2006/2/22

眠る盃、向田邦子の恋文  

「眠る盃」
著者:向田邦子
出版:講談社文庫
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「向田邦子の恋文」
著者:向田和子
出版:新潮文庫
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「父の詫び状」を読んで、気分になったので、続けて読んでみた。

「眠る盃」は「父の詫び状」に続くエッセイ。ただ作品としてのまとまりは、発表誌がまとまっていた「父の詫び状」にくらべ、寄せ集めの感が強い本作の場合、非常に散漫な印象だ。ただそれでも「父の詫び状」の後日談や、別エピソードが収められているので、続編的な楽しみ方はできる。
文章はやっぱり上手いから、読んでいて気持ちがいいしね。
(一番感銘を受けたのは、戦時中の父の別エピソードである「字のない葉書」。疎開していた妹を迎える父の姿には目頭が熱くなる。いや、マジで)

「向田邦子の恋文」はちょっと困った作品。
おそらくは向田邦子のコアの部分に影響を与えていると思われる「N氏との関係」(N氏の自殺をも含め)に興味があって読んでみたのだが、まあその野次馬根性は満たされる。スキャンダラスにならないように抑えられた筆致(遺族の作品だから当然ではあるが)も、好感が持てて良い。
ただ妹の描く「向田邦子」の姿が立派過ぎて困ってしまうのだ。
向田邦子自身は、エッセイの中で自分のことを「遊び人」風に書くことが多い。そこには「偽悪的」な気配も十分に感じられるようになっているのだが、そのことを考慮に入れても、本書に描かれている「向田邦子」は立派な人物に過ぎる。いや、本当にそういう人物だったのかもしれないが、それにしてもなぁ、という困った感じをどうしても覚えてしまうのだ。
父に関しても、向田邦子が実家を出かけるキッカケとなった口論は、実家から娘を出させるために「仕掛け」たものであり、向田邦子もそのことを十分に認識した上で、それに「乗った」と解き明かされているのだが、これもちょっと困ってしまう。
事実がどうなのか、ソレは分からない。あるいはこの遺族に映った姿こそ、生の向田邦子の姿なのかもしれない。それでもなお、僕の中には向田邦子自身が描く彼女自身の姿、父の姿があり、作品を通じて手に入れたそれを大事にしたいという思いを否定できずにいるのだ。
(まあ実態としては、その間くらいなのかなぁとも思うが)

本作で最も深く心に残るのは「写真」だ。表紙と、中に何葉か収められている写真で、向田邦子は時に意思的な瞳を見据え、時に硬質な色気を漂わせてくれる。
それは向田邦子自身のエッセイとも、遺族が描く彼女の姿とも少し違う女性の姿だ。
本書の価値はこの写真にあるんじゃないかな、というのが、結局のところの感想である。



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