2011/8/22

カラスよどこへ・・・。  

コニードーバーの曲を。





本日のワンシーン。
理由はわかりませんが、
公園で小さな男の子が両手を
しっかりと握りしめて、
今にも泣き出しそうだったのですが、
必死にこらえていたんですね。

お友達とケンカしたのか、
お母さんに叱られたのか、

でもとにかく必死にこらえている
姿に「がんばれ!」と心の中で
つぶやきました。

今はいろんな家庭事情や社会的
背景があるので、一瞥(べつ)
しただけでは判断できませんが、
大人は子どもに対して「関心」を
持たなくてはとも思った次第です。

黄昏時の公園、ひとりぼっちで
なんていうことはよくありましたね。


「カラスがなくから帰ろう〜♪」

・・・・。









「三羽がらす」の例えよろしく、
さて、時の政権の黄昏て、どこへ帰って
いくやら、来るのやら・・・。

♪今泣いたカラスがもう笑う〜♪






さあ、明日も一日元気にいきましょう。


ありがとうございます。




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2011/8/21

儚いからこそ・・・。  

今日は雨の一日でした。

雨は、季節を迎える「雨」と
「送る」雨がありますよね。

四季のある国の趣をいつまでも
大切にしたいものであります。


大切にしたいというのは、
もろく、儚いからこそ、
願うのでしょうか。

樹々草花ももちろん、
森羅万象、人の営みも
そういえるでしょう。

ゆえに「大切」にしたいんです。



そして大切にしたい気持ちが
強く、大きくなれば、きっと
第3の道=未来=が見えてくる
と信じています。

誰の命もみんな何者にもかえ難い
「大切」なものです。

当たり前の事をいうようですが、
もう一度言わせてください、

誰の命も本当にかけがえのない
尊いものです。









誰でも自分を消してしまいたいときや
自己嫌悪と疎外感にさいなまれることが
あると思います。

しかし、知らないうちに、人は人を支え、
また支えられていることを忘れないでください。

私ごときが僭越ですが、
今日の妄言をお許しください・・・。

行き詰まる私ら昭和中期世代も、若い世代も
そして諸先輩の皆さんたちも、
「大切にしたい」を共有していきましょう。
















四十にして迷わず・・・・。
五十にして天命を知る・・・。

その只中にあって、やはり
深い迷いと天命を知る術をもてない
自分がいるわけで・・・。


それでも明日は平等に来ます(笑)。

さあ、明日から一週間がんばっていきましょう。













ありがとうございます。
0

2011/8/20

見えざるもの・・・。  

円高が戦後最高値を更新とのこと、
1ドル360円だった頃思うと
すごいことですよね。

経済にまったく疎い、小市民
の一人として、ただ思うのは、
市場経済の偏りや投機マネーが及ぼす
実生活への影響なんです。

資本家の方たちや既得権益階層の
人たちをどうこうしろなどと
は思いませんし、また言う資格もありません(笑)。

ただ、「見えない何か」によって
方向付けがなされて行く気がして
とても切ないのであります。

=経済の基礎も知らない人間が
いい加減なことを言うな=

お叱りは覚悟の妄言にて
ご容赦ください。




見えないもの。



例えば人間の行動・心理の
一因として経験や論理的裏付け
がなされない事象に対して
それを代入して
考える事が多々あります。

宝くじの当たりがよく出る店に並ぶ、
遠い寺社へお参りに行く。
後ろ髪をひかれる、良い・悪い予感
んがするetc・・・。

以前にも書かせていただきましたが、
自然に対して「畏敬の念」を持つこと、
言い換えれば「漆黒の闇」に対する
謙虚さを持つこと。それは
闇の中に潜む獣や自然の脅威に
熟慮し、いたずらに踏み入らない
勇気を表しています。

そういう意味において、
「見えないもの」は人間と自然の
バランスを整える役目、
あるいは我欲のブレーキであると
いえるのではないでしょうか。


ある原子力推進派の某大学教授が、
数年前のとある公聴会で、「我々科学者からみれば
原子炉の格納容器が損傷するということは
考えられないこと、プルトニウムは飲んでも
問題ない」というようなことを笑いを
浮かべて述べられておりました。

・・・・。



見えざるものへの畏敬の念とは、
どの時代になっても、決して
忘れていならないと思います。







以前ご紹介のこの曲をもう一度。







暗闇があるからこそ、
小さな灯火の尊さは
わかるんだと
妄言しまくるおっさん
であります・・・。



師匠への敬意を表した?一曲を。






明日も一日元気にいきましょう。

ありがとうございます。


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2011/8/19

茶の間のモノたち・・・。  

今日、午前中に耳に入って来たのは
「廃品回収車でございます〜!」のテープの声。
「テレビ、冷蔵庫、ステレオ、パソコン・・・。
御見積もり(引き取り料金=こちらが払うお金)
お気軽にどうぞ〜。」




いろんな意味でなるほど・・・・。





というわけで、ちょっと生活品の「位置」
について考えてみたいと思います。

まず、最初に浮かぶものとして、
「ティッシュ」などいかがでしょうか。
まだ、普及していなかった頃は
「ちりがみ」=白龍?今もあるかな=が
それ用の入れ物に納まって、あるいは引き出しの
ワンフロアーを占拠していたように思います。

そしてテレビ。これはいうまでもなく、
茶の間の中心的存在として、家具調に扱われ
手編みのカバーなんかをかけられて
鎮座しておりました。

そして電話。固定電話しかない時代の
電話には「威厳」と申しますか、
各家庭ごと厳しい制約のもとに正しく、
「りん」としていたわけであります。
先様には見えないのに深々とおじきして、
また長電話は、家族のするどい視線を避けながらの
攻防を。何より、年頃の娘を持つ家庭にかかる一本の電話、
男の子からの「○○子さん、いらっしゃいますか」には
娘の父親が「いません」ガチャっ!というのが
お約束中のお約束。



ちゃぶ台、テーブル、そしてなぜかいつも床に座るため、
背もたれに徹するソファー(私だけ?)。

そうした各生活用品たちの定位置があった時代、
暮らしの流れにも一定のテンポとポジションが
自然にできていたように思いませんか。

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茶の間というワンダーランド。
そこに位置するモノたちとの
関係もまた、再考すべき課題
かも知れません。











くりごとですが、未知の領域ともいえる危機の中で、
この夏はいこうとしています。

断捨離の精神をそれぞれに、
活きた「生活」へ努めたいと
思った次第です。





最後はこんな感じの曲を。






明日も一日、がんばっていきましょう。
ありがとうございます。








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2011/8/18

空気を読む・・・。  

マイケル・ブーブレ「ホールドオン」を。





今風に(それ自体が古い言い回し=笑)
いえば、「空気を読む」ということなんでしょうね、
若い方なんかは特にこのことに最新の注意をはらって
いるように思います。

予定調和、謙譲・・・。

とにかく「空気」=共有するところ=に
自分を合わせていく処世術が、
「空気を読む」の由縁かこれ如何に。


何事も行き過ぎはよろしくないの例えで、
空気が主役で、会する人が誰もいない
なんてことにならないように、お願い
致します。


たまにこんな感じの曲を・・・。







胸一杯、空気を吸える、この大前提を
守っていきたいものです。

ただ、それだけを願うのは「空気」を読んでいない
ことになるのでしょうか・・・。








エアサプライ「サンセット」を。







では、明日も一日、元気にいきましょう。

週末はさくらんぼへ、どうぞ!



ありがとうございます。

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