2005/11/26

戦後史  

著者:中村政則
出版:岩波新書
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「教科書問題」(これも「家永裁判」から「つくる会」まで幅広いけど)なんかのニュースを見るといつも違和感を感じる。その中心にあるのは、
「学校で昭和の歴史なんかならった覚えないぞ」
という思いだ。実際、小・中・高とまともに昭和史を教えてもらった覚えはないし、「南京大虐殺」なんかの「自虐史観」とやらを押し付けられた記憶もない。僕だけじゃなくて、ここら辺は僕の周りには同じ経験を共有している人が多い。
まあ歴史認識の問題とやらがあるからマトモに教えられないと言うのもあるんだろうけど、だったら「教育現場で云々」なんて言わなきゃいいのに。

僕自身は「明治維新」から「大正」くらいまでは大学時代、第二次大戦前後の昭和史については20代の後半から30代の中盤くらいにかけて興味を持ち、ボツボツと関連書を読んできたつもりだ。(まあ卒論が「東京裁判」なんで、戦後処理に関しては別して10代後半から20代前半に当たっていたが)
ただ高度成長以降の現代史に興味を持ち始めたのは、ここ数年のことで、経済人の「伝記小説」(城山三郎とかのね)を読んだりし始めていたんだけど、こういう感じで出来事の一覧をしたものを読んだのは、考えてみれば初めてのことだ。そういう意味で参考になったし、自分の考えをまとめる役にも立ったように思う。

まあ、「岩波新書」だからねぇ(笑)。それなりの「色」はあるんだけど、それは頭に置いて読めばいいことだし、それほど思想色が前面に出た内容でもないように思う。むしろよくここまでコンパクトにまとめたなぁと感心したくらいだ。

ただ最後に話が「護憲」につながるんだけど、ここはチョット飛躍があるように思う。本書の流れで行くと、むしろ憲法を再度国民の議論の場に持ち出し、「戦争放棄」を改めて国民の総意として位置づけるべきだという方が自然な気がするんだが。
「憲法」があって国民の総意が位置づけられるんじゃなく、国民の総意の上に「憲法」があるべきなんじゃないかなぁ。
(そういう意味では、僕は左派は昭和史の中で大きな戦略ミスをしていると思っている。戦争の記憶が国民多数の中で鮮明なうちに「改憲」論議を起こし、改めて「戦争放棄」を位置づける作業をすべきだったんじゃなかったのかな。
「護憲」一本やりでこられても、現在の憲法が米国主導で成立していることは確かだし、文章的にも古臭くなりすぎているんじゃないかね)

まあどうやら「改憲」問題は具体的に政治問題として浮上してきているようだから、いずれ議論が沸騰するでしょう。その際、「護憲」「改憲」の「形」でやりあうのではなく、その根本に置く「理念」をどうすべきか、で議論がなされることを期待したい。
その中で自分自身の意見を如何に立ち上げるかという点においても、本書は参考になる一冊だったと思う。



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