2011/8/26

コラボの一考察・・・。  

こんなコラボはいかがでしょうか。




お箸でたべるパスタ?
フォークで食べるおそば?
ナイフとはしで食べる
トーフステーキ・・・。

いいですよね。




コラボレーションなる
言葉の飛び交わない頃は
和洋折衷、つまりは
和室のカーペット
畳敷のベット?
着物に山高帽・・・。


衣食住、更に文学、
芸術ともにその融合を
見て来たわけであります。


いずれが主体となるかは、
ときどきのお話でありまして、

根回し=nemawashi=や
おすし、忍者などはアメリカで
そのまま使われているそうです。






ウルトラマンやその他ヒーローものも
そのまま輸出されいて、
日本のアニメ文化は主力産業とのこと。

和洋折衷=洋和折衷=の百花繚乱となるや否や。


和製英語もまた然りですが、

ツイッターなる限られた文字で「つぶやく」
ネットのツールにおいては「どこどこ=何何ナウ」
と「今」どこにいるであるとか、何をしているという
表現=もう古いのかな(笑)=のように、
ナウは完全に折衷語に変化しております。


予備校時代のゴロで覚える英単語でいうなら、
鳥が目を出すほどすごい=トリメンダス=すごいや、
持って行く、連れて行く=TAKE=テイク。
というような準えての言葉遊びはありましたから、
現代おける話し言葉の外来語が変化するのも
理解に易いところであります・・・。


「さくらんぼ なう」というつぶやきが
さて、どのような進化をしていきますか。




最後は、ジュリーのTOKYOをそのままに
「お江戸」を。






どうぞ、皆様よい週末を。
さくらんぼでお待ちしております。


ありがとうごさいます。






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2011/8/25

表現者たれ・・・。  

今日の雨は、
来るべく秋を思わせる
「色合い」をみせてくれました。
遠くの雲空と雲の境目が曖昧で、
それでいて、山の稜線はいつもより鮮明に
見えたので、不思議な感じが致しました。



今日は「人間力」の源ともいえる
「表現」=感性の送受信=
について、戯けさせてください。



数有る言語の中で、日本語の
すばらしさを問われたら、
謙譲、謙遜、季語、韻、
熟語、etc・・・。
いくらでも挙げられますよね。

候文までいかなくても、
手紙をしたためる、
会話の「言葉」を綴る、
また自然や芸術、人生など
様々なものを伝える術てとして
なんと豊富な言葉があることでしょう。

そうして、時代は進み、
単なる伝達手段としてのそれは、
方法論の進歩こそあれ、
人間力の本質を激変させるものは
まったくありません。

いや、むしろ、問いかけが増している
ように思います。


人間の表現は無限であり、相互の
理解と共に、心を豊かにしてくれる
と信じています。

アーティストに限ったことではありません。
日々の暮らしに「表現者」は健在であります。

つまり、方法論の進歩で、受け身一方の「表現」
はありえないのです。

誰もがアーティストであり、理解者となれるのですから。


今、注目のベーシストVictor Wootenで
「アメージング・グレース」を。





一つの音楽も無限の表現をして、
私たちを魅了します。





格差の拡大、競争原理社会の
弊害が静かに伝えられていますが、


今、窮地に立たされている方たちや、
悩み、苦しみの中にいる若い方たちに
お願いしたいのは、
どうか、唯一無二の「表現者」たる
自分を信じていただきたいということです。




ジョージ・ウィンストンの演奏を。






明日一日、前を向いていきましょう。

ありがとうございます。








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2011/8/24

視線の風景・・・。  

松田優作さんの曲を。







皆さん、公園のベンチに座って
まわりの風景をご覧になることが
あると思います。

行き交う人やハトのついばみ、
走る車やあるいは電車を眺めてみる。

ベンチに座るとちょうど小学生くらいの
目の高さになるでしょうか。
更に芝生にシートを敷いて座れば、
もっと小さな子どもの視線にかえれます。


ときどき、この「目の高さ」が意外な
発見や感覚を与えてくれることがあるんです。

またまた梶井基次郎の「檸檬」の一節で
いうところの=自分は今、知らないまちに
きているという錯覚を意図的にしてみる=
自分を錯覚させられたら「成功」。

これ、よくわかります(笑)。

狭い路地を好むのも
この錯覚を楽しむため。

そこで、目の高さの話ですが、
そうなんです、視点を下げてみると
例えば、いつもの曲がり角の先が
見知らぬ通りにつながっているかの
ような気持ちになれます。
いつもそうはいきませんが(笑)、
不思議ですね、人間の感覚というのは。

そうして、私も「錯覚」を楽しむくち
なもんで、京都のまち歩きは飽きません。




今また「青春18切符」が人気とのこと、

急がない「ぜいたく」さは、お金を
かけない方が、よくわかるのかも知れませんね。




甲斐バンド「最後の夜汽車」を。







明日一日、がんばっていきましょう。


ありがとうございます。

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2011/8/24

晴れております・・・。  

本日はよく晴れております。

暑いわけです。


Tシャツを着替えてはまた着替え、
どれだけ汗かきなのか、自分でも
驚きを隠せず・・・。

本当ならすっきりスリムになれるはずなのに
そうはいかないのが世の常、人の常でありましょう。

お腹は出過ぎで、気持ちはへこみすぎ、
そんなこんなの今日一日を
がんばっていきましょう!







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2011/8/23

セミに想う・・・。  

懐かしい陽水さんの曲を。




足下にセミの抜け殻がを見つけ、
その近くには「生」を全うした
であろうもう一つの姿が・・・。



人間と、動植物たちと、
「時間」が違うというのは、
よく人間なら何歳なんていう比較で
理解できるのですが、
もっと「深い」ところが
あるような気がします(笑)。

地球誕生からみれば、
人類は極めて最近?で
まして私たちの実感する
文明のすべてはどれほど
の時間とみるべきか・・・。


以前の三分間の話では
ありませんが、
俯瞰(ふかん)する
「時間」の創造主に、
私たちは「三分間」の
域を出ていないのかと
聞いてみたい気もします。




ツェッペリンの曲を。






唄のひとつ一つを
私たちが「今」に重ねて
歌うというのは、

そんな「時」の持つ
やさしさかもしれませんね。

いつでも、唄と一緒に
タイムトリップもできます、
そして「今」をわかり合い、
自分を見つめることも
許してくれるのですから。





明日も一日、元気にいきましょう。


いつもありがとうございます。
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