2005/11/30

都会人のココロエ  雑感

今日、丸の内の事務所の近くを歩いていると、カメラを抱えた一群に遭遇した。
「カメラ」と言っても、デジカメや使い捨てカメラではない。あのデッカイ「テレビカメラ」である。
人数は20名くらい、よく見るとアナウンサーらしき女性もいる。(男もいたかもしれんが、そいつらは丸の内界隈のサラリーマンに埋没していたのであろう)

「何事や?」

好奇心が一気に盛り上がる。
カメラマンはどうやらとあるビルに入る車を狙っているらしく、黒塗りのデッカイ車がやってくると、その車内にレンズを向けている。

「むむむ…ダレゾが逮捕でもされたか?」

車の後部座席で無表情に座っているノーネクタイの容疑者の姿が脳裏に浮かぶ。

この間、約10秒。
しかし「都会人」である僕の歩みは全く乱れない。
おそらく表情も殆ど変わらず、集まった集団の横を通り抜ける際も、チラリと一瞥をくれただけで、歩む速度も全く変えずに僕は事務所に向かった。

「何や、何があったんや!?」

事務所に入り、自分の席に着いた僕はパソコンを駆動し、インターネットのニュースサイトを開いた。
集団が陣取っていたのは「みずほグループ」のビルの前。
最近、かの「中山素平」が死去したが、今更マスコミがみずほに陣取る理由はないだろうし…。

ザッと目を通していて、ふと気づく。
「楽天とTBS和解」
確か仲介した銀行は…。

「楽天とTBS」の話も、「ライブドアとフジテレビ」の話も、僕には全く関係ないし、興味もない。大体、個人資産を何百億も持っとるヤロウが何しようが知ったことか!

僕は表情一つ変えず、パソコンの電源をオフにした。

「都会人」たるもの、斯くも立ち居振る舞いに気を使っているものである。

2005/11/29

水曜の朝、午前三時  

著者:蓮見圭一
出版:新潮文庫
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「恋愛小説」なんだけど、「恋愛」以外のところの方が気になり、読後感にも強く残っている。

万博の時代風景、病院のがんに侵された子供たち、自らの死期、差別、唐突な「死」…

何だか「恋愛」の部分はそれらを引き出すための舞台装置のような気がするし、案外作者自身もそんな風に考えているのかもしれない。少なくとも、「死」と「差別」は本書の中では重低音として常にストーリーを支えつつ、読者に対して提示されている。
その意味は決して軽くない。

まあ作品としても良く出来ていると思う。
プロローグとエピローグで「現在」の「僕」が出てきて、本編となる「死んだ女性のモノローグ」を挟むという構成で、モノローグそのものの押し付けがましさが緩和されているし、ある種相対化もしている。ここら辺は「腕」かな。
「あっさりしすぎている」と思う人もいるかもしれないが、ラストも結構僕は好きだ。
「ここまで想ってるんなら、もう一歩踏み込んでも良かったんじゃ…」
とも思うけどね(笑)。

それにしても、この題名で思ったこと。
アート・ガーファンクルは立ち直れるのだろうか?

2005/11/29

ヤンチャが大人になって…  音楽

ジャズボーカルが最近益々好きになっている。
男性ならシナトラ、ナット・キング・コール、メル・トーメ、サッチモ…。
女性ボーカルだと、ジュリー・ロンドン、アニタ・オディ、ドリス・ディ、ビリィ・ホリディ、サラ・ヴォーン、エラ・フィッツジェラルド…。
(勿論、綾戸智絵なんかもいい)

スタンダードをジャズヴォーカルで聴くと、何となく「大人の余裕」みたいな気分が出てきて落ち着くから、寝る前のひと時を一緒に過ごすことが多い。(これでブランデーグラスなんか傾けた日にゃ…)
勿論、ビリ・ホリディのように、その裏側に真摯なものがヒシヒシと感じられるものも多いのだが、それすらも時代の流れを経ると、センチメンタリズムに侵食されているのかもしれない。

最近の作品ではロッド・スチュアートの「グレート・アメリカン・ソングブック」シリーズを良く聴いている。
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シナトラのような安定感には欠けるかもしれないが、醸し出すセクシィさではナカナカいいとこ行っている。まあ、何てったって「Da ya Think I'm Sexy?」だから(笑)。

しかし敢えて言えば、「vol.4」ってぇのはどうかね。
1作、2作なら「お遊び」とも言えるんだけど、ここまで来ると「本気(鞍替え)」もしくは「商売」という感じになってくる。実際売れているらしいから、コマーシャル・ベースには完全に乗ってるだろうしね。

しかし「ロッド・スチュアート」!
何となく「ロック小僧」でいて欲しい気がするんだよね。まあ昔からバラードが良かったし、年齢のとり方としては悪くないのかもしれないけど…。

こういうのって、「安住」って感じがするんだけど、それでいいの?
などと、「Cheek to Cheek」を聴きながら、呟いております。

2005/11/28

丸山真男の時代  

「丸山真男の時代 大学・知識人・ジャーナリズム」

著者:竹内洋
出版:中公新書
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「戦後史」を読んでいて、自分の卒論が「東京裁判」だったのを思い出した。丸山真男の「現代政治の思想と行動」を読んで、そのシャープな論理と、それを裏打ちする「倫理観」のようなものに感銘を受け、その影響をモロに受けて書き上げたものだ。
そういう意味では「論文」というより、「エッセイ」まがいのモンだったような気がするなぁ(笑)。ああいうので卒業できちゃうところが「バブルの時代」っちゅうか、何ちゅうか…。
ま、そんなコト考えてるときに、本屋でフと目に付き、買ってしまったのが本書である。

でもコレを読むと当時の自分がアナクロに見えてしまう。
なんせ、丸山真男が東大教授を辞したのが「1971年」。死亡したのが96年だから、僕が大学時代に存命だったのは確かだが、すでに時事的な発言は殆どされなくなっていて、社会的影響力は安保時代に比べて極端に低下していた。
本書でその経緯を精緻に追っているが、僕が丸山真男の著作を読んでいたのは、全共闘との対決によって丸山真男が批判に晒され、進歩的知識人としての「覇権」を失って、随分経ってからのことなのだ。

「丸山真男」だけじゃなくて、「ジャズ」を聴いたり、「演劇」を小劇場で見たり、あるいは「映画」を観ることさえも、80年代中旬から後半のあの頃に僕が時間を費やしていたことの大半は「アナクロニズム」の範疇と言われても仕方がないかもしれない。
結構、チャラチャラ過ごしてたんだけどさ(笑)。

ただまあ、「丸山真男」に関しては、彼が時事的存在でなくなったことで、思想的な面倒臭さ抜きで作品が読めるようになっていた、というのはあるかもね。それにヤッパリ彼以降の政治学者、あるいは「知識人」は小粒にしか見えない。
「最後の普遍的(=「なんでも知ってる」)知識人」ということだろうか。

何だか読み終えて、丸山真男の作品を読みたくなった。
確か田舎に「現代政治の思想と行動」は置いてあるはずだから、正月に帰省した際にでもピックアップしようかなぁ。


2005/11/27

意味がなければスイングはない  

著者:村上春樹
出版:文藝春秋
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村上春樹が音楽について語った文章が好きだ。

かつてほどの熱心な読者ではないが、それでも村上春樹については新作が出れば必ず読むし、旧作を読み返すことも多い。そんな彼の作品の中で一番読み返すことが多いのが、(「羊をめぐる冒険」でも「世界の終り〜」でもなく)「ポートレイト・イン・ジャズ」だ。(ちなみに本作についてはハードカバーと文庫を持っていて、家ではハードカバーを、出先では文庫を読んだりしている)
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和田誠の絵がいいんだけど、それ以上に村上春樹の文章がイイ。時にセンチに、美しく、「こういう風に書かれたら、聴かざるをえんやろう」と思わされ、随分CDを買い込んだもんである。
まあ村上春樹の最良の部分が「小説」にあるのは勿論だが、偏愛的には「ポートレイト・イン・ジャズ」は僕に結構影響を与えていると思う。

「ポートレイト〜」については真正面、音楽(=ジャズ)を取り上げた作品だが、それ以外にも小説やエッセイでチョコチョコ音楽に関する記述が村上春樹にはあり、そのいずれもが僕にとっては「いい感じ」だった。それだけに今回の新作が音楽に関するエッセイだと知って、発売前からちょっと楽しみだった。

読んでみて、一つ一つが結構長い(30ページ前後)のに驚いた(「ポートレイト〜」のように素描的なエッセイがまとまっているのかと思っていたので)が、予想違わず読ませてくれる。結局、今日一日で読み上げてしまった。

取り上げられている音楽家は、
・シダー・ウォルトン
・ブライアン・ウィルソン
・シューベルト
・スタン・ゲッツ
・ブルース・スプリングスティーン
・ゼルキンとルーヴィンシュタイン
・ウィントン・マルサリス
・スガシカオ
・フランシス・プーランク
・ウディー・ガスリー
このうち「プーランク」は全然知らず、「シダー・ウォルトン」と「ウディー・ガスリー」は辛うじて名前はってとこだが、文章そのものはどれも楽しませてくれる。
個人的には「ブライアン・ウィルソン」「ゲッツ」「スプリングスティーン」あたりに出てくる表現に「ニヤリ」って感じかな。「マルサリス」に関する章の終盤で「ジャズ」に関して語っている文章もいい。

「あとがき」によると、今後もこんな感じの作品が出ることは期待してもいいようだ。
村上春樹の小説に対して、僕はもう以前のような親密感は抱けないと思うが、こういう風に彼の語りを聞くことができるのは、ナカナカうれしい事である。

いやぁ、それにしても「スガシカオ」をこんなに評価してるとは思わなかったなぁ。

2005/11/26

戦後史  

著者:中村政則
出版:岩波新書
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「教科書問題」(これも「家永裁判」から「つくる会」まで幅広いけど)なんかのニュースを見るといつも違和感を感じる。その中心にあるのは、
「学校で昭和の歴史なんかならった覚えないぞ」
という思いだ。実際、小・中・高とまともに昭和史を教えてもらった覚えはないし、「南京大虐殺」なんかの「自虐史観」とやらを押し付けられた記憶もない。僕だけじゃなくて、ここら辺は僕の周りには同じ経験を共有している人が多い。
まあ歴史認識の問題とやらがあるからマトモに教えられないと言うのもあるんだろうけど、だったら「教育現場で云々」なんて言わなきゃいいのに。

僕自身は「明治維新」から「大正」くらいまでは大学時代、第二次大戦前後の昭和史については20代の後半から30代の中盤くらいにかけて興味を持ち、ボツボツと関連書を読んできたつもりだ。(まあ卒論が「東京裁判」なんで、戦後処理に関しては別して10代後半から20代前半に当たっていたが)
ただ高度成長以降の現代史に興味を持ち始めたのは、ここ数年のことで、経済人の「伝記小説」(城山三郎とかのね)を読んだりし始めていたんだけど、こういう感じで出来事の一覧をしたものを読んだのは、考えてみれば初めてのことだ。そういう意味で参考になったし、自分の考えをまとめる役にも立ったように思う。

まあ、「岩波新書」だからねぇ(笑)。それなりの「色」はあるんだけど、それは頭に置いて読めばいいことだし、それほど思想色が前面に出た内容でもないように思う。むしろよくここまでコンパクトにまとめたなぁと感心したくらいだ。

ただ最後に話が「護憲」につながるんだけど、ここはチョット飛躍があるように思う。本書の流れで行くと、むしろ憲法を再度国民の議論の場に持ち出し、「戦争放棄」を改めて国民の総意として位置づけるべきだという方が自然な気がするんだが。
「憲法」があって国民の総意が位置づけられるんじゃなく、国民の総意の上に「憲法」があるべきなんじゃないかなぁ。
(そういう意味では、僕は左派は昭和史の中で大きな戦略ミスをしていると思っている。戦争の記憶が国民多数の中で鮮明なうちに「改憲」論議を起こし、改めて「戦争放棄」を位置づける作業をすべきだったんじゃなかったのかな。
「護憲」一本やりでこられても、現在の憲法が米国主導で成立していることは確かだし、文章的にも古臭くなりすぎているんじゃないかね)

まあどうやら「改憲」問題は具体的に政治問題として浮上してきているようだから、いずれ議論が沸騰するでしょう。その際、「護憲」「改憲」の「形」でやりあうのではなく、その根本に置く「理念」をどうすべきか、で議論がなされることを期待したい。
その中で自分自身の意見を如何に立ち上げるかという点においても、本書は参考になる一冊だったと思う。

2005/11/23

ネコソギラジカル<上・中・下>  

「ネコソギラジカル(上)十三階段」
「ネコソギラジカル(中)赤き征裁VS橙なる種」
「ネコソギラジカル(下)青色サヴァンと戯言使い」

著者:西尾維新
出版:講談社NOVELS
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新本格が袋小路に入りかけた時、その打破の一つの方策として、作品における「世界観」の構築を意識的に強くする著作群が出てきた。
綾辻行人、京極夏彦、森博嗣あたりに多かれ少なかれその傾向があるし、これを推し進め、さらに「キャラ」の概念を導入したのが「JOC」シリーズ。そしてこの西尾維新はその流派の若手新人として数年前に登場した。

…というのが「西尾維新」に関する僕の位置づけなんだけどねぇ。
正直言って、この「戯言使い」シリーズを読み始めたのは、「まあヤッパリ新しい流れにも目を配っておかんと」という勉強モードに押されてのことであった。まあそれでも何となく気になったので、結局このシリーズ最終作まで付き合ったんだが…。
読み終えて一言。

「なんじゃコリャ」(笑)

最終巻の帯に「ぼく達は、幸せになった。」ってアオリがあるんだけど、マンマなんだよなぁ。そんなんでいいのか?(しかも表紙のイラストはウェデイングドレス姿だし)
展開についてや、やりたいことは分からなくもないし、それなりに楽しみもしたんだけど、改めて振り返ると、「何だかなぁ」という気分が残ってしまっているのだ。

要すれば「マンガ」なんだよね。
僕自身は決してマンガを低いものと見ていないんだけど、同じような方法論を小説に持ち込むことにはあまり意義を見出すことができない、ということだ。それなりに面白くはあるんだけどね。(そうじゃなきゃ、ここまで付き合いませんわな)
作者が「1981年生まれ」というのもあるかもしんない。「若いモンにはついてイケン」とは言いたくないが。

この手の作品への「戦線拡大」は控えようと、シミジミ思いました。

2005/11/23

上野の森でパンダに出会う。  雑感

動物園デビューを果たした以上、上野でパンダを見んわけにはいかんやろ。

…ということで今日は上野動物園に行ってきた。
勿論、息子は初めてなのだが、妻も物心ついてからは行った覚えがないらしいし(パンダの写真はあるので、行った事はあるらしい)、僕にしても大学時代(20年前)に1,2度行ったのが最後なので、記憶なんて殆ど残っていない。かろうじて「パンダは入り口のすぐ近くにいる」とことだけが事前情報として記憶にあった程度である。

でも行ってみて驚いたね。
「上野動物園」と言えばネームヴァリューはあるが、なにしろ古くからある動物園。施設も古びていて、心寂しい感じがするんじゃないかなぁ…などと漠然と思っていたのだが、これは失礼であった。結構頑張ってるんだよ、これが。
勿論、古びちゃってるところもあるのだが、エリアによっては「ただ檻があって動物を見る」という感じじゃなくて、ガラス越しに広いスペースを設けて、色々な角度から動物の生態を見れるようになっているし、順路も直線的に作るのではなく、割と道草的なことができるようなスペースも作り込んでいる。園内には広い休憩所が複数箇所設けられてあり、木製のベンチや机・椅子が用意されていて、なかなか雰囲気も悪くなかった。
オリジナル・グッズもかなり用意されているんだけど、これも豊島園や富士急ハイランドなんかに比べると、出来が良くて、ちょっと心惹かれるものが数多く用意されている(ま、ディズニーランドほどではないが)。
最近、有名な「旭川動物園」ほどじゃないと思うけど、これはこれで結構かんばってるんじゃないかなぁ。少なくとも「パンダ頼り」の動物園じゃないと思う。
僕自身、また行きたいと思ってるからね。

今回の息子の反応は、1番は「ペンギン」。前に八景島の水族館に連れて行ったときもそうだったんだが、何故かペンギン好きなんだよね、わが息子は。
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それ以外は、「象」「ゴリラ」「パンダ」「猿」辺りが受けてたかな。人気の「プレーリードッグ」や「ライオン」なんかは、ちょっとピンと来なかったようだ。
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それでも井の頭動物園よりかなり多くの動物を見たし、あっちゃこっちゃと歩き走り回って、息子は大満足のご様子。

一頻り歩き回り(とは言え、疲れてしまって、半分は後日に回してしまったが。従ってわが息子は未だに「キリン」を見たことがない。笑)、動物園を出ると「上野公園」。
一角にある茶屋で「鶯団子」を頂戴し、大人もまた満足。
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なおオリジナル・グッズは結構購入したが(笑)、個人的に気に入っているのは「息子のため」と称して自分の趣味で選んだ、このコンビです。
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2005/11/22

秋の日のヴィオロンのためいき  音楽

今日は仕事で調布方面まで車で移動した。
渋滞で時間が読めないので、仕事で平日に車を出すのは珍しいが、今回は荷物もあり、やむを得ぬ仕儀となった次第。
まあ、予想通り渋滞に捕まり、片道2時間程度(距離は25キロ強)閉じ込められることになったが(何か最近、渋滞の話が多いな。笑)、あらかじめ予想していたので、聴きたいMDを何枚か持ち込んでいたお陰で、あまり退屈せずに済んだ。息子を乗せていると、あまり大きなヴォリュームは出さないので、車内で大音量で音楽を聴くのは結構久しぶりだ。

今回持ち込んだのは、ジャズ・ヴァイオリニストの寺井尚子のアルバムを数枚録音したのと、マイケル・マクドナルドの「motown」「motown two」だったのだが、特に寺井尚子が季節感にマッチしてて思いの外、良かった。夕暮れ時、渋滞の環八でヴァイオリンが哀切に奏でるのを聴いていると、何だか車の列のライトさえセンチメンタルに思えてくるくらいだった。(いや、これは言い過ぎ。笑)

寺井尚子を知ったのは最近のことで、多分3,4年前、今はなき「福岡ブルーノート」に彼女が来ていたのを、たまたま暇があって、出演者も良くわからずに当日券で入ったのがきっかけだった。
時期的には多分「All For You」が発売された後で、激しく身振りしながら「Libertango」や「ひまわり」を演奏する彼女に圧倒されたのを覚えている。

以来、彼女のアルバムはすべて購入している。
最近、フォト・エッセイなんか出したりして、ちょっと勘違いしてるんじゃないかなぁなどとも思ったりしているのだが、まあ相変わらずファンであるのには変わりない。(フォト・エッセイも買っちゃったしね。後悔してるけど。笑)

どのアルバムもいいけど、個人的に一番好きなのは「All For You」。
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「おいしい水」「Libertango」「ひまわり」等々、聴かせてくれる。
「Libertango」はさすがにヨーヨー・マの方が「深み」を感じさせるが、コチラの方がおセンチな気分にはなれると思う(笑)。

若くはないんだから、そろそろ「勘違い」には気づいて欲しいけどサ。

2005/11/21

bagel  雑感

日曜の朝、6時半に起き、手短に身支度して、20分ほど車を転がし、パンを買い出しに行く。
「毎週」ではないが、月に1.2回は行くかな。店の名は「bagel」。
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もともとこの店はよしながふみの「愛はなくても喰っていけます」(すごい題名だなぁ)で紹介されていて、パン好きの妻と「野次馬根性」で買い物に行ったのがきっかけだ。
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住宅地の中にあって、店構えも広くなく、「街のパン屋さん」風なんだけど、これがナカナカ…。店の名になっているベーグルは勿論だが、他のパンも美味しいんだよねぇ。車で20分(昼間だと40分位)かけて買い出しに行く価値は十分にあると僕は思っている。
(決して妻の強制ではない。…多分)

昨日買ったのは、買い置きのベーグル(大体、妻の昼食になっているようだ)のほか、クリームチーズ&ブルーベリーのベーグルサンド、スモークチキンときのこ・茄子が入ったイルサンド、そしてチーズがゴロゴロ入ったチーズボール!
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他も美味しいんだけど、このチーズボールが絶品!
採算度外視のように思い切り良く入れられたチーズが口の中に広がって、何とも言えないんだよねぇ。
いつもカロリーを気にして妻と半分にするんだけど、もう少し体重が減ったら、一気に2個喰いしてやろうと、密かに目論んでおります。

この店は姉妹(多分+1名)でやってるようだけど、素人がここまで仕上げてくるってぇのはなかなかなモンですな。
東京ライフには色々不満もあるが、こういう店があるのは「都会ならでは」なのかもしれない。

だからって「渋滞」や「ラッシュ」が許せるわけじゃないけどね!



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