私には4人子供がいて、離婚した時も4人とも引き取った。
なんで、4人も産んだのか。少子化のこの時代に、まして稼ぎのない元ダンのもとでと誰もが思ったことだろう。しかし、私にはちゃんと理由があったのだ。
今中2の長男が生まれた時は、姑に「何だ、また男か。」と言われ、喜んではもらえなかった。私は里帰り出産をしたが、言われたことがこの言葉だった。そりゃね、あんたにしてみれば3人目の男の孫かもしれないけど、あたしにとっては初めての大切な息子だよって思った。可愛がってももらえなかった。
二人目。待望の女の子だった。生まれる前に、長男はまだ2歳だというのに、「お母さんに甘えるんじゃない」と散々怒られた。二人目出産前に同居を始めたが、完全に姑を中心に世界は回っていた。
「やっぱりうちで生まれた子は可愛いねぇ」と娘を可愛がった。それはもう、長男と明らかな差をつけての可愛がり方だった。
そんな雰囲気を子供が感じないわけはない。とうとう息子は精神がおかしくなってしまった。心理療法士の先生から別居を勧められた。それ位自分を守るために自分の殻に閉じこもってしまっていた。
3人目。次男がお腹にいる時に「いらない子ができた」と近所で言いふらされた。「まるで、犬みたいに子供を産む」とまで言われた。悔しかった。3人目が生まれて2年ほどして、別居した。長男が心の病で病院に通っているのを、「きちがい(本人が使ったので、ここで記述するのでお許しを)の嫁が産んだ子だから、頭がおかしくて病院に通っていて恥ずかしい」と言われた。やっぱり、姑中心の世界だった。
元ダンに私をとるか、母親を取るかを迫ったら、私をとるというので、別居した。やっと、子供のことを言われなくてすむと思った。
どうしても、上3人には姑の影が付きまとった。それで、「私の子」が産みたくて4人目を産んだ。引っ越した先の病院で産んだ。やっと、何もいわれずに住む子供を産めたと思った。
だから、4人目のyukoは可愛かった。もちろん今でも可愛い。ただ、上3人に付きまとうものがないだけ、私にとっては手放しで可愛がれるものがある。
そんな理由で4人も産むのかと思われるかもしれないが、自分の子供なのに、姑の影がちらついて子供を愛せない苦しみを背負ってきていることを考えると、産んだほうが良かったのだ。
別居して11ヶ月。離婚して10ヶ月。やっと元姑の呪縛から解かれつつある。だから、長女をやっと可愛いと思えるようになってきている。
ずーっと娘を愛せないことに苦しんできた。実家に帰るときも元ダンのところに置いてこようかどうしようかと思ったくらいだった。でも置いてはこれなかった。でも、こんな気持ちは誰にもわかってはもらえなかったと思う。娘は小3の時から不登校だった。離婚して新しい生活が始まっても、しばらくは不登校だった。前の学校では「転校してくれてせいせいした」とまで元クラスメイトから言われたくらい、厄介者扱いだった。離婚してからも、私の両親から好かれることがなかった。すべては私が背負っていた嫁姑の確執から来るものだったと思う。私が子供を愛せなかったから。私の娘なのに、私の娘ではなかったからだ。
そんな思いをしながら、今離婚してよかったと思えるのは、長女を愛せるように自分がなってきたからだ。もし、あのまま結婚生活を続けていたら、ずっと愛せないまま、いつもイラついてひどい扱いをしながら生活を続けていただろう。でも、最近元姑の影が薄れ、母と娘としてだんだん向き合えるようになってきたような気がする。それだけでも離婚してよかったんだということなのだろう。
ホントにささやかだが、長女が「おかあさん、私も一緒にビーズでアクセサリー作って良い?」と聞いてくることに喜びを感じるようになってきた自分がいる。その事に少しずつでも離婚という劇的な変化から立ち直りつつあるのかなと思うのだった。

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