藤原辰史「給食の歴史」(岩波新書)を読みました。
本書で対象としているのは、学校給食です。
誰もが、給食には思い出がありますよね。
私が小学生のころは、給食センターではなく、学校にあった給食室で給食のおばちゃんたちが作ってくれていたような記憶があります、
先割れスプーンとあのまずい脱脂粉乳の時代です。
器はアルミの皿やボウルだったと思います。
中学生になると、センター給食に変わりました。
脱脂粉乳ではなく、牛乳瓶になりました。
その中身は加工乳で、純粋な牛乳ではなかったような気がします。
相変わらず先割れスプーンで、一体型のランチ皿でした。
これは、食べにくい!
「犬食い」をしていたことでしょう。
米飯給食はありませんでした。
食パンかコッペパンに、ときおりソフト麺が出ました。
給食と言えば話題に出るクジラの竜田揚げを食べた記憶はありません。
クジラの大和煮は憶えていますが、雑巾のようでした。
給食は、戦後始まったのだと勝手に思い込んでいました。
違うんですね。
全国津々浦々ではありませんでしたが、戦前から被災地や飢餓地帯を中心に、給食は実施されていたようです。
戦後の食糧難時代、占領軍GHQの援助で給食が始まりました。
「ララ物資」という民間慈善団体からの援助もありました。
そして、脱脂粉乳とコッペパンの給食が広がりました。
独立後の日本では、再軍備と給食とアメリカの余剰農産物の市場開拓がセットで要求されました。
しかし、アメリカからの理不尽な要求とばかりは言えず、それまでの日本人の食生活への反省もあったのです。
いまでこそ、和食はヘルシーということになっています。
でも、あまりにも米の偏食傾向にあり、蛋白質、カルシウム、ビタミンなどが摂取不足だったのです。
私は、自分の子どもたちが小学生のころ、給食が美味しいか訊いたことがあります。
二人とも、とても美味しいと言ったのを憶えています。
われわれの頃とは違って、給食は美味しいものになりました。
いいことだと思います。
日本は、とっくに貧困問題を克服した国だと思っていました。
「一億総中流」などと言われ、浮かれていました。
ところが、経済成長は止まり、格差が広がり、貧困層が増加しています。
まともな食事は、給食でしかありつけない子どもがたくさんいるそうです。
この本には取り上げていませんが、「子ども食堂」が全国で設置されています。
せめて義務教育の間の給食は、無償で提供したいものです。