これは宮崎駿監督が映画づくりにおいて掲げる
一貫したテーマである。
監督いわく「子どもたち(または友人)に、この世は生きるに値すると伝える事」
インタビュー時によく口にする言葉だ。
はじめてこの言葉を聞いたときにとても感銘を受けた。
というのも、まさにそれこそが、僕が小さい頃からジブリ映画を観終わった時に感じるものであり、
それは現在僕が‘’名作の条件‘’としているそのものだからだ。
驚いたのは、僕はこの言葉を知る以前から、
これを自分の舞台演出時にテーマとして掲げていたことだ。
言葉こそ違うが僕が公演ミニパンフレットに書いたのは、
「なんだか無性に明日も生きたいと思える作品を」である。
別に高尚なもんだとも、綺麗事だとも思ってない。
ただ、友人に元気を与えたいだけの、普通の想いだ。笑
というのも、
実は心ではこの言葉の頭に(友人に)を足している。笑
が!
それは、
友人に向けた熱量をもってしてより良い作品に、そしてお客さんにも伝わる、
という考えが前提にある。
話が逸れたが、何にせよ、
重きを置いている対象者こそ違う点はあるかもしれないがテーマの意味は同じところにある。
これがなぜ驚くべきことか。
‘’作り手がもつ真のテーマが対象者の子どもにちゃんと伝わり、
その子どもが大人になってから同じテーマをもってして後々に伝えようとする‘’
説明もなく映画を観せるだけでこれが起こる。
これはとてつもないことだと僕は思うからだ。
さらに、この件から2つの確証を得た。
それは、
1、作り手のもつテーマは鑑賞者にちゃんと伝わる。
2、このテーマ自体が人にちゃんと伝わる
この確証を得た事は、実は大きい。
あとは作品次第だ。
さて、なぜこんな話をしているかというと。
このテーマはまさに今、この世の中に必要だと思うからである。
このコロナ禍において、人々の心が疲弊していることは言うまでも無い。
また、現在、または近々、コロナショックによる自殺者が増えることも問題視されている。
そんな’‘ご時世’‘にこそ、この世は生きるに値するんだと伝える作品があれば、と、僕たちのような人間は思う訳だ。
すでに、まさに、『一生に一度は映画館でジブリを』がそれを成しているのだが……僕ら若者が動かなくてどうするという気持ちがあるのだ。
しかし難しいのが、
舞台公演というものが世間に厳しい目で見られているということだ。
僕の考えに、あくまで僕の考えに、
問題に直面した時こそ人類は発展してきた、というものがある。
事実、このコロナ禍においてリモートという概念などが生まれ、
新たなものが生み出されている段階だ。
であるからして、僕は泣き寝入りするのではなく、
対策をこうじた上で舞台をやろうとする行いが何か発展を生むのではと考える。
ただ今回難関なのが、
‘’失敗できない‘’ということだ。
失敗こそ成功の糧であるのに、今回は失敗できない。
先日の舞台公演において。
僕たちは現状、現状では、失敗はしていない。
しかしながら批判的意見を受けることがある。それでいい。貴重な意見だ。
が、僕たちも悪ではないはずなのだが、心ないと感じる辛辣な意見を受けることもある。仕方ないことかもしれない。違う畑のことはみな知らない。
先日、コンビニで
『人はなぜ、他人を許せないのか』
という脳科学に基づく本を発見した。
タイトルに非常に興味を持った。
というのは、
僕がTwitterを覗いた時に抱く感情そのものがタイトルだったからだ。
アドラー心理学に、
自分と他人の課題を分ける、課題の分離という考え方がある。
それによって人間社会において生まれる不安がずいぶん減るという。
とても感銘を受けた覚えがある。
この本は脳科学というのだから、
アドラーとはまた別の観点から解決に導くものがあるかもしれない。
興味がある人はぜひ読んでみてほしい。僕はまだ読んでいないが。笑
なぜ読んでもない本を紹介したかというと、
この本にはタイトルだけで強い力があるからだ。
『人はなぜ、他人を許せないのか』
その言葉が頭の隅っこにあるだけでも、
生き方に影響が生まれそうだ。
(余談だが、数年前に出演した舞台『嫌われ松子の一生』に似たようなテーマを感じたことがある)
さて、僕らの眼前にある壁は非常に大きい。
この世は生きるに値するんだと、伝えたい。
が、そのための作品で、
決して人に死を運んではならない。
コロナとは、共存していくしかないのか。
共存できるのか。
また、「許せない人」たちすら納得でき、
作品のクオリティも落ちることが無い、
誰しがウィンウィンな道は無いのか。
これは理想ばかり考える、生産性の無い理想主義なのか。
『モロ……森と人が争わずにすむ道は無いのか……本当にもう止められないのか』
『生きろ……そなたは美しい。』
大好きなもののけ姫の、アシタカのセリフ。

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