1966年6月 静岡県清水市のみそ会社煙霧方の焼け跡から殺害された一家4人が見つかる。
8月静岡県警が袴田巌さんを強盗殺人、放火などの容疑で逮捕、当時袴田さんは30歳、私は19歳でしたので、袴田さんとは約10歳違いです。袴田さんは30歳から78歳まで48年間拘置所生活です。3月28日に朝刊新聞を読んで、どうしてこんなことが起きたのか、こんな残酷なことがあるのか、とんでもない恐ろしいことが起きたと、大変驚きました。
静岡地裁決定は46年にわたり死刑判決の最大の根拠とされた「5点の衣類」袴田さんが犯行時に着ていたと検察側が主張した、血に染まった白半袖シャツ、ズボン、ステテコ、スポーツシャツ、ブリーフだ。事件発生から1年後1967年8月工場の味噌タンクの中から見つかった。その警察の証拠が48年目に一転して「無実」になった、警察の捏造である、恐ろしいことです。
その無実の決めてとなったのはDNA鑑定です。
そのDNA鑑定とは何か・・・
DNA型鑑定は、人の知恵器や唾液などの細胞からDNAを取り出し、それを作っている[塩基]という物質の配列を分析する。
DNAには、アデニン(A)、チミン(T)、グアニン(G),シトシン(C)という4種類の塩基がある。これが、例えば「AATG」など特定の並び方で繰り返し現れる部位があり、その繰り返しの回数は個人で異なっている。この違いを個人識別に利用したのがDNA型鑑定だ。DNA型鑑定が実用化された1989年は、観察できる部位は一カ所で、同じDNAの方を持つ人の割合は「200人に1人」だった。だが、06年ごろからは15カ所に増え、鑑別できる割合も「4兆7千億に1人」と飛躍的に向上した。
名古屋大の勝俣義直・名誉教授[法医学]は「鑑定技術の進歩によって、結果的に冤罪を防ぐことに利用できるようになってきたのでは」と話す。
逮捕から48年。裁判では一貫して無罪を主張してきたが、80年に死刑が確定。82年姉のひで子さんに宛てて書いた手紙には「私は死刑囚という特殊な境遇にでっち上げられ、初めて死刑の残虐の何たるかを熟知した」とつづった。長期拘束で心がむしばまれ、奇妙な言動が始まったのです。「電気を出すやつがいる」「食べ物に毒が入っている」など、死刑への恐怖から、妄想の世界に入り込んでいた。精神に異常が生じてきたのです。
冤罪発堀が遅れる日本。確定した死刑判決が、次々と覆されている国がある。米国だ。
1973年以来、再審で判決が覆されたり、恩赦を受けたちして無罪となった死刑囚は144人に上がる。1方、日本では、死刑確定事件で、再審無罪となったには4事件しかない。米国との違いはなにか。日本の刑事司法の研究を続けている米ハワイ大のデビッド・ジョンソン教授(社会学)は指摘する。「日本の検察が比較的慎重に起訴していることもあるが、それだけではない、冤罪を探し出す努力にかけている」
裁判員制度の設計に関わった四宮啓・国学院大法科大学院教授はいう。「袴田事件が問うているのは、執行されたら取り返しがつかない死刑制度をこれからも維持し続けるのか、ということだ。それを市民自らが考える時期に来ている」
袴田事件関連の新聞記事はすべて読みました。誤った裁判、冤罪をなくすにはどうしたらいいのか、いろいろと考えさせられました。

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