Kapelle Triona様のブログ記事(「調性格」という神話(2))を読んで、泣きました。(え?)
私が「調性格」(ということばさえ、その時点では知らなかったのですが)のことでちょこっとつぶやいたのを聞きつけて、わかりやすく書いてくださったようで、とてもありがたかったのですが、その中の
「音楽理論あっての音楽ではなく、音楽あっての音楽理論です。」
とか、
「『調性格』神話の呪縛に囚われて、自ら表現・感性に足枷をかけては、実に本末転倒です。」
という文で、あっと思いました。
自分は、素人の開き直り、なんて言ってるけど、じつは知識や技術がないことでなにか焦っていたんじゃないかって。
私には感性がないから……なんて、誰が言ってたの?誰の感性? 他の人と比べて? 比べる基準ってなに? だいたい、比べることに意味があるの?
……しばらく絶句でした。
音楽を聴いたり歌ったりすることが好きで、たぶん死ぬまで続くと思う。それはささやかだけど大きな楽しみ。それをああでもないこうでもないと何か決めつけて、つまらないものにしているのではないかと。
そしてちょっと涙がでてきちゃったのですが、もともと泣き虫なので気にしない。絶妙のタイミングで、なにかを気づかせてくださったTriona様に感謝です。
絶妙のタイミングというのは……明日じゅうにしなきゃならないことがあって。明日はちょっと、大事な人とのお別れがあって忙しいのですが、なんとか……まにあわせたい。記念日なので。
【今日のメモ】
そんなわけでうちのKAITOにはうちのKAITOなりの歌を歌ってもらえばいいんだよね。どんどんヘタレで行こう!(笑)
でもプレガルディエンとゲルネはもっと聴きたい。

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