大阪−札幌間を約1日かけて運行する日本−の長距離旅客列車の特別急行寝台列車「トワイライトエクスプレス」が車両の老朽化により来春に廃止されるというニュースを耳にしました。
ほんのりほんのりぷちぷち鉄子の私にはちょっと気になるニュース…たった一度だけ乗車した時のことを書き残しておきたいと思いました。
1995年(平成7年)1月14日土曜日午後、札幌駅から友人と二人で大阪行きトワイライトエクスプレスに乗り込んだ私。
なぜ、トワイラトエクスプレスに乗ろうということになったのか…
今となっては全く覚えていません。
私も友人もそんなに鉄道というものに興味があったわけでもありませんし
それ以前に一緒行った旅行も飛行機を利用していましたから
なぜ、そういう話になったのか???ナゾ。
運行開始が1989年ということなので、新しいものに飛びついたわけでもないらしいし…ナゾ。
B個室(ツイン)を取ってウキウキの私達。
私も友人もそれまでに乗ったことがある寝台車は修学旅行の(このあたり、時代が古い?)開放式の寝台だけだったので「個室」にあこがれがありました。
それに、やっぱり女性だけでの開放式はちょっと不安がありましたし。
その時の私にはもう一つの初体験がありました。
北海道と本州を結ぶ海底トンネル「青函トンネル」を初めて通ったのです。
修学旅行の時は、まだ開通していなかったのです。(ホントに時代が古すぎますね)
乗車してすぐにはウキウキ気分でおしゃべりしたりトランプしたり。(トランブもなんか時代を感じますね)
時間の前後関係は記憶が薄れているのだけれど
青函トンネルを通過する時にはロビーカーで車掌さんが青函トンネルのことを説明してくれたり通過証明のスタンプか何かをくれたりしたような。
あ、その前だった気がするけど、その日はちょうど一番いい部屋(2人用のスイートルーム)が空室だということで、車掌さんが見学ツアーをしてくれました。
そこはもう列車の中とは思えないほどのホテルの一室のような世界。
(ちょっとしたビジネスホテルよりも上のような感じ)
単独のシャワールームやテレビなどもあり快適な時間を過ごせそうです。
そうです…「時間を過ごす」のがのちのちキツくなってきました。
何もない個室で友人と二人…最初はおしゃべりしたりトランプしたりしていたけれど、何時間もとなるとそれも尽きてきて…
周りの様子が変わればそれもまたおしゃべりの話題やきっかけになるのだけれど
景色はそうそう変わらず…まして夕暮れ以降は何も見えず…。
一緒にいて苦にならないはずの友人なのになんだか息苦しくなって
最後には個室のドアを開けっ放しにしてしまう二人。(個室の意味ない!)
夜はそれなりに目は覚めたけれど、汽車のガタンゴトンという響きが好きな私は
思ったよりも眠れたような。
朝食は食堂車(レストランカー?)でセットメニュー…乗車してから予約したような記憶。
あ、じゃあ夕食はどうしたかというと、事前予約のフレンチを予約していなかったので、乗車してから和食のお弁当を予約して部屋で食べたような記憶です。
で、朝食の食事の記憶はないのだけれど、食堂車で食事をするのは初めてなのでウキウキでした。
朝食の前後どちらかくらいに金沢にちょっと長めに停車。
ちょっと外の空気を吸った記憶。
京都駅停車の前後には京都の友人に車内の公衆電話(これも今となっては時代を感じる)から電話してみましたがあいにく不在。
電話に出られたお母様に「今回は時間の都合で会えなのですが、近くに来たので電話しました」と伝言をお願いしました…携帯の無い時代…家に電話して取り次いでもらっていた時代のお話です。
そんなこんなで少し遅れて乗車から約1日後1995年1月15日日曜日午後、終着駅大阪に到着。
大阪に足を踏み入れたのはこの時が初めてだったと思います。(通過したことはあったと思いますが)
トワイライトエクスプレスのお話はここまで。
最終的には「経験としてはしてみて悪くはないけど、長時間はちょっと飽きた」という印象。
逆に一人旅なら、何もない時間も本を読んだり仮眠をしたりとうまく過ごせるのかもしれませんね。
で、この生涯たった一度のトワイライトエクスプレスというだけでも印象に残る旅ではありましたが、このあとにもっと大変なことが起こって本当に忘れられない旅となりました。
出発が1995年1月14日土曜日、大阪に到着して海遊館やトリックアート美術館などで遊んで夜に京都のホテルにチェックインしたのが1995年1月15日日曜日。
1995年1月16日月曜日・成人の日の振り替え休日は京都を観光して関西空港から北海道へ帰宅。
私はもう1日有給休暇を取れたのでもう1日神戸でも歩きたかったんです。
でも友人が休みを取れなくて諦めて一緒に帰ってきて夜中に帰宅。
…翌日…1995年1月17日…起きてテレビを見ると高速道路が折れ曲がってる神戸の映像が。
早朝に阪神淡路大震災が発生していたのです。
この日のことを思い出すと、今でも泣きたいような逆に「だからこそ頑張らなきゃ」というような気持に襲われます。
友人も休みを取れていたら、間違いなく私たちはその早朝を神戸で迎えていたのです。
なんという巡り合わせなのでしょう。
この日、神様が難をのがれさせてくれたとしか言いようがないのです。
そう思うと、難をのがれてこうやって元気に生きている以上は頑張らなきゃいけないと思うのですが、現実はあんまり頑張れてないかもなぁという情けない私です。
表題の「トワイライトエクスプレス」とはちょっと離れてしまいましたが
私の中ではこの二つは切っても切れないものなので
あえて一緒に記事にさせていただきました
