以前、田中淳夫「『森を守れ』が森を殺す!」「伐って燃やせば『森は守れる』」(ともに洋泉社)を読んで、目からウロコが落ちる思いがしました。
両著は、1990年代後半に発刊されたもので、自然保護が声高に叫ばれていたころです。
森林の木を伐(き)っていると、「森林を破壊するな!」と罵声が浴びせられることがしばしばだったそうです。
今では、森林は管理しなければいけないものだという認識が広がり、間伐材を利用しようという行政の働きかけなどもあって、そんなことは減っているのでしょうが。
また、「森林は酸素を供給していないし、『自然のダム』でもない!」と本の帯に書かれていました。
森林の役割についてのおとぎ話のような妄想は、現在でも広まっているのでしょうね。
その著者による「森と日本人の1500年」(平凡社)を読みました。
田中氏は、静岡大学農学部林学科を卒業後、出版社、新聞社を経て、森林ジャーナリストです。
この本は、日本の植生の変遷と日本人との関わりを辿ったものです。
目次を拾うと、
第1章 「日本の原風景」の嘘
第2章 ニッポン林業事始
第3章 近代国家は林業がつくった
第4章 森林景観は芸術になりうるか
第5章 緑あふれても消えた美しい森
わが国における林業がいかに時代の流れに翻弄されてきたかが描かれています。
そのなかで、林学者やたちは苦心してきました。
刺激的な文章が並びます。
日本の林業技術は 先進的であり、高級な木材を生産するから価格も高いと記された書物を見かけるが、それは大間違いだった。
明治以降、山に木を植える政策は推進されたが、それを育て、産業としてのシステムを築くことに大半は失敗した。
大増伐と大造林、そして役物に頼った日本の林業は、森林風景を大きく変えた。大面積皆伐された山々が目立ち、若い造林地が増える。一方で時間のかかる林業は敬遠されるようになった。木材の調達は輸入で賄えばよいからだ。そのため放棄林が増えていく。植林後、手入れが行われなくなったのだ。
高速道路を走ると、両脇に緑があふれている感じがします。
しかし、美しい緑ではなく、ツタなどのつる草がまとわりついたりしています。
イノシシやクマ、サルなどが里に下りてくるのは当然です。
森林をどのように育てていくべきか、そこにはどのような問題があるのか、鋭く提起した良著です。
