虚業」に乗っかった投資家(個人投資家も含む)は冷や水を浴びせられた感もあるだろうけど、結局「株」ってこういうものなんだろう。その本質(企業の場合は事業のウェイトが大きい)から乖離しすぎた事象にはいずれゆり戻しがやってくる、と。

前も書いたけど、僕はホリエモンが既得権益層の醜態を炙り出してくれたことは評価してもいいと思う。ただまあ、あまり褒められた末路(というには早いが)ではないな、今回のは。もし容疑が事実だとしたら、「既存の制度の裏をかく」=「既存の制度を利用する」という点では、既得権益者の一変種でしかなかった、ということだからね。

まあ「虚業によって得た利益を失う」ということなんだから、あまり同情は必要はないだろう。また必要以上に責める必要もない。
今のマスコミの叩き様を見ていると、必要以上に責めることで何かから目をそらさせようとする向きがあるようにも邪推できるし…。
「これはこれで終り」でいいんじゃないかと、個人的には思っております。

2006/1/22

子供は風の子?  雑感

今日は晴れたが、昨日からの雪は昼前になっても融けず、日陰では相変わらず10センチ近い積雪が残ったままだった。お蔭で僕の愛車も雪の中。
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ただ雪は止み、気温も上がってきたので、息子に雪遊びをさせてやろうと、中庭兼駐車場に連れ出した。
歩けるようになってからは、勿論初の積雪。同じマンションの子供たちも外へ出て、雪達磨を作ったり、雪合戦したり、車の除雪の手伝いをしたり…
まあ、そこまでのことは無理だが、雪合戦の真似事くらいはしてみたいと思ったのだ。

ところが連れ出したものの、どうも様子が違う。さっきまで部屋の中で大騒ぎしていたのに、パッタリと口をつぐみ、表情も心なしか強張っているような…
「まあ初体験だからな」
取り敢えず慣れさせようと、抱えていたのを下ろしてみる。ヨタヨタと歩きはするものの、どうも月面歩行のようなスローモーな動きでギコチない。
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「ほら、これが雪だよ」
車の屋根に積もっていた雪を手に取り、息子の手に握らせようとした。
途端…

「ワーーーーーーン!!!!!」

いきなり泣き出し、しがみついて来た。
以降、宥めすかしても効果はなく、両手で足にしがみついたまま離れようとしない。

どうもわが息子は「寒い」のも「冷たい」のも駄目らしい。
「子供は風の子」と言うが…。

結局、雪の上に自分で立っていたのは5分足らず、早々に部屋に舞い戻ることとなってしまいました。

2006/1/21

武士道  

著者:新渡戸稲造  訳者:矢内原忠雄
出版:岩波文庫
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まず感想の第一は、
「字が小さい」。
第二は、
「訳が古臭くて、難しい」。

まあ「ラストサムライ」の後押しもあって、「武士道」の新訳は沢山出ている(最近また文庫が出ていた)のは分かっていて、「まあそれでも「古典」っぽい感じで読みたいから岩波がいいかぁ」と選んだのは僕自身なので、文句言う筋合いじゃないんだけどね(笑)。
しかしそれにしても訳が古くて難渋した。
74年に改版した際の訳者の言葉に、
「この機会に全体を現代口語体に改めて今日の読者に読みやすいようにすることも考えたが、それは本訳書の調子をあまりに崩すことになり、それによって得ることよりも失うところの方が一層大きいことをおそれ、(中略)改変の手を加えることをしなかった」
とあったが、何度、
「手を抜くなよ!」
と訳者の「怠慢」を責めたことか。いや、自業自得なんだけどさ。
(ちなみに今、「シャーロック・ホームズの冒険」の新訳本を読んでるんだけど、「武士道」の出版が「1899年」、「ボヘミアの醜聞」が「1891年」だから、両書は同時代の作品となる。でも「シャーロック・ホームズ」の方が百倍読みやすい!!)

内容的には思ってるよりも復古調じゃなかったな。結構「武士道」の限界や、その行き過ぎなんかも指摘しているしね。
勿論、「茶の本」と同様に、本書も「学術書」ではなく、「自分の考え」を述べたものに近いので、取り上げられている題材の歴史的正確性には疑問符もあったけど、まあそれは本作の傷にはなるまい。外人に分かりやすいように、具体的な例も豊富に取り上げられていて、(訳には苦労したが)読み物として面白く読むことが出来た。
もっとも、コレが日本人の根本理念としてある、というのはどうかな。むしろ「理想論」「理想像」と考えた方がいいんじゃないかなぁ。そしてその立場から、「武士道」を見直すというのは(藤原正彦氏の指摘どおり)現代日本にとって意味のあることだと思う。

ただもう一つ考えなければいけないのは、「武士道」を掲げながらも日本は第二次世界大戦で破綻をしたということだ。勿論、すでに新渡戸稲造自身が予見しているように、それは(本当の意味での)「武士道」が衰退あるいは曲解されたことによるのかもしれない(新渡戸氏の説く「武士道」には「平和主義」的な側面も強い)。
ただ曲りなりにも成功した「明治」と、破綻へ向かった「昭和」(戦前)との差は何なのか、問い続けることは必要だと思う。

例えば僕はその一つに「うしろめたさ」があるんじゃないかと思う。
即ち「明治」を作り上げた人々には、維新への自負とともに、例えば徳川幕府への、例えば先に死んでいった志士たちへの「うしろめたさ」があり、そのことが彼ら自身を律していたのではないか、と。
その「うしろめたさ」から解放されたことで、暴走し、破綻したのが「戦前の昭和」だとしたら、その「戦前の昭和」に対する「うしろめたさ」から身を律し、復興を成し遂げたのが「戦後の昭和」なんじゃないだろうか。

だとしたらその「うしろめたさ」を忘れつつある「今」は結構危ないんじゃないかなぁ…
なんてことを考えたりもしたわけである。

2006/1/21

なべて世はこともなし。  雑感

朝起きたら雪が積もっていた。

この冬は多分一回くらい薄っすらと積もったことがあったけど、ちゃんと「積雪」と言えるような状況になったのは多分初めてだ。しかも一日中、しんしんと雪は降り続け、10センチ前後の積雪にはなったんじゃないかと思う。

ノーマルタイヤしか装備していないので、雪が積もったら僕の車は動かせない。まあ多少なら大丈夫なのは分かっているが、万が一を考え、息子を乗せては走らないことに決めている。
と言う訳で、今日は一日、マンションに籠もって、息子と遊んでいた。雪がやんだら外に連れて行ってやろうと思ってたんだけど、結局終日降り通しだったからね。

遊んだ内容は「積木崩し」…ならぬ「積木片付け」。
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出産祝いで友人から貰った木製の積木(すべてが同じサイズの立方体)を一度箱から出し、それを箱に詰め込むと言う遊び(?)。今までこんな遊びをしてなかったと思うんだけど、延々これを2時間くらいやっていた。
どうも「終り」になるのが嫌らしく、あと一つか二つで全て収め終わる、という段階になると、また箱から積木を放り出して、一から詰め始めるという、自主的「シシュポスの神話」状態(笑)。
途中までは僕も手伝って詰めていたのだが、余りの虚しさに、横で積木で塔を作り始めた。ところが片付ける積木が手元からなくなると、積木を求めて、敢然として息子は僕の「作品」を壊しにやってくるため、醜い親子の争いが…。

ライブドア問題やら偽装建築問題、米国産牛肉輸入問題等々、僕だって仕事では小さいながらも悩みの一つや二つは抱えているのだが、まあ、何かそういうのもどうでもいいかなぁ、などと思いつつ…
小市民的な冬の一日が暮れていきました。



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