原武史「<出雲>という思想〜近代日本の抹殺された神々」(講談社学術文庫)を読みました。
「まえがき」の最初の一文は、
「本書は<出雲>に関する研究書である。」
ということで、けっこう難しい内容でした。
さすが「学術文庫」というだけあります。
かつて読んだ井沢元彦「逆説の日本史」シリーズ第1巻では、出雲大社は、オオクニヌシを封じ込めた神社だという主張があったと思います。
怨霊のたたりを恐れたからです。
本殿は、異様に巨大な建物だったと伝えられています。
また、オオクニヌシが正面を向かず、横を向いて鎮座しているのも論拠のひとつだったと記憶しています。
オホクニヌシ(本書では、こう書き表されます)といえば、ヤマト朝廷(天つ神)に国を譲った神様(国つ神)。
土着の勢力が、外来勢力に征服されたことを暗示しているように思えます。
ということで、古代に決着がついているのだと思っていました。
しかし、<伊勢>と<出雲>の対立(神社間で争ったわけではありません)は、近代にも再燃していたのでした。
オホクニヌシは、ニニギに国を譲ったわけですが、それは「顕露の事」を任せて、「幽事(かくれたること)」を担当することになったというのです。
「顕露の事」とは政治のことになるかと思いますが、「幽事」の範囲が問題でした。
こちらの方が上位概念になるとすれば、決して、<出雲>は<伊勢>の風下に立つわけではなくなります。
本居宣長とか平田篤胤、津田左右吉、柳田國男、折口信夫などといった学者たちが論争を繰り広げてきたというのです。
いずれにせよ、国家神道の成立を目指す近代政権にとって、オホクニヌシは目障りな存在でした。
結局は、副題にあるように、オホクニヌシは排除されたといえます。
まるでオホクニヌシやアマテラスなどが実在していたかのような論争が、激しくなされていたことが驚きでした。
ところで、本書によると、出雲大社の祭神が正式にオホクニヌシとされたのは、明治に入ってからのことだそうです。
それ以前は、「大黒さま」こと大黒天だったというのです。
室町時代以降、「大国」と「大黒」の語呂合わせで、両者の一体化が進んだそうです。
男女の縁を取り持つという信仰は、江戸時代からだそうです。
そんなことを言われると、イメージが違ってきますね。
