2013/2/14
恩人に逢いに・・・ 紀子の日記
雪割り桜の蕾が一輪ずつ咲き始めました。

これはずいぶん前から予定していた葉山にいる恩人のもとへ届けに行かなくてはなりません。
丁度昨日は春野他西向きの配達も入っていましたので、この機会に思い切って遠出です。
又今度なんて思っていたらなんだかんだ用事が出来て、行きそびれてしまいますからね。
朝から桜を切りまして、春らしいチューリップ達と一緒にカゴにいけました。
準備万端。さあ行こうかと思ったら他の配達が入ってきて・・・・
それでもどうしても今日は行くぞとすたこらと他の用事を済まし、お昼前にやっと出発。

あんまり自分の運転で遠出をしたことの無い私。
葉山まで行くのも初めてです。
車のナビだけが頼りなんだけど・・・・・
結構長い道のりです。
運転しながら今向かっている須崎のお父さんの顔を思い浮かべ、いろんな事を思い出しながらひとりにやにや。
私が市場に通い始めたのはまだ20代の頃。
花の市場っていきなりだとちょっとなじみにくく、又みなさんけっこう封建的。
何気に競り場に座ると、「そこ私の席なんだけど」なんて叱られてしまう事もありました。
そんな中、「ここにお座り。」と声を掛けてくれた須崎のお父さんは長くお花屋さんを続けてこられたベテランで、花の見分け方から競りの仕方、人との付き合い方まで、毎朝競りの最中に懇切丁寧に一から色んな事を教えてくれました。
学校の大きな壷を活けなくてはいけなくなった時にも、もちろん生け花は習っておりましたが、いろんなところに活けに行くようになると、止め木なんて使えない、いろんな形の壷が出されて苦戦することもしばしば。
そんな時にはお父さんから「こんな時にはこうする。時間を早く活けるのが勝負だから、こんな方法も使え。」と細かに指導してもらい、お陰で私一日に沢山の学校の体育館を飾ってまわる事ができています。

他にもいろんな優しい先輩達に御世話になって今の私があるのですが、よくもまあ素人同然の若いもんにあんなに親切にしてくれたものです。
雪割り桜も、お父さんの山にあったのを接木して何本も持ってきてくれ、
「桜切る馬鹿というけんど、この桜は切ったら切るほどいい枝ぶりになる桜じゃ。
わしが動けんなってこの桜を市場に出せんようになったら、紀子が出荷したらいいからちゃんと日の当たる場所に植えておきなさい。」
と分けてくれました。
あれからどれ位?小さかった苗は大きく育ち、近所の方がお花見に上がってくるくらい立派になりました。

お父さんは足が弱って歩行困難となった為、数年前に花屋を廃業し、奥様を看取った後は施設に入所されて・・・・
数年ぶりの再会です。
息子さんの話だと、頭はしっかりしているとの事だけど、果たして私の事覚えていてくれるかなあ・・・・・
私の恩人は静かな葉山の山の中、大きな綺麗な施設にいらっしゃいました。
部屋まで案内してもらう間にいろんなお年寄りが
「まあ
桜
春だねえ。」
「綺麗なお花やね〜。」と声をかけてくれます。
広い施設の長い廊下の奥、ぽかぽかお日様の良く当たる一人部屋でお父さんは外を眺めておりまして、
「お父ちゃん、お久しぶりです。」
と声をかけると
「ありゃ
まあ
よう来てくれた
こんな山の奥まで・・・」
とすぐにわかってくれました。
桜も「お〜。もう切れるようになったか
うちの桜ももうこんなに咲きゆうがやなあ。わしゃあもう山には登れんけんど・・・・」
ととても喜んでくれました。

いろんな話をどの位したでしょうか。
釣りを始めたと言うと、
「もっと早く始めちょったら、わしの船をやるがやったに惜しい事。」と悔しがり、
「もうすぐ卒業式じゃが、ようけ注文は入ったか?」と気に掛けてくれ、
「お父ちゃんのお陰であちこち活けさせてもらってるよ。」と答えると
「そりゃあよかった。
わしもうれしい。」と目を細めて喜んでくれ、
市場のみんなの様子を心配してくれたり、どこまでもお父さんはお父さんでした。
「金曜日にみんなにお父さんの写真見せないかんき写真撮るきね。」
と声をかけ、携帯をむけたら
「そげなもんで写真が撮れる時代がいつ来た?」といぶかしげなこのお顔

顔色もよくて今年88歳には見えないでしょ?
「ここには男が二人しかおらんき、わしゃあようもてるぞ〜
ちょっと油断したらばあさんが部屋に入ってきて困る。わっはっは。」
「あんまり旨いもんは差し入れに持ってくるなよ。ここの飯が食べれんなるき。」
なんて笑わせてくれて・・・・
帰りエレベーターまで見送ってくれたのですが、車椅子を足でてこてここいでいます。
「足の運動になるきねえ。それと毎日この長い手すりを拭くのが日課じゃ。人のためにも自分の運動にもなるきねえ。」
「やるねえ。お父ちゃん。カッコいい
」
「もう道もわかったき、又来るね。」
「お〜。すっと来てくれよ。皆にくれぐれもよろしゅう言うてや。」
恩人とのひと時はとても楽しく、又こちらの方が元気をもらいました。
思い切って遠出してよかった。
又すっと行かなくてはなと思っております。
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これはずいぶん前から予定していた葉山にいる恩人のもとへ届けに行かなくてはなりません。
丁度昨日は春野他西向きの配達も入っていましたので、この機会に思い切って遠出です。
又今度なんて思っていたらなんだかんだ用事が出来て、行きそびれてしまいますからね。

朝から桜を切りまして、春らしいチューリップ達と一緒にカゴにいけました。

準備万端。さあ行こうかと思ったら他の配達が入ってきて・・・・

それでもどうしても今日は行くぞとすたこらと他の用事を済まし、お昼前にやっと出発。


あんまり自分の運転で遠出をしたことの無い私。
葉山まで行くのも初めてです。
車のナビだけが頼りなんだけど・・・・・
結構長い道のりです。
運転しながら今向かっている須崎のお父さんの顔を思い浮かべ、いろんな事を思い出しながらひとりにやにや。
私が市場に通い始めたのはまだ20代の頃。
花の市場っていきなりだとちょっとなじみにくく、又みなさんけっこう封建的。
何気に競り場に座ると、「そこ私の席なんだけど」なんて叱られてしまう事もありました。
そんな中、「ここにお座り。」と声を掛けてくれた須崎のお父さんは長くお花屋さんを続けてこられたベテランで、花の見分け方から競りの仕方、人との付き合い方まで、毎朝競りの最中に懇切丁寧に一から色んな事を教えてくれました。
学校の大きな壷を活けなくてはいけなくなった時にも、もちろん生け花は習っておりましたが、いろんなところに活けに行くようになると、止め木なんて使えない、いろんな形の壷が出されて苦戦することもしばしば。
そんな時にはお父さんから「こんな時にはこうする。時間を早く活けるのが勝負だから、こんな方法も使え。」と細かに指導してもらい、お陰で私一日に沢山の学校の体育館を飾ってまわる事ができています。


他にもいろんな優しい先輩達に御世話になって今の私があるのですが、よくもまあ素人同然の若いもんにあんなに親切にしてくれたものです。
雪割り桜も、お父さんの山にあったのを接木して何本も持ってきてくれ、
「桜切る馬鹿というけんど、この桜は切ったら切るほどいい枝ぶりになる桜じゃ。
わしが動けんなってこの桜を市場に出せんようになったら、紀子が出荷したらいいからちゃんと日の当たる場所に植えておきなさい。」
と分けてくれました。
あれからどれ位?小さかった苗は大きく育ち、近所の方がお花見に上がってくるくらい立派になりました。


お父さんは足が弱って歩行困難となった為、数年前に花屋を廃業し、奥様を看取った後は施設に入所されて・・・・
数年ぶりの再会です。
息子さんの話だと、頭はしっかりしているとの事だけど、果たして私の事覚えていてくれるかなあ・・・・・

私の恩人は静かな葉山の山の中、大きな綺麗な施設にいらっしゃいました。
部屋まで案内してもらう間にいろんなお年寄りが
「まあ


「綺麗なお花やね〜。」と声をかけてくれます。
広い施設の長い廊下の奥、ぽかぽかお日様の良く当たる一人部屋でお父さんは外を眺めておりまして、
「お父ちゃん、お久しぶりです。」
と声をかけると
「ありゃ




とすぐにわかってくれました。
桜も「お〜。もう切れるようになったか

ととても喜んでくれました。


いろんな話をどの位したでしょうか。
釣りを始めたと言うと、
「もっと早く始めちょったら、わしの船をやるがやったに惜しい事。」と悔しがり、
「もうすぐ卒業式じゃが、ようけ注文は入ったか?」と気に掛けてくれ、
「お父ちゃんのお陰であちこち活けさせてもらってるよ。」と答えると
「そりゃあよかった。

市場のみんなの様子を心配してくれたり、どこまでもお父さんはお父さんでした。
「金曜日にみんなにお父さんの写真見せないかんき写真撮るきね。」
と声をかけ、携帯をむけたら
「そげなもんで写真が撮れる時代がいつ来た?」といぶかしげなこのお顔

顔色もよくて今年88歳には見えないでしょ?
「ここには男が二人しかおらんき、わしゃあようもてるぞ〜


「あんまり旨いもんは差し入れに持ってくるなよ。ここの飯が食べれんなるき。」
なんて笑わせてくれて・・・・
帰りエレベーターまで見送ってくれたのですが、車椅子を足でてこてここいでいます。
「足の運動になるきねえ。それと毎日この長い手すりを拭くのが日課じゃ。人のためにも自分の運動にもなるきねえ。」
「やるねえ。お父ちゃん。カッコいい

「もう道もわかったき、又来るね。」

「お〜。すっと来てくれよ。皆にくれぐれもよろしゅう言うてや。」

恩人とのひと時はとても楽しく、又こちらの方が元気をもらいました。
思い切って遠出してよかった。

又すっと行かなくてはなと思っております。

