以前から気になっていた事、改めてネット検索してみた。
それは孝子さんの作品で一度も目にした事のない<片想いはHAPPY気分>。
某サイトにはこのように記されいてる。
1984年に高部知子へ提供した「雨の街」「片想いはHAPPY気分」と、
1985年に沢口靖子に提供した「そよ風の季節」の3曲のみで、
いずれも岡村がソロデビューする前に書かれた作品である。
〜「雨の街」「そよ風の季節」は後に岡村本人によって逆カバーされている。
<雨の街>はアルバム<夢の樹>の代表作、
また<そよ風の季節>はアルバム<Andantino a tempo>の代表作品です。
ファンに成り立て当初は、毎日のように聴いていた。
ここからが今回の本題です。
孝子さんが『片想いはHAPPY気分』を提供した『高部知子』を調べると、
なんとそこに『イルカ』さんと『大沢孝子』さんの文字がある。
1984年のアルバム12曲中5曲が『大沢孝子』作詞である。
A面は『イルカ』さん1曲、『岡村孝子』さん2曲である。
そしてB面の6曲中5曲の作品名は
そこに春が 大沢孝子作詞 萩田光雄編曲
気になるアイツ 大沢孝子作詞 萩田光雄編曲
青い嵐 大沢孝子作詞 萩田光雄編曲
白い仔犬 大沢孝子作詞 吉川忠英作曲 萩田光雄編曲
夢のメトロノーム 大沢孝子作詞 萩田光雄編曲
そして編曲も萩田光雄編曲 と『岡村孝子』さんとの関連をうかがわせる。
さきほどの検索での高部知子に関して情報の追加をここで記す。
芸能活動の謹慎が解けた後、
岡村孝子のバックアップを受けてソロ・アルバムを吹き込んだが
大きな話題とはならなかった。
とある。
この1984年という年は、僕はまだ『岡村孝子』という存在を知らない。
孝子さんは1985年10月19日『 夢の樹 』発売しソロデビューする。
1983年暮れに『あみん』を休止し、ソロデビューまでの84年85年。
表向き『岡村孝子』としての提供は『片想いはHAPPY気分』『雨の街』とし、
ペンネーム『大沢孝子』として提供しているのではないのでしょうか。
『高部知子』への提供はこの時だけである。
また『大沢孝子』に関して、別の『提供先』がある。
『沢田聖子』である。自分でも作詞作曲もしているのだが、提供も受けている。
やさしい雨の中 84年5月21日
風の予感 同上
愛を急がずに 84年7月25日
アデュー 同上
Septmber Blue 86年9月5日
の5曲だけで、これ以降『大沢孝子』は『沢田聖子』に詞の提供はしていない。
4曲は『孝子さん休業中』の時期に一致する。
これらの事は単なる偶然なのでしょうか。
『大沢孝子』さんも『沢田聖子』さんのこれらの作品も全く知りませんし、
これらの曲も聴いたこと有りません。
しかし時期といい、題名の『相違』に関して、
『大沢孝子』さんは『岡村孝子』さんのペンネームではないだろうかと。
孝子さんはまず『曲』が出来てから『詞』をはめ込むと仰ってるから、
これらの事は根底から覆ってしまうのですが、
相手歌手の都合で『詞だけの提供』と考えれば納得もいくのではないだろうか。
一度『沢田聖子』のアルバムを手にする必要が出て来た。