2009/12/4

恨みと復讐  

先日、タランティーノの新作映画イングロリアスバスターズを観てきた。



痛快お笑いドタバタ映画を勝手にイメージしてたのであるが、全くイメージどおりではなかった。



タランティーノはこんなにマジな映画も創りあげるんだ!と驚きだった。かなりの真面目な映画であった。



第二次世界大戦の頃、ナチスに殺戮や犠牲を強いられてきたユダヤ人達がナチスに対して、フランスの土地で復讐していくというストーリー。



ブラピ率いるユダヤ人のバスターズは復讐の為ナチスの人間達に対して非情なままに容赦なく徹底的に殺すことを計画し実行していく。自分達の民族を殺戮された復讐のために。タランティーノらしいというか、殺しのシーンはかなりエグかった。
私は痛いシーンは大嫌いなので、顔を手で覆い、あーだの、うーだの、きゃーだの声を出しながら指の隙間から見続ける始末。痛いシーンを観ると足の裏がキュっとなる。痛いのは嫌いだ。



バスターズの計画が簡単に遂行出来る訳ではなく、やはり色んなハプニングが起こる。途中ブラピのお茶目なシーンは会場で笑いが渦巻いていた。ほんの少しだけイタリア語を話せるユダヤ人のブラピがイタリア人になりすまし、ナチスが集まる集会に強引に潜り込もうとするのだが、、会場入り口ですぐに実はイタリア語堪能であったナチスの総督にバレてしまう。逆にイタリア語で話しかけられるが話が続かない。お茶目である。こういうのはタランティーノらしい。。





この映画を観るためにアメリカでかなりのユダヤ人が映画館に足を運んだそうである。年輩のユダヤ人が最後にブラボー!と叫んだりということもあったそうだ・・・




やはり民族的殺戮の恨みが根強く残ってるんだなと思った。



巷で流行ってるお手軽スピリチュアルでは、簡単に『許し』という言葉を使うが、自分の家族が殺されたら許すのに一体どれくらい時間がかかるのだろう。。仕返ししても意味がないのは頭ではわかっていても、復讐したい気持ちはやはり出てくるには間違いない。殺したい気持ちすら出てくると思う。傷ついたハートを癒すのに何年も何年も、死ぬまでかかっても何らおかしくない。




極限の体験を癒したり、恨みや復讐の負の連鎖を終わらせるのには、最後はやはり信仰というか、祈りしかないような気がする。




宗教が素晴らしいと言いたいのではなく、何か人間を超えた、この世から離れた超越的な存在が心の拠り所として人には必要だと言うこと。その存在と対話することにより、破壊的な怒りが少しでも鎮まり、負の連鎖を終わらせ、起こったことの意味を深め、自分自身の存在の意味をも深めていくことは不可能ではないと思う。




ちなみにタランティーノの母親はチェロキー系のネイティブアメリカン、父親はイタリア系でユダヤ人の血は入ってないらしい。


大虐殺されたネイティブアメリカンと大虐殺されたユダヤ人を重ね合わせてタランティーノが心の中でどう感じたのかは私にはわからない。




恨みや復讐等の負の連鎖はあくまでも映画や娯楽の世界だけ発散し、実際には続いてほしくないと願うばかりである。




負の連鎖は血や悲しみや虚しさが残るだけである。




もしもアトミックボンバーズ??というようなタイトルで、日本が某国に原爆を落としかえす映画でも公開されたらどうなるのだろう。
日本人の被爆者、戦争体験者は観て発散されるのだろうか?




いろいろ考えさせられる映画であった。
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2009/12/4

ひとりごと 続き  

祖父が手術した。
祖父は現在88歳。
自他共に認める健康な老人で軽症の糖尿はあったが、数値も落ち着き、大きな病気とは無縁の人であった。薬用酒なども自分で漬け込み、毎日200回の スクワット、200回の腕振り体操、一時間の散歩等88歳とは思えないような離れ業の日課をこなしていたのである。

が、祖父の健康神話はガタガタと音を立てるように崩れていった。胃ガンと診断された。



親戚中が大騒ぎになった。切るのには皆大反対だった。私も断固絶対反対だった。本人も切るのは嫌がっていた。が、祖母の意思によってこの意見がひっくり返されていくのである。



先日のブログで、1人の人を愛し続けるというひとりごとを投稿し、達成出来た人はいないと発言したが撤回したい。身近にその偉業を成し遂げようとする人物がいたのを見落としていた。祖母である。灯台もと暗しとはまさにこのことである。母と投稿した記事のことを話していたら『あんた、1人いてるやろ!おばあちゃんが。』と冷たく言い放たれてしまった。怖い。機嫌が悪い時に話しかけたからである。母も祖父が病気で情緒不安定気味である。



祖母は現在82歳、それなりにお嬢様として不自由なく育った。
十代の時から祖父と結婚することはまわりから決められていてた。結婚してごく普通の専業主婦として祖父を支えながら私の母を含め3人の子供を育てた。一時、在宅で化粧品販売の仕事などしていたが、人が善すぎるために、おまけばかりして全くビジネスにならなくて、すぐに辞めた。売れ残りの化粧品は母達に使われていた。
手芸にはまりこむ癖があり、家事が終わって夜中にアートフラワーや人形づくりなどしていたのを私も記憶している。はまりこみかたが少し異常で押し入れに莫大な手芸材料があったのを記憶している。
愛情いっぱいで育てられたせいか、あまり人を疑うことを知らない。昔は出掛けたらどこかで何か買わされて帰ってきていた。すぐに信じて買うからである。
優しく愛想よくいつも人に囲まれてる人である。




その祖母の祖父への純粋な愛の一面がより発揮されるのは祖母が65歳になってから。
65歳から外に出て勤め出すのである。理由は、、祖父に今まで養ってもらってきた。。でもこれからは迷惑かけたくないと。別にお金に困っている訳ではなかった。外の世界に出てみたいと少しは希望があったのかもしれないが。



それから17年、祖母は働き続けていた。
働きながら家事をこなし、祖父への愛情を降り注いでいた。骨粗鬆症で足を骨折しても働きに出た。
結局無理がたたって途中入院しないといけなくなったが。退院してからも働き続けた。
女は強い。ましてや戦争経験者は強いと回りは言い続けた。私も祖母を見てそう思った。



そんな祖母が祖父が胃ガンと診断され、ガタガタに弱り出すが、不安や悲しみを抱えながらも希望を持って手術を決断するのである。まわりの手術反対意見をたった1人でひっくり返していくのである。


続く。

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